韓国の宮廷(チャンドックン)へ
韓国へは、初でした。
お隣なのに、何故か行くチャンスが無く。。。
テレビでは、チャングムを見ていましたので、宮廷の
イメージは、していました。
都会のビル群のど真ん中に。。。。
時代の流れを感じますが、何ともタイムスリップした
ような感じになりました。
《敦化門トンファムン》
昌徳宮(チャンドックン) 入口の大きな門
太宗12年(1412年)、昌徳宮の正門として創建され、
ソウルに残っている木造の二層門としては、最古。
『敦化』・・・・とは、、、、
『王が大きな徳で情を持って民衆を教化する』という
意味があるんだそうですよ。。
そして、この門は、その朝鮮時代に、民衆に時間を
知らせる大切な役目も果たしていたようです。
太鼓を叩いて音を鳴らす事により、犯罪の防止に
なり、民衆の生活の安全を守ってたんですね。
朝鮮時代には、2階建の門楼に大きい太鼓と鐘が
あったようです。
正午には太鼓を叩いて、通行禁止の時間を
知らせていたようです。
通行禁止は、午後7時頃に28回太鼓を叩き、
通行解除は、夜明けの4時ごろに、鐘を33回
ついて知らせていたようです。
色んな役割を持っていたんですね。。。。
昔、100余年ほど前は、この宮廷があるソウルは
漢陽(ハンヤン)と呼ばれていたようです。
朝鮮の都だったんですね。。。
当時の、王や王妃が住む宮廷だったようですが、今回
訪れた昌徳宮、他には景福宮(キョクボックン)、昌慶宮、
徳寿宮などは、朝鮮時代の宮廷との事で、時代の流れ
で、戦争があり、火事がありで焼失したり、また立て直
されたりと、何度も困難を乗り越えてきた宮廷のようです。
そして、戦争が終わり、当時の『光海君クァンヘグン』
が王位継承した際に、真っ先に立て直したのが、
この昌徳宮だそうです。
ソウルにある5つの宮廷の中の一つで、1997年に
ユネスコ世界文化遺産に登録されています。
また、昌徳宮は、1405年、正宮である景福宮の
離宮として建造された宮殿で、光海君(1571-1641
李王朝第15代王)以降、約270年に渡って、李王朝
の政務が行われた王の御所だったようです。
また、景福宮の東に位置することから、『東宮』とも
呼ばれていたようです。
門の屋根の下には、綺麗な模様が描かれて、
つい見入ってしまいました。
こうして見ると、日本の神社仏閣等もかなり影響を
受けていると思いますね。。。
門を入ってすぐ。。。かなり広い。。。
この昌徳宮の敷地、全部で、135,000㎡。
その中には、13棟の宮殿の建物、北部分を占める
後苑には、28棟の楼閣。
今回は、時間の都合で全て回れず。。。
錦川橋という、600年程前に、造られた橋。
何やら、守り神的な動物がいました。
《仁政門》 インジョンムン
《仁政殿 インジョンジョン》
この建物は、昌徳宮の正殿。
王の即位式、臣下の朝礼式、韓国使臣の接見、など、
国の重要行事が行われる場所。
王の玉座
この石は、『品階石』というものだそうで、官僚の階級
を石に刻んで、式典の際、階級の高い人から、宮殿
に近く、階級順に並んでいたようです。
《宣政門》
日本の家屋でも見られますが、屋根に何かいます。
この石像達は、どうも、西遊記に出てくる、三蔵法師
御一行様との事でした。
中国の影響もかなりありますね。。
見えますか~、右から、先頭から三蔵法師、孫悟空、
猪八戒・・・・・と。
面白いですね。
実は、後でわかりますが、建物により、この三蔵法師
御一行様の数が違うんですよ。。。
どうも、重要な建物の屋根には、多くいるらしいです。
《宣政殿》
こちらは、王が臣下と国政を議論する場所として使って
いたところで、現在韓国に残っている唯一の青い瓦の
宮殿だそうです。。。
この日は、晴れていたので、色目が綺麗でした。。。
そして、この門をくぐると、、、、、
王と王妃の寝殿があります。
ここは、王の寝殿
向かい合わせの造りになっているので、中庭的な。。。
王や王妃をお世話したり、守ったりする女官たちの
小さな部屋もたくさんありました。
ここは、王妃の寝殿
王妃の椅子には、螺鈿細工が施されています。
文化は違えど、色々な物に興味が湧きました。
敷地も広く、昌徳宮全ては回れませんでしたが、
韓国の歴史にも少し触れられて、良かったです。
建物の模様の色彩が色鮮やかで、晴れた日は、
映えますね。。。
早咲きの、ツツジですかね。。
梅かな~。。。。
売店の中にも入って見ました。
これは、守り神みたいなもので、韓国では、
『ヘチ、またはヘテ』と言うようです。
獅子の子供らしくて、愛嬌があって可愛い。。
昔の、宮廷周辺の古地図ですね。
階級によって、衣服の色やデザインが違います。
