Habitat

my own place, my own label

もう・・

2016年01月06日 09時10分03秒 | 覚えておきたい記事
市民運動は政府の管轄じゃないから?
確か先月末に不可逆的に合意したんじゃなかったの?それって政府だけの限定?まさか、今期の大統領が在籍しているときに限ってなの?

慰安婦が40万人に増えたよ。

こんな記事書くと嫌われるのはわかっているけど、書かずにいられない憤。
アメリカが2WWをどう子供に教えようと、その国の勝手だけど、いまだに原爆正当化してる国だけど、東京裁判は正しいとしてるどうしょうもない国だけど!民主主義法治国家だというけど・・毛と変わらなくても、仕方ないと思うけど!人を悪く言って悦に入るような国の口車にのる愚行ばかりの国だけど!!!結局本国逃げ出した移民の国だからあきらめるしかない。高きところから見てるような口ぶりは許せないけどね。(私はISではありませんが)いつか分かってくれるかもとアメリカは許そう。

えっと、話し戻そう。
日本軍の兵士公式には230万人。そのために日本軍はあちこちからかっさらった少女を40万人用意したって言いたいわけだ。
一人当たり40万人の慰安婦が、6人毎日相手をすればいい計算だけど、一日に10人も相手をさせられたとか言われると、日本は世界を征服していても好いぐらいの絶倫日本軍団だったわけだ・・

食料が無くて、外地は大変な思いをして戦をしてた。
血気盛んな朝鮮人なら、毎日戦をして毎日女を抱くのが可能なのだろう。あのベトナム戦争を思えば。
それにこの人数居ないと、兵士が不満を抱くだろうと思う朝鮮人的な数なんだろう。
兵士に配る食料調達よりも、小先人に言わすと慰安婦40万人用意するのも軍の重要なお仕事だったわけだよね。

フィールドオフィサーが言うんだろうね。
「食料よりも、女を配給しろ。このままじゃ兵士の士気があがらん!」

月一か二のお休みを慰安所で過ごすことは可能だろうけど。元気な日本人が多かったのだろうか?
いやいや、戦時中の写真を見ればわかるでしょ。みんなスレンダーよ。メタボなんて一人も居ないし、十分に食えてないのは、かつての兵士のみならず分かる事だと思うわ。
誰でも見聞きしたでしょう?外地に赴いた兵が大変だったこと。簡単に命を落としてしまうような劣悪な環境だったこと。一族に一人ぐらいは2WWに参戦しているでしょう。極楽だったって聞いたことなんてないでしょ?
(うちのじいじは大佐で艦長してたので、西洋風の応接間と常にワインとチーズや見たことないようなお菓子がいつでもおいてあったそうだ。母の幼いころ、赤ん坊だった叔母との写真があるけど、ラタンの乳母車に乗ってたよ。75年ぐらい前だけど)
そんな頃の事だから、確かに佐官だったじいじは高給取りだったと思う。

でも、そんな佐官と変わらない給料を貰っていた慰安婦たちだもの、やっぱり高給取りだよね。もちろん地下牢に閉じ込め繋がれることもないし。奴隷だから泥まみれって事もない。綺麗なべべ来てたし。髪はパーマ当ててたよ。

それに軍属なら、彼女たちを守る兵も必要だし、食料も必用。挙句に着替えや化粧品まで必用。40万の慰安婦よりも、兵士のための食料や弾薬を補給した方が、戦にはありがたいと思うんだ。

この40万が今度どう増えるのかはわからないけど、せいぜい2万人最大でいたかどうかの慰安婦。実は国内にも慰安所(単に売春宿かも)あったので、全部が全部、外地の慰安婦ってわけじゃない。
それに単純計算だって、230万人の兵士が月1で慰安婦に相手をさせてたって、7万6000人で足りる。
すべての基地に慰安所があったわけじゃないから。皆が利用するわけじゃない、日本政府の言う多くて2万ってのは妥当だと思うよ。給料はらって、前線にはおいてないんだから。

