字遊業の自由帖・ネタ帖 ~過去・現在~ 

日記風でなく、過去に作ったり書いたりしたもの、仕事で入力した文章を
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なでしこ雄姿、闘病に勇気 “分身ボード”で安藤選手応援

2011年08月07日 | 【がんを学ぶ 青葉の会】

サッカー:女子W杯 なでしこから勇気 がん患者の会代表、安藤選手応援--福岡
 ◇なでしこ雄姿、闘病に勇気 “分身ボード”で安藤選手応援
 多くの人に感動を与えたサッカー女子W杯での「なでしこジャパン」の優勝。福岡市のがん患者とその家族でつくるNPO法人「がんを学ぶ青葉の会」(福岡市)の代表、松尾倶子(ともこ)さん(67)も勇気づけられた一人だ。家族ぐるみの付き合いというFWの安藤梢選手(29)のために手作りした応援ボードが毎試合、観客席で揺れ、安藤選手を鼓舞したが、松尾さんは「なでしこたちに逆に励まされた。会員にもこの感動を伝えたい」と話している。【三木陽介】

 松尾さんは16年前に胃がんが見つかり、医師から余命半年の宣告を受けながら「絶対生きてやる」と治療を続けて克服。体験を基にがん患者とその家族が支え合える場を作りたいと、03年に青葉の会を設立した。会員約200人。がん治療の勉強会や講演会、交流会を開いている。

 松尾さんが安藤選手と知り合ったのは2年前。浦和レッズレディースからドイツリーグのデュイスブルクに移籍した安藤選手の通訳を、現地の中高一貫校で教員をする長女馨さん(42)が担当したことが、家族ぐるみの付き合いにつながった。

 松尾さんは6月に松山市であったW杯の壮行試合の応援に駆けつけた際、安藤選手に「W杯では応援グッズを届けるから」と約束。福岡に戻った後、青葉の会事務局長で印刷業の村田広志さん(63)と相談し、応援ボードを作ることを決めた。

 2人は毎試合テレビで観戦。応援席で応援ボードが画面に映るたび、村田さんは「自分の分身が行ったような気がしてうれしかった」。凱旋(がいせん)帰国した安藤選手は松尾さんに電話で「ピッチからもボードがよく見えました。勇気づけられました」と報告してくれたという。

 同会のポリシーは「あわてない、あせらない、あきらめない」。松尾さんは「なでしこの活躍は私たちの会の活動の励みになる」と話している

毎日新聞 7月23日夕刊記事 


「なでしこ」安藤選手をボードで応援  掲載記事

2011年08月07日 | 【がんを学ぶ 青葉の会】

「なでしこ」安藤選手をボードで応援 がん患者団体代表ら製作

ワールドカップのスタジアムの観客席に広げられた安藤選手の応援ボード(松尾馨さん提供)
安藤選手の応援ボードを製作した松尾倶子さん(左)と村田広志さん サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で優勝した「なでしこジャパン」のFW安藤梢選手(29)が、試合中に励みにしていた応援ボードがある。親交があった福岡市東区の松尾倶子(ともこ)さん(66)たちが製作し、現地で観戦する安藤選手の母親に送ったものだ。松尾さんは、がん患者とその家族でつくる同市のNPO法人「がんを学ぶ青葉の会」の代表。「最後まで諦めない姿は、がん患者にも勇気をくれた。今後もなでしこを応援したい」と話す。

 安藤選手はドイツ1部リーグに所属。ドイツ在住の松尾さんの長女馨さん(42)がドイツ語通訳を務めるなど、安藤選手を公私両面で支えてきた縁で、松尾さんも安藤選手と面識があった。

 今年6月、安藤選手も出場するサッカーの日本女子代表の国際親善試合が松山市であったが、観戦した松尾さんは、スタンドでの応援が、横断幕などが少なく地味なことに驚いたという。

 「W杯では盛大な応援が必要」と考え、「青葉の会」事務局長で印刷業の村田広志さん(63)=福岡市博多区=に協力を依頼。村田さんはA3用紙をラミネート加工し、安藤選手の名前や日の丸を記した応援ボードを製作、現地へ向かう宇都宮市在住の安藤選手の母親に送った。「試合のテレビ中継でボードが映るたびにうれしかった」と村田さんは笑う。

 決勝で米国を破り、世界一になったなでしこジャパン。後日、安藤選手から松尾さんや村田さんにお礼の電話があった。安藤選手は「ピッチからボードが見えて力をもらった」と話したという。

 15年前にスキルス性胃がんを発症、余命5カ月と1度は宣告されたが、病魔を乗り越えた松尾さん。「なでしこジャパンの明るく、諦めない姿勢は、多くのがん患者の励みになったはずだ」と語る。

 国内リーグが再開し、女子代表はロンドン五輪アジア最終予選を控える。松尾さんは「なでしこたちを今後も応援していきたい」と話している。

=2011/08/02付 西日本新聞朝刊=