長崎半島から西に約4.5km、三菱石炭鉱業㈱の主力炭鉱があった端島。
南北に約480m、東西に約160m、周囲約1200m、面積約63000㎡。
海底炭鉱の島で岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦『土佐』に
似ている事から、『軍艦島』と、呼ばれるようになりました。
現在は、無人で建物も廃墟と化してしまいましたが、出炭量の多い当時は、狭い島で多くの人が
生活するため、鉄筋コンクリート造の高層マンションが建設され、最盛期には約5300人もの人が
住んでいたようです。
この建物は、この島で一番の高級アパートだった模様
当時の東京都の人口密度の9倍もあったようです。
エネルギーの革命により、需要が石炭から石油に移り、出炭量・人口も徐々に減少しました。
昭和49年1月15日に、端島砿が閉山。その3か月後(同年、4月20日)に無人島になりました。
小・中学校の建物。
コンクリートの四角い枠は、ベルトコンベアーとして活躍。
命の階段と命名されていたようです。。。。
わかりますか? なぜこんな名前が付いたのか?
理由は、炭鉱員として働く方々の仕事がいかに命がけで、危険であるか、という事から
命の階段と言われたようです。
この話を聴いて、泣けてきました。。。。(T_T)/~~~
赤いレンガの建物は、事務所棟。
島の裏手側から見た様子。
潮風に吹かれても、めげないこの植物が、軍艦島の行く末を見守っていました。
ここのところ、忙しすぎて、余りにも更新していなかったので、、、、、、、
今回は、おまけ・・・・・・・・(^_^;)ヘヘッ
軍艦島へ行く途中、翌日の長崎帆船祭りに備えて、停泊している船がありました。
日本丸
韓国船
ロシア船
全体に帆がかかっていたら、もっと恰好良かったかも知れないですが。。。。。
あしからず。。。。。。。。。(*^_^*)
長崎編、次回へ・・・・・・・・・・。
ヴィーナスウィング (長崎女神大橋)橋長 1289m
あ~っ、今日は、東京出張だぁ~~~ (@_@;)
南北に約480m、東西に約160m、周囲約1200m、面積約63000㎡。
海底炭鉱の島で岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦『土佐』に
似ている事から、『軍艦島』と、呼ばれるようになりました。
現在は、無人で建物も廃墟と化してしまいましたが、出炭量の多い当時は、狭い島で多くの人が
生活するため、鉄筋コンクリート造の高層マンションが建設され、最盛期には約5300人もの人が
住んでいたようです。
この建物は、この島で一番の高級アパートだった模様
当時の東京都の人口密度の9倍もあったようです。
エネルギーの革命により、需要が石炭から石油に移り、出炭量・人口も徐々に減少しました。
昭和49年1月15日に、端島砿が閉山。その3か月後(同年、4月20日)に無人島になりました。
小・中学校の建物。
コンクリートの四角い枠は、ベルトコンベアーとして活躍。
命の階段と命名されていたようです。。。。
わかりますか? なぜこんな名前が付いたのか?
理由は、炭鉱員として働く方々の仕事がいかに命がけで、危険であるか、という事から
命の階段と言われたようです。
この話を聴いて、泣けてきました。。。。(T_T)/~~~
赤いレンガの建物は、事務所棟。
島の裏手側から見た様子。
潮風に吹かれても、めげないこの植物が、軍艦島の行く末を見守っていました。
ここのところ、忙しすぎて、余りにも更新していなかったので、、、、、、、
今回は、おまけ・・・・・・・・(^_^;)ヘヘッ
軍艦島へ行く途中、翌日の長崎帆船祭りに備えて、停泊している船がありました。
日本丸
韓国船
ロシア船
全体に帆がかかっていたら、もっと恰好良かったかも知れないですが。。。。。
あしからず。。。。。。。。。(*^_^*)
長崎編、次回へ・・・・・・・・・・。
ヴィーナスウィング (長崎女神大橋)橋長 1289m
あ~っ、今日は、東京出張だぁ~~~ (@_@;)
詳しいいろんなお話聞かせていただいて
ありがとうございます。
そういえば、いつかTVでやってたような気が・・・
乗り物としての船は、ちょっと苦手ですが
帆船は、見るのには とても素敵ですよね。
おっしゃるように帆をはってたら、もっとね
それにしても、あの時代にこんな高層マンションが建てられていたなんて凄いことです。
でも死と隣り合わせのお仕事で、家族も毎日無事を祈って過ごされていたわけですもんね。
無人島になっても、建物が残っていると、そのころの様子を想像で思い巡らせて、
タイムスリップしたような気になりますね。
長崎帆船祭りのためにやって来た帆船の美しいこと。
帆が張ってあると、より一層ね。
まさかマンションが建っていたとは、思いもしませんでした。
帆船はいいですよね。
帆を大きく膨らませて、風をうけ走る姿は爽やか。
ほんと帆が張ってなかったのが、残念でしたね。
お忙しいんですね、お身体気を付けて!!