韓国人って戦争なめてない?最近そう思うようになってきたよ。

ベトナム戦争でも、躍起になって軍を送った。猛虎、白馬、青竜部隊と呼ばれる勇ましい名前の着いた部隊だ。
アメリカもずるいから、そんな韓国人部隊を先鋒として出したわけだけど、30万を超える兵士たち。
日本軍ですら、韓国人兵士を持て余して、殴るけるで言う事を聞かせていたのに、アメリカは部隊そのものを韓国人の指揮下ポンとおくってしまった。結果が、悲惨だったのが、最近一般人にも見えてきた。

朝日のウェブサイトですら、”ソウルの戦争記念館は、制服姿の軍人らでにぎわっていた。そこでは、ベトナムへの派兵について「共産侵略者と戦う自由ベトナムへの支援は、集団安保のための国土防衛策の一環だった」と説明されている。洞窟(どうくつ)に潜んでいる「ベトコン」(南ベトナム解放民族戦線)をいかに掃討したかを、図入りで誇らしげに示している。
「ベトコンは米兵とは戦ったが、韓国兵を見たら恐ろしくて逃げたんだ」。高校生を引率した教師の声が聞こえた”

だって、アメリカ兵は教育された兵士で職業軍人だから、あえて弱い者には手出しはしない。
でも韓国兵は職業訓練を受けたわけじゃないから、見境なく殺す。で、恐れられていた。
最近のベトナムの民主化で出てきた事実はあまりにおぞましくて、慰安婦どころの騒ぎじゃないと思う。

つい最近のISだって、画像がたくさんある。兵士や反抗者の虐殺が主だけど、ベトナムの虐殺は女子供と老人という弱者に対するもので、いつまで韓国がこれを隠蔽できるのか、いいやできまいと思うほどの物が多い。
でも、いまだに知らん顔だよね。でも、アメリカの従軍写真家が取った写真がネット上たくさんあるんだよねぇ。
って、正論の読みすぎ”ねとうよ”かしら?アタシって??

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印象悪化

2015年07月30日 10時54分06秒 | 覚えておきたい記事
http://www.sankei.com/west/news/150729/wst1507290024-n1.html

そうなの?と疑問に思う人も居ると思う。

大抵、農業研修に来る国の人々は、新天地や明るい未来をみてやってくるから、確かに現実とギャップを否めないのだと思う。
私が以前パートに出ていた農園は、一農家だから、が口癖の狡い奥さんと大雑把なでも金儲けと名誉欲はたっぷりのご主人と、とっても釣り合ったご夫婦だった。
野心的なご主人は社長と呼ばれるのが好きで、農協に弟さんが勤めているので地元の農協にも顔が効く。

その実習生だけど、受け入れるのにも、基準があるみたいで指導員なる資格が必用みたい。なことを言ってた。
もちろん持ってたと思う。自分を農師だと言いきっていたから、思い上がりもすごいなぁと思ったけど。
「うちはね、寝床と食事とこづかいも出してるのよ」って奥さんが言ってたな。小遣いじゃなくて給料を時給で出すべきだよ。研修生なんだからと安く見てないで。
畑の草むしりや苗の植え付けさせておいて、安い給料で働くのよ。それって、出してるってのはおかしくない?助成金とか補助金だってもらってるでしょう。
待遇はよくないよね。親方気取りだし。してやってる意識が強くてさ。農家だから食べるのはもっぱら余った野菜でしょ。
世話になっていると思うベトナムの純朴な人たちは一生懸命やるよ。でも、実際には草むしり、除草剤だって、書いてる通りに作ればいいからと言って、用意した物を渡して撒くだけ。
てんきとかの兼ね合いとか教えもしないで、種まきやらせてる。5月に撒けば大丈夫だから、と指示してたけど、ベトナムの5月ってどうよ。なんてきっと考えてないんだろうなぁ。
嫌がらせではないだろうけど、当人からすると嫌がらせにしか取れない待遇なのも実際脇で見てておもった。
じゃなぜ、私たちと同じにしないかというと、素養が違うそうで。言葉もわからないとひとくくりにしてしまう。それじゃ疎外感たっぷりじゃない。
一年以上居るのに挨拶もできないと叱るよりも、もっと和を大切に育てるべきなのになぁ。
おおきな耕運機は運転免許ないと乗せられないと大型機械での楽な作業は社長がやってた。免許とてるように指導なんてしてなかったしなぁ。
これじゃ何年居ても小作にもなれない。

