ウオーク。俳句。蜂

近畿周辺のハイキング、歩き、ドライブ、史跡めぐりと駄作の俳句、川柳などと
蜂蜜に関する雑学。

愛犬に誓う(4) 加西市笠松山、写真

2014-01-28 00:58:06 | 日記
モモ(愛犬)が捨てられた事が有ると分かったのは、車であちこち行きだしてから、山や野原はよろこんで行くのに私が知らない道、森の中など探る様に車で入って行くと(私はいろんなとこ行く)震えだすのです。
過去の雰囲気を憶えているのです。街の中に行くと目をキラキラとしてみています。
大体の察しは付きます。町に住んでいて何処かえ連れて行かれたのです。
そんな飼い主でも犬は帰ろうとしていたのです(私に会う前)不憫です。転々として私の家に来る事になって。私は良かったです、おそらくモモも。飼いだして最初の頃私が外で泊まる事になって、
妻とモモが暗い夜道を帰る時、車の後ろを向いてずっと吠えていて怖かったと。
又別れると、呼んでいたのです。今は深い絆です。11年で20万キロ位は車で一緒です、
鹿児島の空き家に時々帰るのもフェリーでなく陸路になりました(長距離の船はゲージに入れられる)。
犬もいろいろ考えているのが分かりました。叔父さんの家、
自分が到底かなわない大きな牛のそばでは見てない知らん振りをします。子牛を見るとライバル心か軽く吠えるのです。
方位も分かるのです。滞在が長くなった時、散歩に行くといつもと違う方向に何度も行くようになり、
お座り(おねだり)をするのです。何故か分かりました大阪方向なのです。もう帰ろうと云っているのです。
帰る時あんなに懐いてじゃれ着いていた叔父さんが別れにモモ!といっても知らん振りです。どうしたんだ可愛がって貰ったのに!
後でそうかと思いました。貰われたくないと思ったのでしょう。過去の経験からすごく敏感です。
帰るのは準備の時で分かっていいます。
私の親の時代の人はよく、動物を感情の無いただ(下等)の生き物と「犬畜生」と表現ししました。
私は見たのです、野性(野良)の幼子をもつ親がいかに偉いか。犬、猫、山鳩、犬では車で奥の細道の人の来ない寺、痩せこけた乳の大きい犬が寄って来るのです、乳が出るかどうか、探してもリンゴしかありません、それでも食べました。普段は来ないはず。小さな子がいるのでしょう。
猫では家の前カラカラと音がします見ると、缶詰めの空を子の為運んでいるのです、その親は5匹の子猫を引き連れ家に来ました。私と目が合うとそっと目を閉じ佇んでいます。敵意はない近づきたいと云う意味です。頼られたのです。5匹は性格も運命も色々でした。
キジバト(山鳩)の雛は可哀そうなことをしました。コッコポー、コッコポーと捜す親の声、
これはまたの機会に書きます。山鳩の賢さを観ました。公園にいると近くの樹でバサバサと大きな音がして
羽が飛び散る中、2羽の鳥が一直線になって飛んで来ます。前方は山鳩、後方は小型の鷹です。
鳩は糞のような物もとばしています。汚されると思い手を振りました。鳩は引きつけ方向変換しました。
鷹はその時点で私を見たのでしょう。スピードが緩み逃げられました。20メートル2~3秒の事です。
私は0点何秒で状況判断し、反応する仕事を何千回もしました。ゆっくり見届けました。
鳩は方向変換を一呼吸遅らせました。鷹は鳩に集中していて、私を見て驚いたのでしょう。
私を利用したのです。やくざに追われた人が警察に逃げる様なもんです。動物は過酷な条件で生き延びる
能力を持っているのです。1歳や2歳の子(人なら)が手ぶらで金も持たず毎日食事して地図も持たず
何千キロも移動したり。人は自分だけが偉いと勘違いして動物の意外な能力に驚くのでは。
私の母は神仏、人(自分)。と位置づけ、動物ははるか下の畜生です(実際仏教でわそうですね)。
モモもそれを見抜いているのか、大好きなチーズで釣ってもずーと懐きません。。続きです。

モモと加西市笠松山(古法華公園)展望台上る。R372善坊の北西、善坊中学の西。北条鉄道播磨下里からでも1時間半位で登れる
低い山が輪の様に有る。車道で突き抜けるとキャンプ場。輪の中お寺(ここから最短、40分?)、岩場、鎖場。細い尾根道、吊り橋(コースによる)短距離だが見所一杯。家族でも行ける面白いコース。写真5枚下
















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