※「白銀の墟 玄の月」のネタバレを含みますので、未読の方はどうぞ読了されてからご覧くださいませ
泰麒の角の回復がなぜ段階的だったのか、というところも想像の範囲ですが考察していきたいと思います。
泰麒の突然の不調の際に麒麟の力の回復があった一方、その後も徐々に力を増していき、しかしながら角の回復が遅れるような事態により、完全な回復には時間を要したのではないかと考えています。
泰麒は蓬莱で過ごしている間は、本来麒麟が摂取することができない食生活をしており、さらには『魔性の子』劇中にあるように様々な血の穢れ、怨詛により蓬莱から戻って来た際は重い穢瘁にかかっていました。
穢瘁が回復に影響していることを、麒麟の侍医である文遠も話しています。
“「――角は麒麟の生命の源でございます。それを斬る、などと。しかも故国で病まれたのですか。穢瘁さえなければお怪我も治ったことでございましょうに」”
[2巻 7章 p37]
蓬莱にいる間はほとんど角の回復がなれず、泰麒の角の回復は蓬莱から戻ってきてからだと考えられます。
「黄昏の岸 暁の天」でも、本来麒麟の身体に障る食事によって、治癒を損なったと記述があります。
“泰麒の身体は、蝕と当面の治癒とで正気を使い果たしていた。だが、それでもなお、治癒は進んだはずだった。長い年月をかければ、角の再生さえ不可能ではない。本来ならば。”
[「黄昏の岸 暁の天」p149]
蓬山で穢瘁を治してもらい、その後は麒麟らしい食生活をして、少しずつ回復していたのではないでしょうか。
しかし、白圭宮に戻って間も無く阿選に腕を切られ、深手を負っています。
阿選に切られた腕の傷が治っていない時期は、角の回復も遅れていたのではないかと考えます。
泰麒は恵棟を州宰に任じた時点では、まだ片腕を不自由にしている様子が描かれています。
[2巻 11章 p305]
さらに、正頼救出(失敗)とその後の応酬で泰麒は諸々無茶をしています。
耶利と項梁による見張りの排除による血の穢れ、自らの手による兵卒への傷害、さらには阿選に誓約を強要され、目から流血するほどに無理に平伏したことなどです。
[3巻 16章 p226]
これらの行為も穢瘁や身体の不調につながり、ひいては角の回復の遅れになったのではないか、それゆえ段階的な回復となったのではと考えます。
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