とき325号が中越地震で脱線したことは、今更書くまでもありません。
東京を16:20に発車した同列車(200系リニューアル10両、K25編成)は、
ダイヤ通りに運行し、長岡駅まであと8kmほどの滝谷トンネルを出たあたりで、
17:56頃、中越地震の揺れに見舞われ、6,7号車を除く8両が脱線。
そのまま、約1600m走行して停止したとされています。
→「上越新幹線脱線事故」 (Wikipedia)
ところで、もうだいぶ前に書かれたHPですが、
→「上越新幹線とき325号【ありがとう】」
こちらのフラッシュプレーヤーも・・(上のHPからもリンクしています)
→http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=8501
(他のフラッシュ「作品」もいくつかあるようです・・)
ここまで作る方がいるんですねぇ・・ちょっと泣けます・・。
K25編成(事故車両)は2005年春に廃車になったという情報もありますが、
どうなんでしょう? 車両の一部でも残っていないのでしょうか・・。
大宮に建設中の新「鉄道博物館」に是非、展示・一般公開してほしいものです。
------ 当時の報道より ------
新潟県中越地震で脱線した上越新幹線「とき325号」の乗務員らが脱線の瞬間や列車内の様子を克明に記録した「乗務日報」などの報告書から、発生から避難までの全容が明らかになった。乗務員らが最後尾の1号車に閉じ込められていた女性客を運転台によじ登って救出。激しい衝撃を受け、窓から火花が見えながら、落ち着いて助け合った乗客の様子も伝わってくる。
《運転士》
23日午後5時56分。時速195キロで走行中、滝谷トンネル(長さ2673m)を抜けた直後に「ドン」という衝撃で車体が浮き上がり、激しい横揺れが続いた。非常ブレーキをかけた。車輪が線路から外れ、架線からは火花が出た。運転台では早期地震検知システムによって送電が遮断され、ブザーが鳴り続けた。列車が止まるまでは乗馬をしているようだった。カバンから資料が飛び出し、棚から箱が落ちた。表示灯や電圧計が停電し、地震と確信した。
JR東日本によると、非常ブレーキの操作と検知システムの作動時間には0コンマ数秒しか差がなかった。関係者は「地震の直後の強い横揺れで先頭車両が脱線、最後尾も後で脱線した。中央部車両の車輪が線路内側にとどまろうと作用し横転を免れた」と推測する。
《車掌》
進行方向2両目の9号車で待機中だった。車輪が路盤の上を走行し、コンクリートのほこりで車外が包まれた。窓から火花が見えた直後、室内灯が消え、予備灯に切り替わった。停車後、車内放送で状況を説明。パニックにはならず、乗客同士で励まし合っていた。
午後6時半ごろ、車内販売員から「最後尾に20代の女性客が1人でいる」と連絡があった。運転士と出張で乗り合わせたJR東日本御茶ノ水駅員、販売員の4人で1号車に向かった。車体が30度も傾斜していたため1号車との連結部分のドアが動かなかった。
断続的に余震が続く中、運転士と駅員が2号車後部ドアから車外に飛び降り、運転士が駅員に支えられて1号車の運転台の窓から入り、乗客を降ろした。車掌と販売員が懐中電灯で足元を照らしながら乗客を2号車に引っ張り上げた。
運転士が車両やパンタグラフの損傷状況を調べ、乗客151人にけががなかったことを東京の新幹線運行本部指令に報告した。乗客には脱線していない号車に移動してもらった。トイレは使えた。
午後9時ごろ保線社員2人が到着。長岡駅員10人の到着を待ち、9号車右側にかけたハシゴで乗客に降車してもらった。
《販売員》
5号車にいたが、地震の衝撃でワゴン車と一緒に飛ばされ転倒した。停車後、強い余震で再び転倒し、乗客に助け起こされた。乗客に「1号車が傾いている」と言われ、車掌に伝えようとしたが、この時は5・6号車間のドアが開かず、6号車の乗客に「車掌に知らせて」と叫んだ。車内販売中、1号車に女性が1人でいたのを思い出し、心配になった。1号車の連結ドアが傾斜で開かないためドアのガラス越しに「大丈夫ですか」と声をかけると「1人なので怖い」と返事があった。
救出後、女性客の肩をさするなどスキンシップをとった。4号車に案内すると「空いている席に座って」と乗客が気遣ってくれた。「異常時に飲食物を確保すると乗客は落ち着く」と教育されていたのを思い出して車内販売用の飲料を持って車内を回った。乗客は譲り合いながら商品を手にした。
乗客には、車内放送と同内容で「長岡から応援が来ますので安心してください」と声をかけ、恐怖心を少しでも取り除くよう心がけた。乗客同士が慰め合い、車内の空気が和んだように感じた。
------------------------
地震発生時、とき325号の他にも、新潟県内を5本の新幹線が走行していたそうですが、
幸い、脱線というような大事故には至りませんでした。
しかし、停止したこれらの列車に乗車していた人たちも、すぐに避難できたわけでなく、
脱出には相当な時間がかかった車両もあったようです。(詳しくは検索して下さいね・・)
長野新幹線も、地震直後から、佐久平~高崎間で一時運転を見合わせました・・。
そう言えば、東海道新幹線でも以前、数十本の列車が立ち往生して、最大22時間遅れで到着した、
などという事例もありましたっけ・・。
結局、最後の対応は、「人の判断」に負うところも大きいですね・・。