これは、絵葉書になっていたものを撮影しました。
後ろに山が見えます。名前はわかりませんが、
手前の右手には、宮廷の建物の屋根、
左手には、現在の住居の建物が見えます。
この山は、悠久の時を超え、宮廷の歴史やその当初の
人たちをずっと見守ってきているんでしょうね。。。。
次の場所に移動する際に、車中から見つけました。
おまけ・・・・・《光化門クァンファムン》
景福宮(キョンボックン)の正門。
当初は、『四正門 サジョンムン』と言う名称で、太祖4年
の1395年に創建。
その後、1425年に、現在の『光化門』に名称変更。
文禄の役で景福宮と共に焼失。
約270年後の1864年、高宗1年、景福宮再建の際に、
その姿を取り戻したものの、日本植民地時代の1927年に
朝鮮総督府が景福宮東側に光化門を強制移転。
1950年の朝鮮戦争で再び焼失、1968年に鉄筋コンクリート
で復元されるという波乱の歴史を辿っているようです。
そして、高宗当時の元の位置に戻す為、約4年の復元工事
を経て、現在の新しい姿に生まれ変わったとの事です。
写真が小さいので、拡大して見て頂けるとわかりますが、
かなり大きい門でした。
次回、韓国に行くなら、宮廷めぐりのみしてみたいものです。。。
長々とご覧いただきありがとうございました。
春です、、、季節の変わり目ですので、
皆さん、体調には充分お気を付けて。。。。。
では、、、、、また。。
チャングムは、3回も見ていたので
宮廷の写真、楽しみにしていました♪
こんなに、たくさん、見せてもらって
あの時代に、タイムスリップしたようです
いいですね~この宮廷の雰囲気
トンファムンは、民にとって、
大事な役割を持っていたのですね
立派な門です^^
宮廷は、思っていたより、広いです
taneさんの、詳しい説明、よくわかりました
これだけの写真と文章、編集されるのに
大変だったと思います
見せていただいて、感謝です^^
これから、韓国ドラマ「馬医」を見ます^^
こんばんはぁ~。。。お待たせしましたぁ~。。。
ですが、実は、4回程、やり直したんです。
途中で、おかしくなってしまい。。。(ー_ー)!!
いえいえ、私がおかしくなったのではなく、
ブログの記事を書いている最中に、おかしくなり、何度も削除しては、やり直しました。。
ふぅ~、やっと終わりました。。。。
分けようと思いましたが、1つの宮廷だったので、長くなりましたが、こんな感じになりまた。
宮廷のお写真と詳しいご説明も有り難うございます。
大変でしたでしょう。お疲れでしたね。
私は韓流ドラマを見たことがないので、よけいに新鮮でした。
屋根が虹のようにたくさんの色で細かく塗られているのはとても綺麗です。
三蔵法師御一行様が飾られているのも驚きです。
屋根から眺めつつ守っていらっしゃるようですね。
この日は観光客の数はそれほどでもなかったのでしょうか?
それとも人のいない時を待って撮られたのかしら。
写真から、その時代の宮廷の静かな佇まいが感じられます。
こんばんはぁ。。。
この日は、昌徳宮は、意外に観光の方が
少なかったです。。
最後におまけで紹介している、景福宮の方が
門を見たときに、人が多いな、、と気づきました。
パンフが無くて、帰国してから写真を見て、
色々と調べました。。。
この忙しい時に、、、って思いましたが、これは
これで、いい勉強になりましたよ。。。
でも、韓国の宮廷には凄く興味が湧きました。。
commentの返信が遅くなりました。。
すみません。。。(^_^メ)
そろそろツツジが咲き始めています。
日陰ツツジ、三つ葉ツツジなどを見てきました。
おはようございます。
海外の情報、少しでも楽しんでくださって
良かったです。
確かに、宮廷内にもツツジが。。。
日本より韓国の方が寒いところですが、
春を感じましたよ。。。
また、綺麗な写真楽しみにしてます。
commentありがとうございます。
宮廷は、韓流ドラマと一緒ですね。
この写真は本当にいいですよね。
k-24さんも仰っているように、チャングムも
見ていましたので、韓国にも行ってみたいな~と感じました。
反日で嫌な想いはありませんでしたか?
若いころは海外も行きましたが、韓国は避けていました。
観光はしてみたいと思える写真ばかりでしたね。
こんばんはっ。。(#^.^#)
チャングムのイメージ通りって、感じでしたよ。
次回は宮廷めぐりのみ行ってみたいなぁ~と。
じっくり観るには、ただ、広すぎてかなり大変だと思います。
近くて、一番遠い国のイメージですが、
実際に行ってみると、結構いいものです。
食べ物も結構美味しくて。。。。(#^.^#)
機会があれば、是非、宮廷巡り、お薦めです。
commentありがとうございます。