≪恩讐を超えて≫
私の人生は一体何なのだろうか? 何の目的があって生まれて来たのだろう。生まれて来たからには幾多の目的を持ってうまれてきはずだ。幼少の頃に不治の病と言われた小児麻痺なり、それが原因で一生涯不自由な身体で過ごす事になったのである。私は五人兄弟の二男として生まれました。兄弟皆が学齢期を迎える頃になって学校に行くのを見ていると一人残されて寂しくて悲しくて辛くて泣いた事もありなした。今の時代ではとても考えられないことかも知らないが、当時の学校法と言うものは障害者は学校に行かなくても良い事になっていたらしいかったのです。当時私の家は里山という田舎に住んでおりました。今になって思えばそこが私の弟一の古里みたいなものした。近くには小川がさらさらと流れ、夏には蛍が青々と茂った水田の上を乱舞していました。そんな中で育った私は兄弟が多くいたでしょう。とてもじゃないが私だけにかまってもらえる立場ではなかったのです。学校までの道のりは遠く三キロ近くもあって私にはとても無理な事は判っていました。「ねえ僕も学校に行きたいよ、いいでしょう」なんてとても言えなかった。それでも皆が通っている学校に行きたい一心で来る日も来る日も歩行練習を重ねてやっとそれくらい歩けるようになった時「そんなに学校に行きたいのかい?それなら行ってもいいよ。だけど判っているだろうが余り手伝ってあげられないよ」。いよいよ私も学校に行けるんだと思うと少し不安もあったが何よりも仲間もできて勉強が出来る事が嬉しくてその後に幾多の艱難辛苦があろうとは知るよしもありませんでした。とりあえず相談の上学年は五年生からと言うことになりました。只学籍は貰えず聴講生と言う立場でした。負けず嫌いな私は小学校、中学校、高校と卒業はしましたが、その後の苦労は地獄の中にいるようでした。魑魅魍魎の世界と言うけれど本当にその現実を見たような気がした。暫く経ってから同じ訓練所にいる時に縁があって今の妻と結婚する事になりました。そうして生活を送っているちに二人の子供にも恵まれてやっと一人前の暮らしになりました。他人たちから色々と揶揄もされましたが、子供たちの喧騒と共に忙しく暮している中にたちまち時は過ぎ十年、二十年と経ってしまい、気がついた時には子供たちも親から離れて巣立って行ってしまった。最後に残ったのは私たち二人だけになってしまい、あっというまに爺婆になってしまった。これからは徳用老人ホームにでも入所して余生を静かに過ごす事になるだろう。ここまできてしまうとあの喧騒とした元気に遊ぶ声が懐かしく思い出される。
私の人生は一体何なのだろうか? 何の目的があって生まれて来たのだろう。生まれて来たからには幾多の目的を持ってうまれてきはずだ。幼少の頃に不治の病と言われた小児麻痺なり、それが原因で一生涯不自由な身体で過ごす事になったのである。私は五人兄弟の二男として生まれました。兄弟皆が学齢期を迎える頃になって学校に行くのを見ていると一人残されて寂しくて悲しくて辛くて泣いた事もありなした。今の時代ではとても考えられないことかも知らないが、当時の学校法と言うものは障害者は学校に行かなくても良い事になっていたらしいかったのです。当時私の家は里山という田舎に住んでおりました。今になって思えばそこが私の弟一の古里みたいなものした。近くには小川がさらさらと流れ、夏には蛍が青々と茂った水田の上を乱舞していました。そんな中で育った私は兄弟が多くいたでしょう。とてもじゃないが私だけにかまってもらえる立場ではなかったのです。学校までの道のりは遠く三キロ近くもあって私にはとても無理な事は判っていました。「ねえ僕も学校に行きたいよ、いいでしょう」なんてとても言えなかった。それでも皆が通っている学校に行きたい一心で来る日も来る日も歩行練習を重ねてやっとそれくらい歩けるようになった時「そんなに学校に行きたいのかい?それなら行ってもいいよ。だけど判っているだろうが余り手伝ってあげられないよ」。いよいよ私も学校に行けるんだと思うと少し不安もあったが何よりも仲間もできて勉強が出来る事が嬉しくてその後に幾多の艱難辛苦があろうとは知るよしもありませんでした。とりあえず相談の上学年は五年生からと言うことになりました。只学籍は貰えず聴講生と言う立場でした。負けず嫌いな私は小学校、中学校、高校と卒業はしましたが、その後の苦労は地獄の中にいるようでした。魑魅魍魎の世界と言うけれど本当にその現実を見たような気がした。暫く経ってから同じ訓練所にいる時に縁があって今の妻と結婚する事になりました。そうして生活を送っているちに二人の子供にも恵まれてやっと一人前の暮らしになりました。他人たちから色々と揶揄もされましたが、子供たちの喧騒と共に忙しく暮している中にたちまち時は過ぎ十年、二十年と経ってしまい、気がついた時には子供たちも親から離れて巣立って行ってしまった。最後に残ったのは私たち二人だけになってしまい、あっというまに爺婆になってしまった。これからは徳用老人ホームにでも入所して余生を静かに過ごす事になるだろう。ここまできてしまうとあの喧騒とした元気に遊ぶ声が懐かしく思い出される。