東京を16:20に発車した同列車(200系リニューアル10両、K25編成)は、
ダイヤ通りに運行し、長岡駅まであと8kmほどの滝谷トンネルを出たあたりで、
17:56頃、中越地震の揺れに見舞われ、6,7号車を除く8両が脱線。
そのまま、約1600m走行して停止したとされています。
→「上越新幹線脱線事故」 (Wikipedia)
ところで、もうだいぶ前に書かれたHPですが、
→「上越新幹線とき325号【ありがとう】」
こちらのフラッシュプレーヤーも・・(上のHPからもリンクしています)
→http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=8501
(他のフラッシュ「作品」もいくつかあるようです・・)
ここまで作る方がいるんですねぇ・・ちょっと泣けます・・。
K25編成(事故車両)は2005年春に廃車になったという情報もありますが、
どうなんでしょう? 車両の一部でも残っていないのでしょうか・・。
大宮に建設中の新「鉄道博物館」に是非、展示・一般公開してほしいものです。
------ 当時の報道より ------
新潟県中越地震で脱線した上越新幹線「とき325号」の乗務員らが脱線の瞬間や列車内の様子を克明に記録した「乗務日報」などの報告書から、発生から避難までの全容が明らかになった。乗務員らが最後尾の1号車に閉じ込められていた女性客を運転台によじ登って救出。激しい衝撃を受け、窓から火花が見えながら、落ち着いて助け合った乗客の様子も伝わってくる。
《運転士》
23日午後5時56分。時速195キロで走行中、滝谷トンネル(長さ2673m)を抜けた直後に「ドン」という衝撃で車体が浮き上がり、激しい横揺れが続いた。非常ブレーキをかけた。車輪が線路から外れ、架線からは火花が出た。運転台では早期地震検知システムによって送電が遮断され、ブザーが鳴り続けた。列車が止まるまでは乗馬をしているようだった。カバンから資料が飛び出し、棚から箱が落ちた。表示灯や電圧計が停電し、地震と確信した。
JR東日本によると、非常ブレーキの操作と検知システムの作動時間には0コンマ数秒しか差がなかった。関係者は「地震の直後の強い横揺れで先頭車両が脱線、最後尾も後で脱線した。中央部車両の車輪が線路内側にとどまろうと作用し横転を免れた」と推測する。
《車掌》
進行方向2両目の9号車で待機中だった。車輪が路盤の上を走行し、コンクリートのほこりで車外が包まれた。窓から火花が見えた直後、室内灯が消え、予備灯に切り替わった。停車後、車内放送で状況を説明。パニックにはならず、乗客同士で励まし合っていた。
午後6時半ごろ、車内販売員から「最後尾に20代の女性客が1人でいる」と連絡があった。運転士と出張で乗り合わせたJR東日本御茶ノ水駅員、販売員の4人で1号車に向かった。車体が30度も傾斜していたため1号車との連結部分のドアが動かなかった。
断続的に余震が続く中、運転士と駅員が2号車後部ドアから車外に飛び降り、運転士が駅員に支えられて1号車の運転台の窓から入り、乗客を降ろした。車掌と販売員が懐中電灯で足元を照らしながら乗客を2号車に引っ張り上げた。
運転士が車両やパンタグラフの損傷状況を調べ、乗客151人にけががなかったことを東京の新幹線運行本部指令に報告した。乗客には脱線していない号車に移動してもらった。トイレは使えた。
午後9時ごろ保線社員2人が到着。長岡駅員10人の到着を待ち、9号車右側にかけたハシゴで乗客に降車してもらった。
《販売員》
5号車にいたが、地震の衝撃でワゴン車と一緒に飛ばされ転倒した。停車後、強い余震で再び転倒し、乗客に助け起こされた。乗客に「1号車が傾いている」と言われ、車掌に伝えようとしたが、この時は5・6号車間のドアが開かず、6号車の乗客に「車掌に知らせて」と叫んだ。車内販売中、1号車に女性が1人でいたのを思い出し、心配になった。1号車の連結ドアが傾斜で開かないためドアのガラス越しに「大丈夫ですか」と声をかけると「1人なので怖い」と返事があった。
救出後、女性客の肩をさするなどスキンシップをとった。4号車に案内すると「空いている席に座って」と乗客が気遣ってくれた。「異常時に飲食物を確保すると乗客は落ち着く」と教育されていたのを思い出して車内販売用の飲料を持って車内を回った。乗客は譲り合いながら商品を手にした。
乗客には、車内放送と同内容で「長岡から応援が来ますので安心してください」と声をかけ、恐怖心を少しでも取り除くよう心がけた。乗客同士が慰め合い、車内の空気が和んだように感じた。
------------------------
地震発生時、とき325号の他にも、新潟県内を5本の新幹線が走行していたそうですが、
幸い、脱線というような大事故には至りませんでした。
しかし、停止したこれらの列車に乗車していた人たちも、すぐに避難できたわけでなく、
脱出には相当な時間がかかった車両もあったようです。(詳しくは検索して下さいね・・)
長野新幹線も、地震直後から、佐久平~高崎間で一時運転を見合わせました・・。
そう言えば、東海道新幹線でも以前、数十本の列車が立ち往生して、最大22時間遅れで到着した、
などという事例もありましたっけ・・。
結局、最後の対応は、「人の判断」に負うところも大きいですね・・。
第1作目は、2ch での北海道新幹線スレで紹介されて、真面目な建設是非議論のネタになった記憶があります.
