※「白銀の墟 玄の月」のネタバレを含みますので、未読の方はどうぞ読了されてからご覧くださいませ
小野不由美先生の十二国記最新刊、「白銀の墟 玄の月」のクライマックスで、泰麒の転変に驚いた方も多いのではないでしょうか。
泰麒の折れた角の治っていた時期について、それがいつだったかの検証をしていこうと思います。
まずは泰麒の王気が分かるようになった経緯を確認しながら、角の回復時期を検証します。
私は泰麒の角の回復時期について、過渡的だったのではないかと考えます。
なぜなら、王気を感じる様子が、段階的に描かれていると見受けられたからです。
まず角が治ったと思しき印象的な場面が、州宰の士遜と対峙した際に起きた、突然の不調のシーンです。
”そのときだった。泰麒が微かに声を上げた。足が止まり、一瞬、大きく天を仰いでから、がっくりとその場に膝を突いた。”
”床に手を突いた泰麒は肩で息をしている。顔を覗き込むと何かに驚いたように眼を瞠り、床の一点を見据えていた。”[2巻 9章 p159,160]
この突然の不調の時点で、角が回復し、麒麟としての力が戻ったとみて間違いないでしょう。
この不調になって以来の習慣として、泰麒は天候にかかわらず朝には庭園の路亭に出向いて北に向かい、何かを祈るように一礼するようになります。[2巻 9章 p187~]
項梁は路亭で北に向かって礼拝する意味を泰麒に問うて、文州に向かって祈っているのだと返され、文州で消息を絶った驍宗様を案じていたのだと、納得しています。[3巻 13章 p21]
これは驍宗様の王気が感じられるようになったことの証左と思われます。
ではこの段階で角が完全に治っていたのでしょうか。
私はこの時点では未だ角が治りきっていなかったのではないかと考えます。
麒麟としての力が完全には戻っていなかったと思われる根拠に、驍宗様の弾劾の場面、泰麒の様子に不可解な箇所があります。
”耶利が御簾越し、玉座のほうへと視線を投げたとき、泰麒がはっとしたように左手を見た。東の楼閣を凝視する。視線を追って耶利もまた東の楼閣に目をやった。怪訝に思って見守っているとすぐ、楼閣の扉が開いた。”[4巻 24章 p376]
驍宗様が弾劾の場に引き出される場面で、泰麒が突然王気に気づいたかのようなシーンです。
今までも王気を感じていたのであれば、突然王気に気づくというのには違和感があります。
単純に驍宗様が近づいたから王気がはっきりと感じられただけ、とも解釈できますが、ここでふと「黄昏の岸 暁の天」のふたつの場面が思い出されました。
ひとつは蓬莱に渡った神仙が歪んだ者になる、という説明のくだりです。
”――私の存在がこちらにいるときのように、きちんと形を保つことができたのは、主上が近くにいたときだけでした」”[「黄昏の岸 暁の天」 4章 p253]
絶えず存在を拒もうとする蓬莱において、主上を捜しに蓬莱へ渡り、王である陽子がそばにいたときだけ、確固として存在することができた、という景麒の言葉です。
もうひとつは泰王と離れた泰麒を心配し、廉麟が延王に言ったこちらの言葉です。
”「私たちは、王がおそばにいなければ生きていられないのですもの」”
”「国のため、民のためにあるのは、むしろ王です。私たちはその王のためにあります」”[「黄昏の岸 暁の天」 5章 p365]
麒麟は王のそばでしか生きられず、王のためにあるのだと、さらには王との別離は身体を裂かれることだと、廉麟の心情にありました。
引き離された王と麒麟が近づくことにより、麒麟としての本来の力が発揮されるのである、そう考えると泰麒の不可解な様子も説明がつくのではないでしょうか。
驍宗様が弾劾の場に引き出され、泰麒に近づいたことにより、泰麒の麒麟としての力が強く甦ったのでは、と考えることができます。それゆえ、驍宗様が近づいたことを端緒に、これまではそれほど強くは感じられなかった王気を、はっきりと感じられるようになった、そう解釈できるのではないでしょうか。
驍宗様と再開して、ようやく泰麒の角は完全な回復に至ったのではないかと思います。
(考えすぎかしら)
ワンコブログをやっていますが十二国記が大好きな私には嬉しいブログを発見出来て嬉しいです。
私も「いつからだろう?」と思っていたのでなるほど!って思いました。
続きを楽しみにしていますので~また遊びに来ます。
では。
はじめまして。
コメントありがとうございます。
十二国記がお好きな方に出会えて嬉しいです。
のんびりですが、また続きを書いて参りますので、今後ともどうぞよしなに…!