ウオーク。俳句。蜂

近畿周辺のハイキング、歩き、ドライブ、史跡めぐりと駄作の俳句、川柳などと
蜂蜜に関する雑学。

愛犬に誓う(2)

2014-01-16 19:20:58 | 日記
何万年かの年月で犬は飼い主に生活パターンを合わせる、DNAを持ったのでしょうか。
私が車で行く時はほとんど乗せていきます。近くの山や日本海,何時間も車に乗りしんどいだろうと
次の日もう家に居るかと、様子を見て車に乗ると、置いて行かれないようにと、あわてて飛び乗ってくるのです。
山ではリードを放すと走って上がり、離れないよう大声で呼び待たせます。低い山でも登山口と違う所に降りると、
車の置いてある所に戻るのに2時間程テクテクと道を歩くようになりました。今は年を取り
リードをつないでの長い距離は嫌がります。それでも山で放すと喜んで上がって行きます。
若い時アッチコッチやられ判っているのか、家の門扉が開いていても勝手に出ていきません。
それでも2回ほど離れ離れになるところでした。一度は西舞鶴由良川近くの海水浴場。
静かな砂浜を目指すと嫌がります、何時もの様にリードを放し私が走ると来るだろうと。どんどん離れていきます。
見えなくなりました、急いで車で探しました。人に聞くと紐をつけた犬がむこうに走って行ったと。
だいぶ離れたところで立ち尽くしていました。犬は非常に耳が良く、波の音と地鳴りを初めて聞き
パニックになったのでしょう。「奥の細道」の北陸海岸難所「親知らず子知らず」の場面で「犬戻り、駒返し」と
あるのは本当なのです。もう一度は篠山、国道近くの小川のそばで遊んでいる時です。農道に車を停めていたのです。
軽トラが来たので橋を渡った堤防に車を移動しました。すると見晴らす彼方までモモ(愛犬)が見えません。
悪い予感が頭をよぎりました。もう2度と会えないのではと。その辺は横道もよく知っています、二本の国道
も居ません。暗くなりだしました。家に連絡を入れ続きです。ガソリンスタンドが店じまいしかけていて
開けてもらい助かりました。暗くなり見えないので車を停めては何百メートル聞こえる大声でモモ―!と何度も叫び
待ちます、聞こえたら飛んでくるだろうと。静かな村のそば夜中でもお構いなしです。明日は喉が潰れると思いました。元に戻っては違う方向夜中の国道は大きなトラックが走り心配です。朝になりました。
このまま続けるより15キロほど離れた家に一旦帰り、段取りをしてすぐ戻ろうと思いました。続きます。

愛犬に誓う(1)