まぁ、それとはあまり関係なく、民主党の当時のアホな代表の着工反対の声が急速に小さくなって、この地震の2ヶ月後に、事実上の建設認可にやっとこぎつけた訳で・・・
しかし、いつの間にか8作もあるとは... ^^;;
北海道新幹線ですが、新函館から北も札幌までの全区間で地質調査が本格化しています。別枠の予算でいつでも着工できるようにしておく準備はしているようです。
移動のハンディ、さっさと解消して欲しいぞ < 国土交通省
いつも、どうもです・・コメント早っ!!
あの程度の脱線で済んだのは、車体や高架の構造なども幸いしての
奇跡的な事だったと思っています。
これが、東海道新幹線の軌道内で起きたら・・ということも、あちこち書かれていますね・・。
あと、上り対向列車も、750m手前で停止して、大惨事は免れた・・と。
ところで、Area51は、最北でも、函館までしか行ったことがありません(もちろん、列車で・・)。
(北海道は、これ1回きりです、今のところ・・)
>移動のハンディ、さっさと解消して欲しいぞ・・
お気持ち、わかりますねぇ・・。
ちょっと時刻表などを眺めながら、北海道内の列車の旅を考えていると、
移動だけでも結構時間がかかりますよね・・北海道は広~いです・・。
北海道新幹線は、「整備新幹線」でしょうか?
だとすると、並行在来線は、開業後は「第三セクター化?」・・。
それでなくとも、道内には、「三セク化」や廃線路線が多いですよね。
地理的に仕方ないのかもしれませんが・・。
たまたまだったらしい ^^;
東京へ行く時は、飛行機で何度も嫌な思いをしているので、出来るだけ列車+新幹線使うようにしています。10時間かかるけど... ^^;; 1回だけ、徹夜明けで寝たかったので、北斗星で東京に出向いたことも... ^^;;
>移動だけでも結構時間がかかりますよね
はい、場所によっては、鉄道で移動するより自分の車で出向いた方が安価で早いんです。そうでなくても多少時間かかっても、鉄道運賃が相対的にバカ高くなってしまっているので、自分の車で移動する割合が大きいですね。北海道内の場合。
幹線鉄道がミニ新幹線の最高速度(160km/h くらい)で近い将来には運行できないと、おそらく北海道内の鉄道路線はジリ貧を免れないです。それでも網走―札幌間なんかは、20年前から見たら、1時間は所要時間短くなったですが^^;
>北海道新幹線は、「整備新幹線」でしょうか?
です。江差線が並行在来線なんですが、来年あたりから新函館まで開通後、どうするのかの協議が始まるようです。
木古内までは、貨物が頻繁に走っているので、絶対に線路ははがせないということで、第3セクターにしてでも残すと思いますが、その先の江差までは、利用客も桁1つ少ないようで、廃止前の松前線よりも少ないようなので、バス転換という話しが出ているみたいです。
>道内には、「三セク化」や廃線路線が多い
正確なデータはわかりませんが、恐らく1980年頃から見たら、営業キロでも半分以下になっていると思います。
あんな大きな地震にも関わらず人的被害が小さかった事は驚きです。
普段から感じますが、雪や風で遅れる事は滅多にないので、上越新幹線は災害に強い新幹線だと思います。
ところで、どこかで、聞いた話なのですが、この「とき325号」に乗っていた車内販売の方は、今も仕事をされているそうです。恐怖にも負けずすごいと思いますね。
いつも乗っている新幹線なので、誰なのかな?なんて思います。
こちらでも、こんばんは。
新幹線通勤をされているのですね。高崎や熊谷あたりから仕事で
乗車される方も多いですよね。多分、「とき」や「あさま」の
自由席では座れないことも多いのでは?・・。
>雪や風で遅れる事は滅多にないので
そうですね。雪対策は万全ですね。在来線が雪で遅れても、
新幹線が遅れることは、ほとんどありません。
ただ、1991年9月の台風19号(いわゆる「リンゴ台風」)で、
強風で架線にビニールか何かが引っかかって、半日か1日ほど
運休したことがありました。上越新幹線開業以来の運休、と
当時報じられていたのを覚えています。
>この「とき325号」に乗っていた車内販売の方は、
>今も仕事をされているそうです。
そうなんですか・・。車販の方も、恐かったでしょうね。
もし、自分も乗車していたら・・冷静でいられただろうか、
他のお客様と励まし合い、協力できただろうか・・などと
考えてしまいます。