確か上陸もできるんですよね。
廃墟好きにはたまらないんでしょうなぁ・・・
石炭の街はどこも昔は賑わっていたのに
廃れた後の街はどこも淋しいものですね。
ワタシの街も昔は炭鉱の街でしたが、
今は資料館程度に日本で唯一稼動はしているようです。
また出張ですか!
もうッほんとうにお体大切によー!
写真で見ると、また違ってみえます。
帆船達、またそれぞれに良さが。
でも、日本丸が一番素敵ですね
帆を張っていたら、もっと良かたんでしょうが、停泊中ですから
出張なんですか?
まだまだ、お忙しそうですね
コメントで皆さんがおっしゃるように、軍艦島とは凄いところに行って来られましたネ。
私も、TVの世界でしか観たことがありませんが、こうして、お写真でじっくり拝見しますと、日本の昭和からの時代の流れがひしひしと感じます。
無人島になってから、もう40年くらいになるのですね。
私の時代は、小中高とストーブは石炭の時代だったような気がします。 今に中国の地方と似ているような感じです。
10代前半の当時を思い出せば、自家用車が持てて、携帯電話で話しが出来、文字が送れ、インターネットが出来るなんて、全く想像もしませんでした。
自分の仕事でも同じような事が云えます。
VHSやBataからデジタルになってDVDやBlue-rayでの納品になるとは、約35年くらい前には想像も出来ませんでした。
それに、ビデオ編集も、テープの編集から、パソコンの編集になるとは・・・・・。 凄く変化の中を歩んで来たのだと改めて考えさせられました。
それにしても、「帆船」いいですね~~~‼
ここ信州は、海が全くありませんので、海とか船とか、強く憧れを持っています。
羨ましい限りです。
私でも、手持ち撮影ですと、これだけしっかりと水平をキープに出来ないと思います。
なかなかどうして・・・・だと思います。
こんばんは(*^_^*)chororiさん。
取材~~って、そんなぁ~、単なる旅行ですよ。
軍艦島はどうしても行きたかったのですよ。
ガイドのおじさんが、おもしろ、おかしく説明して下さって
楽しかったです。
帆船祭りは、時間が無くていけませんでしたが、
停泊している姿だけでも、写真に収めることができて
ラッキーヽ(^。^)ノでした。
こんばんは、グリーンさん。
この端島に上陸できるようになったのも
ここ数年の話のようでした。
まだ私が小さい頃、こんな小さな岩礁しかなかった島へ
石炭というエネルギー資源がたくさんあり、日本の
繁栄への礎を築いてきたという歴史は、凄い事だと
思いました。
廃墟を見ながらの過去の想像を絶する炭鉱員としての
仕事、命の階段を見てると、じんわりと熱くなるものが
ありました。
こんばんはヨッピーさん。
軍艦島への上陸は、ここ数年の旅行の中で、
一番感動するものでした。
廃墟と化していても、それまでの日本の歴史を
想像させる逞しい出来事があったんだと。。。
帆船はやはり帆を張ってるほうが、貫録もあって
堂々としてますよね。
でも、こういう景色もちょっといいのかな~、、、なんて。