2014-01-10 00:34:18 | 日記
我が家に来たのは11年前です。娘の友達が大阪の信号辺りでウロウロしている迷い犬を警察に届けたのです。
飼い主が現れず仕方なく引き取ったが家で飼えなかったのです。前年街の狭い家から郊外のすこし広めの所に引っ越しした私が犬を飼いたいのを娘が知っていて、かわいい犬がいるから引き取ってくれと連れて来たのです。
庭に入って来て立ち尽くす犬を見ると、想像していた子犬でなく、もう大きいのです(獣医は1歳位と云った)。
雑種です、私が子供の頃居た犬に似ているし、友達の親が予防注射をして、「嫁入り道具」と犬小屋を付けてくれ
ています。モモと名付けました。散歩に連れて行くと我儘です。嬉しいのか、自分の好きにしたいのか、
盛んに甘噛みします。若いのか、加減が判らず痛いのです。痛い!と教えます。
私の行く方に素直について来ないので、懲らしめにと並木の添え木にリードをかけ少し離れると強く反応して
尻尾を垂れ悲しそうな顔をしました。いろいろあったのでしょう。あっ!これはしてはいけないと思いました。
家族にはすぐ慣れたが、外では弱いです。小さな犬に絡まれてもクルクル逃げるだけです(今は違う)。
私には我儘で車で人の来ない芝生に放してやると、いつまでも遊び、もう帰ろうと呼んでも知らん顔です。
車のエンジンをかけ帰るふりををすると、走ってきて車の前に立ちはだかるのです、判っているのです。
不満だったのか、帰りの車の後部でガリガリと音がします。置いていたゴルフ帽を噛んでいると思い、古いし
癇癪収めにまあいいかと、家に着いてドア開けると、なんとシートを噛み破っているのです、まだ新車です。
コラッと手でたたいて、「アーアー」と5センチ位の傷を見ていると、そっと寄ってきて頬をペロッと舐めるのです。
謝りご機嫌をを取っているのです。もう怒れません、一舐めで済まされました。
庭には放しています。犬小屋に入るのを嫌がるようになりました。猫が来て匂いを着けたのでしょう。
妻が家の中に入れるようになりました。家の中に慣れていないのか、立ち尽くす姿は
なんと室内の似合はない犬だなと思いました。服の色と同じです、自分が慣れないと合はないのです。
こんな事が有りました。妻が椅子に座り肩が凝ってしょうがないから、少し揉んでと云うので揉むと、
痛い痛い!と云いました。するとモモ(愛犬)がきて妻の太ももに手を乗せ見上げています。
しまいにはジブンの頬を太ももに載せ、慰めるように励ますようにするのです、妻はこれでもうメロメロです。
娘がそれをして欲しくて、同じようにするのですが嘘と判るのか、肩もみを理解したのかもうしません。
初めは車に乗るとまた何処かに居場所が変わるのではと少し嫌がりました(今は正反対)。
婦警さんに散歩に連れてもらったそうで、きれいな女の人は好きです(私も)
杖か傘をもち帽子を被ったおばあさんは怒ります、殴られたのでしょうか。
目を見るのでしょう、文字通り一目で相手の気持ちが判るようです。
私が考えているよりはるかに犬(動物)は賢く、愛情深く、能力を持っているのが判ってきました。続きます。