教えてあげないの?
そんなのみて学ぶものよ。自分でやって失敗して初めてわかるの。覚えるのよ

違和感があったのは事実だし、当人たちからしたら、これは指導じゃなく時間の無駄でしかない。
もっと良い指導者の育成に努めるべきだし、農協ももっと考えないとまずいと思うんだよね。

リーダーとして出ていく覚悟のある農業指導員@青年海外協力隊などとの格差もやっぱりならしていかないと。
人材、人脈は宝だよ。私はそう思うけどね。

今日は愚痴だけ。

覚えておきたい記事

2015年02月25日 16時53分55秒 | 覚えておきたい記事

人の揚げ足とるのがうまいとかじゃないと思う。新聞という媒体に乗せる以上は口先だけの言語ではならない。
本質的な意味をきちんととらえて書かないと、間違った基底思考を植え付けてしまう。
誰に対してもどんな立場であろうと、推敲とは重要な作業なのよね。以下 産経ウェストの記事です。


日本再生を信じ出撃…海軍飛行隊員が偶然会った少年に托した言葉 記事はこちらhttp://www.sankei.com/west/news/150225/wst1502250007-n1.html



【ベテラン記者コラム】

出撃前の飛行隊員と速水少年の写真(速水勝久氏提供)
 滋賀県草津市内の速水勝久さん(76)から一葉の写真が同封された封書を先日いただいた。

 産経新聞朝刊(1月17日付)オピニオン欄のコラム『編集日誌』に書いた「特攻と過激派テロの併記」について、感想をしたためられた封書だった。

 『編集日誌』では、朝日新聞の夕刊コラム『素粒子』(1月13日付)に以下のように併記された一文について書いた。
「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣」

 「70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」

 この併記について、『編集日誌』では、「『少女に…』は、イスラム過激派組織『ボコ・ハラム』が女児を自爆テロさせたことだろう。陰惨極まりないテロと、先の大戦で実行された日本の特攻がなぜ、併記されたのか。疑問と怒りを禁じ得なかった」と書いた。

 同封されていた写真は、鳥取県米子市近郊にあった旧海軍の美保航空隊基地から出撃地に向かおうとしていた青年飛行隊員とともに昭和19(1944)年ごろに撮影したものだった。同基地は、「特別攻撃」(特攻)の訓練基地でもあった。速水さんは当時、まだ5歳だった。

 飛行隊員の青年は、速水少年に次のような言葉を残していったという。

 「自分の親兄弟は遠い処にいるので会うことができない。自分は親兄弟や日本を守るため、明日出撃する」「自分が死んでも君らが大人になったころには必ず日本は立ち直ってりっぱな国になることを信じている。それまでどうか体に気を付けて頑張って欲しい」(速水さんの封書より)

 速水さんの父君が早世した後に、ご母堂は5人の子供を養うために、米子市内で小さな飲食店を営んでいた。速水さんの長兄にも召集令状がきた。この頃から、この飲食店に、出撃地に向かう青年飛行隊員たちもよく訪れるようになっていた。「母は兄の顔と重なったのか店に来る兵隊さんに湯のみ一杯のお酒とお握り2個を振る舞うようになりました。それが多分口づてに伝わったのか、沢山の人が出撃前の何日かの休暇を我が家で過ごすようになりました」(封書より)
その中の1人が速水さんと写真を撮影した青年隊員だったのだ。「『最後の写真を撮りたいから、どこか写真屋さんを知りませんか』と、隊員さんは母に聞き、母から近所の写真館を案内するように言われました。写真館に着くと、『僕も一緒に映ってくれないか』と青年隊員から頼まれました」(同)。青年隊員は風呂敷包みにあった飛行服に着替え、速水さんは一緒に写真におさまった。

 その撮影時に前出の言葉を残した。速水さんは、青年隊員の氏名も年齢も聞かなかった。まさに一期一会だった。

 「蛮行の限りを尽くすイスラム過激派と、特攻に向かった当時の日本の人々の思いを併記するように考えることだけはして欲しくない」(速水さん)。

 幼い女児をつかって無辜(むこ)の民に無差別テロを行う過激派たち。5歳の少年に日本の将来を託す言葉を残して戦中出撃した飛行隊員がいた当時のわが国。やはり併記して考えてはならない。   (近藤豊和)


ナショナルジオグラフィック