日々感謝しながら・・・

毎日が何事も無く過ぎる事の幸せに感謝しながら
庭の花々と日常生活でふと思う事等々を綴ります

走りに開眼?

2017年10月07日 | 振り返って思う事
2歳の時に<腸>の病気で医者から見放された<花爺>
祖父がどうせダメならと<大根湿布療法>をして治した
大根おろしを煮てガーゼに包みへその上に張り付ける
この荒療治で一命を取りとめたが今でもその火傷の痕が有る

以来・虚弱体質でガリガリに痩せていた<花爺>
60歳まで45キロを超えた事が無かった
ちなみに現在の身長は170cm。。。

なので小学校の運動会・中学校の体育祭は大嫌いだった

高校になった頃に3年間長距離を歩く通学路のお蔭で
痩身の体型は変わらなかったが足腰だけは強くなっていた

体育の時間長距離走(3~5km)になった時に<走り>に開眼
1 位は陸上部のA君だったが常に2位を取れるほどだったのだ
陸上部への勧誘も有ったが性格上もあり断った・・・

3年生の時A君から陸上部員と試合をしてみないか?の提案
彼はほんの遊びのつもりだったらしい・・・
3位以内に入ったら「部員が全員坊主になる」との約束
面白かったのでこの申し入れを受けた。。。
5kmの勝負・・・1年~3年の陸上部員17名が参加
やはり毎日練習をしている陸上部は強かった。。。
だが・結果は見事に3位に飛びこんだ・・・^^)/
陸上部全員が坊主にさせられた噂は校内中に広がった
高校駅伝にピンチヒッターで駆り出された事もあった
<長距離>を走る事がとても楽しい時代だった


庭で咲いている ホトトギス の真っ白な花 何故かかたまって咲いていました @@!






初めてづくし・・・

2017年10月06日 | 振り返って思う事
小学校の事を思い出し始めたら次から次へと記憶が蘇ってきた
しかし・いつまでもそこにこだわっていられないので次へ…

初の受験を経験して入った中学校は高校も有る私立の男子校
そしてこれも初の電車通学をする事になった。。。
同じ小学校からは10数名が入っていた
校服は今ではあまり見ない詰襟・鞄は肩掛けかばん
いずれも初めての事だった

入学式で全員が同じ制服を着た男子・・・50名×7クラス
<花爺>にとっては一種の恐怖感を覚えたのを覚えている

小学校時は昼食は<給食>だったがここでは弁当持参だった
元々<パン派>だったので購買部で毎日パンを買う事にした
甘い物好きだったので必ず一個はあんパンを買ったものだった

電車通学で記憶に残っているのは父と一緒の電車だった事
当時は前の駅から来る電車はほぼ満員状態だったので
唯一の当駅始発電車を待って通う事にしたのだった
毎日ドアが開くとよーいドン状態で席取り合戦・・・
少ししたら顔ぶれが同じで 皆 指定席状態になっていた
その折次駅に着くと下車駅がわかっているからなのでしょう
我々の席の前はドアが開くと同時に奪い合いの様に立たれた

学校は駅から遠くおよそ30分程歩いたところに有った
毎日の事だったのでこれによって足腰は鍛えられたと思う
鞄は登校時は右肩から下校時は左肩からと決められていた

女子が居なかったので学校は黒と白の2色の記憶しかなかった

授業では初めて<英語>を経験・どうしても馴染めなかった
今程・重要では無かった<英語> もっと勉強すべきだった

引っ込み思案の<花爺>にとってはこれと言った思い出が無い
只々<初めてづくしだった>事位の本当に味気ない時代だった
          
(続く)


野山でよく見る イヌタデ が庭で花を咲かせている







初の大親友が・・・

2017年10月05日 | 振り返って思う事
小学4年生の時だった人見知りの<花爺>に親友が出来た

2学期になった9月 一人の男の子が転校してきた
当時・二人掛けの机だったが<花爺>の隣は開いていた
転校生の彼が開いていた<花爺>の隣に座る事になった
O君
そう・昨日アップしたあのO君でした

いろいろと学校の事を教えているうちに
彼が<花爺>に似ている事を知った
家族構成が全く同じだった事も有った
両親と2人の妹・・・その妹2人が<花爺>の妹2人と同じ歳
環境が同じためだったからか彼も人見知りをするようだった
一気に仲良くなり 毎日どちらかの家で遊ぶようになった

彼の家は線路の向こう側の里山方面で自然豊かな処
我が家は海が近いという事で2人で遊ぶには事欠かなかった
丘や林や小川は 珍しく感じて楽しい遊び場だった
一方彼も広い海で潮が引いたら「潮干狩り」
夏は我が家から海水パンツ一丁で「海水浴」へ
共に一人でいるのが好きだったのがウソの様に毎日遊びまくったものだった

彼とは中学・高校も一緒だったが残念ながら
彼が野球部に入ったために日頃の行き来は途絶えてしまった

それでも大学時代に彼の父親の会社で共にアルバイトもした
レコードプレイヤーのターンテーブルに敷く丸いウレタン作りだった
ただ・飛び散るほこりがすごかったので短期間で止めさせてもらった

彼とはたまに会う程度になっていたが
お互いに社会人になった頃 親の仕事を継ぐと言っていた彼・・・
暫くしてから 入院したことを耳にした
気管支炎からの肺の病気と聞いた・・・