宍粟(しそう)市山崎に行く

2013-12-07 20:06:30 | 日記
NHKテレビお知らせで、黒田管兵衛についての講演が山崎(兵庫県)であるというのでドライブがてら行きました。
来年の大河ドラマです。山崎は昔から交通の要所です。官兵衛も秀吉から領地を貰い受け一時支配したそうです。
私も鳥取や戸倉スキー行く時通ったし、最近は犬と川遊びする場所です。
四万十川行った事ないけど、此処もきれいな水です、近くの山々から支流が入っているのです。
(山崎インター北、揖保川アユ釣り場あたり)鮎の友釣り発祥の地と初めて知りました。
神戸三田インターから山崎まで40~45分程、会場(山崎文化センター)にはぎりぎり着き、講演者は
「等伯」の作者、安部龍太郎と知り、意外な喜びです。毎日行く喫茶店で見る日本経済新聞の文化面(だけ)は私
のノルマの様で、前々回連載を読んでいたのです。北陸の元武士の絵師長谷川等伯が戦乱の中大成し、
関係のある狩野派との確執を書いた様なものです。直木賞を取ったのですね。
当地に縁のある人に請れててきたそうです。
管兵衛と他の大名の勢力争いに宗教(キリスト教)も関係していると云うような話でした。
直木賞の凱旋講演ですね、忙しいでしょう。織田信長に関する新作を出したそうです。史実物は裏付け下調べが大変
な時間がかかるでしょう。本人はこれを読めば歴史感変わるでしょうといいました。
織田信長は好きな武将ではありません、大変な殺戮を行い、気に入らなければ身内でも断罪です。
その行動力と革新性を尊敬する人と挙げる人もいますが、その事を知っているのでしょうか。
太田牛一とかの側近が書いた日記が信長記の元と云いますが、それはお抱え記者と同じでは。
大河ドラマでは平清盛は不評でしたね。当然と思いました。琵琶法師や何人もの作者が事実を元にこうであろうと
熟成して来たものを、まるで自作の様に見方を変えてあるのです。素人の私でも違うやろ!と思いました。
私が尊敬する田辺真人氏(園田女子大教授)も、ラジオ関西(日曜10時)で若い落語家がオモシロかったら良いのではと云うと、分かっている史実まで変えてはいけないと云いました。落語や歌舞伎とお店(お見せ)が違うのです。
清盛役も少しコミカルに演じ、ちょけた感じで、清盛のイメージに合わず、期待していたのに残念でした。
講演のあと、等伯と新作の織田信長の本が有り、等伯を買いサインを貰いました。普通読んでない方を買うのですが
拒否反応があったようです。すぐ北に城跡の様な小山が見えます、町の中心を通り山の西南側に駐車場ありました。
最上山公園です。愛犬と5分程坂を上ると、もみじ山展望台です町が見張らせます。北に尾根道があり、篠の丸城跡
(官兵衛の居城かと云われている)方向。行かねばなりません、15分程か(?)急いで歩き汗が出ました。少しの
間に随分体力が落ちています。そうです筋力も性格も年を取れば恐ろしく変わるのです。諸行無常ですね。
城跡は北西(?)に続く尾根道の守りの様です。入口あたり自動車道もクロスして有りました。
山崎は。日帰り温泉も2か所知ります、車でR29北へ田井を左5分程、与井温泉は森の中いかにも温泉風です。
伊沢の里は町のすぐ北R429沿いにあり現代風です。駐車場も広くウオーキングの拠点にもなりそうです
(風呂入ってね!)。どちらも食事処が有り、入浴料6~7百円だったかな。千年藤の大歳神社もあり近くには(車で)
花菖蒲園や毎年の干支を稲穂で巨大に作る加茂神社あります。TV子連れ狼はじまりました。終わります

すこし放浪、縄文杉(昔)完結

2013-11-25 02:33:40 | 日記
ウイルソン株は形が変わっているから良く憶えています。400年程まえの切株です。近年植物学者のウイルソン氏
が世界に紹介したそうです、中は部屋ぐらいの空洞で空が見えます。祠も有ります。
島の人は巨木を神様と見て、永年切らなかったそうです。切り倒す時は恐ろしかったでしょう。
最初に斧を入れる時もですが、押しつぶされるかもしれない内部は如何したのでしょう。名が残るその人は、
大きな代償を得て、一目置かれ、すごせたのでしょうか。森の中はのんびり歩きました。
翁杉、大王杉、夫婦杉は何千年生きている仙人や巨人が悠然と立つ様です。
最初に走ったので、大株歩道入口から1時間半位で縄文杉に着きました。
見晴らしの良い所に姿良く立っていると想像していたが、それは意外なところで存在感を示していました。
背はそんなに高くないが、太い幹の肌は赤みが差し、血管の通る巨大な生物(神様)が黙って立っている様です。
昨日のロケット基地と対照的です。人間は自然にはかなわないと思いました。
砂を撒き、尊敬の念でそっと触れました(今は出来ない)。少し上に行くと大きな山小屋が有りました。
その先、遠くの山が見える尾根道の様な所で引き返しました。男女が上がってきて山小屋の距離を聞きました。
縄文杉を観ながら食事しました。そこには他に3人居ました。その日の縄文杉日帰りは7人(走り下りた人入れ)
でしょう。朝早く荒川登山口か白谷雲水峡をでた人は何処かで会うのです。一人旅のおばさん風の人が、道か時間の事
聞きました、頼りなげです。先に出発しました、私は2番目です。いずれ追いつくと思っていたが、
トロッコ道に来ても見えません。こつ然と消えた感じです。ああいう感じの人は案外強いのです。
枕木の上を、薄っぺらの靴で長時間歩いていると、衝撃で少し酔ってるようです。鉄橋の上は風が吹いていて、
少し不安でした。そのうち足の指が痛み出しました。ゆっくり歩いていると、例の男女が追い付いてきました。
「靴が合わないですわ」と云うと、若い男は関東弁で「私も同じだよ!」と行きました。二人はペースよく颯爽
と見えます。(あと、足の爪はほとんど内出血し、何か月も黒かったけど勲章の様で悪い気はしませんでした)
鉄橋で右岸に渡れば荒川登山口へ、ぼちぼち歩いても1時間掛かりません。小杉谷小学校跡寄りました。
校庭に入り「ここにいた人は今、、、!」と暫く居ました。ゆっくり歩き登山口着くと、もう帰ってると思った
二人はトランクを開け立っていました。挨拶のつもりで「今日は何処泊まるんですか」と云うと黙っていました。
煩わしい人と関わりたくないと思ったのでしょうか。
私は靴だけ履き替え先にでました。関西の気風と関東の気風だなと思いました。もう帰るだけです。
鹿児島行の船室広間では、島の若者3人が天文館に行くのでしょう楽しそうです。むこうの壁際には山ですれ違った
従妹に似た人が本を読んでいます。デッキに出て島を振り返り、また来るよと云った気がします。
一生もう会わないだろう人や事を、こんなに憶えているのは屋久島(縄文杉)の??力でしょうか。
今晩は何処で食事しようかな。。。


少し放浪、縄文杉(昔)8

2013-11-21 21:36:29 | 日記
早朝に起き、荒川登山口にいきました。すでに車のトランクを開け、用意している人がいます。
私は弁当の他なにも用意していません。仕事用の持ち物からブーツを選びました。水に強いと考えたのですが、
底は運動靴より薄いです。山登りは、装備より本人の体力と判断力(?)と思う方です(シェルパ族見て)。
登山口の空地はトロッコの操車場跡の感じです。川に沿ってあるトロッコ道で上を目指します。
30分程でしょうか橋を渡って左岸になります。下流方向は小杉谷小学校跡です。砂とビニール袋が有り、入れて持って上がります。
縄文杉の根が弱っているので、登山者に少しづつでも撒いてもらうためです。先を急ぎます、歩きにくいです、
線路横を歩いたり、枕木の上を歩いたり。枕木のほうに決めペースを上げました。
それまで前後していた若い男女がピッタリ後ろに着きました。服装、靴、感じ。山が趣味の様です。
話はしません、懸命に歩くだけです。
私が沢に降りて水を口飲みしている時も。線路上で止まって待ってくれるのです。変わったブーツに山林関係者とでも思ったのでしょうか。何度か鉄橋を渡りました。白っぽい大きな岩がひしめいてます。角が取れ表面がきれいです。
道は簡単で迷いません、時間がどれほど掛かるかだけです。
トロッコ道は左岸になってから1時間半、合計2時間程(早く歩いて)です。途中右手の山からトロッコ道に降りてくる、白谷雲水峡からの道が有りました。
トロッコ道の終点から右の山を急角度に上がって行きます。腰位ある岩の間を縫うように歩くのです。
私は岩の上を片足着地、踏み切り、走りました(自分でも、こんなことが出来るのかと思いました)。
地下足袋の底の様なブーツだから出来たのかも。女の人は上りに弱いのか、もう当分こないほど離れました。
少し横に入り立小便をしました(聖域と思い謝りました)。もうマイペースです。岩の間を大きなバックを背負った若い女の人が下りてきました。
大変そうです。こんにちわ!と云う顔は従妹の若い時そっくりです。女の人が山に一人で泊まるのかと思いました。
巨木の森になります。白人の若い男が駆け下りてきました。私より軽装です。
今考えたら最近流行っている、山を走るやつです。私は「放浪、山登り」。むこうは「ハイキング」です。
山に遊ぶという事では歴史が違うようです。六甲山のハイキングやルートを先駆けたのも、神戸の白人と聞きます。。