結婚して実家にいた時期に<花爺>を訪ねて来た日が有った
<花婆>さんは初対面となったが私は休日出勤していた

それからひと月もしないうちに彼の訃報を突然知らされた
初めて出来た大親友があっけなくこの世を去ってしまった 24歳だった

葬儀の時・位牌の前から離れようとしないお父さんの背中を見ながら
お母さんが<花爺>に涙ながらにこう言った
「私は お父さんの仕事を継ぐのは反対だった」
「もっと強く反対して一般の会社に入らせるべきだった」と・・・
でも<花爺>は彼の性格を知るのでそれをしなかった彼の事も良くわかった

結局・あのほこり(ウレタン埃)が肺を犯してしまったのが原因だったらしい

山・川・野原を駆け回って遊んだ小学時代の思い出だけが残った
その時の話を酒でも酌み交わしながら懐かしく話す相手が居なくなってしまった

今日は・いい思い出を残してくれた彼をしのびながらこの記事をアップした

(続く)


物干しに 赤とんぼ が止まっていた。。。秋なんだよな~



メドーセージ の花がまだ元気に咲いている・・・




いじめ?

2017年10月04日 | 振り返って思う事
小学6年生の時に<花爺>が味わった「いじめ」について
当時ガキ大将仲間たちはクラスメイトをよくからかっていた
今で言う「いじめ」だ・・・
当時は「いじめ」と言う言葉もない時代
「嫌がらせ」と言い子供同士間の事で問題にはならなかった
「嫌がらせ」の上が「仲間外れ」と言う「いじめ」だった
ある日突然<花爺>の周りに同級生が寄り付かなくなった
近寄ると逃げる様に散ってしまう・・・
初めは何が起きているのか訳が分からなかった

その日に帰宅すると仲良しだったU君がこっそりと訪ねてきた

そして「仲間外れ」にされた訳が分かった
何でも<花爺>がガキ大将の悪口を言いふらしたとか
全く身に覚えもなく言いふらすと言う程友達もいなかった
元々一人ぽっちが全く気にならない<花爺>だったので
親にも先生にもその事を話す事もしなかった
だからと言って学校に行き続けるのが<苦>では無かったのだ
4・5日経った時に・たまたまだったが祖父が亡くなった
葬儀の為に新潟へ行く事となり忌引き休みを取って休む事に
4日後・葬儀から帰って来たら事態は一変していた
ガキ大将ら数人が「ごめん…」と誤って来たのだ
ポカンとしていると先生が意味ありげに微笑んだ
後日・聞く事になったのだが・・・
実は休んだ3日目に仲良しだったO君の母親が学校に来て
「仲間外れ」の一件をクラスでお説教をしたらしい
先生も初耳だったのだがこの母親に任せた様だった
忌引き休みを知っていながら今で言う<登校拒否>にして
<花爺>が居なくなったらこのクラスが困る事も言ったとか
以来・ガキ大将が急接近し言う事をよく聞く様になった
そしてこの後はこういった行為は一切起きなかった
<花爺>にとっては何て事の無い事だったのだが
これを機会に「いじめ・嫌がらせ」を止めさせ様としたらしい
この一件・母親に先生から事情説明と謝罪がされたらしく
母はO君の母親にお礼方々こちらの事情も話した様だった
          

(続く)

鉢植えの<ゼラニュウム>が久しぶりに赤い花を咲かせていた

毎年庭にやって来る 冬鳥の<ヒヨドリ>も久しぶりに姿を見せた






学級崩壊?

2017年10月03日 | 振り返って思う事
この地(幕張)に移り住んだ我が家族 しばらくの間は
「よそ者」として扱われていた・・・
もの珍しそうに垣根からのぞく人たちに違和感を感じたものだ
多少人見知りをしていた<花爺>は中々近所の子とは遊べない
それに比べ妹2人はお隣に住む姉妹と楽しそうに遊んでいた
そんな時は我が家には母を含めて女性5人と男は一人となる
おままごと遊びではお父さん役で引っ張り出されての遊び
この地では女の子と遊ぶのは冷やかしの対象となっていた
男の子の友達もできないまま<読書>三昧の日々だった
この時読んでいたのは<偉人伝>・<剣豪物>だった
以後・歴史に詳しくなったのはこの時のお蔭だったようだ

学校では東京の時より少々遅れ気味だった授業だったので
成績は良く3年から6年まで<級長>にされていた
小さいながらも責任を感じて成績を維持すべく勉強もした
当時のクラスは40名ほどで学年は5クラスあった
<天文部>に入れられ天体についても詳しくなった
クラスでも「よそ者」扱いされ友達はほとんどいなかった
4・5年生になって他所から転校生が少しづつ増えて行き
その為 自然とクラスの中が2分化されていってしまった
その結果雰囲気が悪くなり5年生の時に事件は起きた
新任教師になったばかりの女性の先生が担任になった
するとガキ大将達が集団で先生を困らせ始めた。。。
「先生いじめ」とも言うべき状況になったのだ・・・
先生の言う事は聞かず授業中も勝手に騒ぎ全く授業が出来ない
<学級崩壊>とも言う状況に転校生の親たちが立ち上がった
学校もこの状況を打破しようと新しい先生を急遽呼んで交代
やって来た男の先生は新任早々の話の中でスパルタ教育宣言
毎日の様にビンタ・げんこつ・廊下立・バケツ持ちが行われた
何をしたらお仕置きされるのかを説明付きで教えてもらった
<花爺>も一度だったが<バケツ持ち>をさせられた
この先生のお蔭でクラスは段々一つになって行った
親たちは6年もこの先生にと学校や教育委員会に懇願したが
<学級直し>専門だからと言いながら次の学校へと移って行った
意外にも別れの日・叱られたガキ大将たちも涙を流していた
その後・TVで熱血教師物を見る度その先生を思い出している
          
(続く)

庭で咲いていて今が見ごろになった
タイワンホトトギス