9月下旬ころになると便漏れするようになり紙パンツをはかせるようになりました。
便の色も黄色から黒色の粘り気のある便に代わってきていました。
紙パンツを履いていても便意をもよおすとトイレに行き トイレに行く回数も昼間だけで20回ほど。
午前中は比較的安定していましたが 午後は毎日吐くようになり5~6回に増えています。
腹水も溜まりはじめ10月になると産み月の妊婦さんのようなお腹になりました。
「お腹 ポンポンに膨らんで苦しくない? お水抜いてもらおうか?」と尋ねると「大丈夫!」の返事。
そしてニコニコしながら自分のお腹を太鼓のように叩いて「いい音がするよ」などと言うのです。
本当にその音は美味しいスイカのような音がしました。
看護師さんもお医者様も「息子さんが大丈夫と言っている間はそのままにしましょう。
水は抜いても又すぐに溜まってきます。 息子さんが不快で我慢できなくなったら緩和ケア病棟で抜きましょう。
もし今緩和ケア病棟に行ってそのまま入院などになってしまったらそれこそ息子さんにとっては
不本意なことになってしまいますから。」の見解でした。
10月半ばになると何を飲んでも何を食べても 食べなくても吐くようになり
もう1日何回吐くなどど数えることさえできなくなり 毎日記録していた病状日記は10月14日で終わりにしました。
それでも息子は私と顔を見合わせればニコニコして「今吐いたけど 吐いちゃったからスッキリしたよ。
もう少し休んだら又食べられるから大丈夫」などと私が心配しないようにでしょうか そんなことを言うのです。
「じゃぁ 何がたべたいかな~?」「冷たいお蕎麦が食べたい!」お蕎麦をクタクタにゆでて
短めに切り そばつゆとネギのみじん切り ワサビ少々を添えて食べさせると美味しい美味しいと食べます。
そしてその後は食べた以上に吐いてしまいます。
私は背中をなでながら 「吐いちゃったけど 美味しく食べられてよかったね。美味しく食べられるのが一番だね。」
そんな生活でも大好きなお風呂は毎日欠かさず入っていました。
「お風呂が沸きました」のアナウンスが聞こえるとすぐ脱衣室に行き服を脱ぎ自分で浴槽に入ります。
時には浴槽の中で吐いてしまったり プリっと便が出てしまうこともありましたが
洗い場でシャワーをかけて良く洗えば良いことですので気にせずお風呂を楽しむことを優先させていましたが
それも10月28日で最後となりました。
その日お風呂に入った息子は浴槽から揚がることができなくなってしまったのです。
私が着の身着のまま浴槽に入りなんとか息子を浴槽から出しましたが
もう入浴は無理です。
この翌日29日からテープ式の本格的なオムツになりました。
せめてお風呂場であったかいシャワーをタップリ浴びさせたいと願った私は
ケアマネさんに連絡して
シャワー用の車椅子の購入とヘルパーさんの派遣をお願いしました。
この頃には看護師さんも週2回訪れています。
ヘルパーさんを週3回お願いして週5回シャワーが浴びられる体制になりましたが残念なことに
車椅子が届いた時にはシャワーさえ浴びられない体力になっていました。
それまで何回も帰省して介護を手伝ってくれていた次男が11月2日にも来てくれていてオムツ交換や
吐しゃ物ですぐ汚れてしまうペーパーシーツをマメに交換してくれていました。
11月3日いつものように早めに消灯しました。
いつもならすぐに眠りにつく息子が「クリスマスにはチョコレートケーキを食べて チキンを食べて・・・
お正月にはおじいちゃんのお家でおせち料理を食べるよ。 春になったら旅行に行って花見をするんだよね。
お母さんそうだよね!」と大きな声で繰り返し繰り返し言うのです。
そのたびに私も「そうだよ! 楽しいこと たくさんしようね!」と何度も答えていましたが
時計が0時を回るころ「〇〇ちゃん もう遅いし お母さんお腹が少し痛いから眠りたいな~・・・
〇〇ちゃんももう寝ようね。」と言うと息子が「僕もお腹が痛い!」と言うではありませんか。
楽しいことを想像しながら大きな声で喋り続けていたのは痛みを紛らわせるためだったことに気が付きました。
もう私はビックリして飛び起き処方されていた痛み止めを飲ませ看護師さんに連絡しました。
1時間経過しても痛みが治まらない時には座薬を挿入しても良いということで1時過ぎ
処方されていた座薬を挿入して息子のお腹を撫でながら様子を見ていると「K先生のところには行かないよ。
K先生のところには行かない!」と言い続けます。
K先生とは緩和ケア内科の先生でとても優しい先生です。
緩和ケア病棟のベッドをバックに取っておくため1度だけ診察していただいた先生です。
「お腹が痛くて我慢が出来ないときだけここに来ようね。」と言ってくれた先生です。
どうしても家にいたい息子は痛みを大きな声で話すことで紛らわせ我慢をしていたのでしょう。
そして不思議なことを言ったのです。「お父さん あそこに居るね!」って仏壇を指さし
小さい声でしたがハッキリと言ったのです。
私は「居るよ!あそこにお父さんが居るよ。〇〇ちゃんのことをずーっと見てくれているよ!」と とっさに答えました。
息子は大好きな父親が亡くなったことを認めることは無くよそ様の仏壇の前では手を合わせても
我が家の仏壇で手を合わせることは無かったのです。
そんな息子を夫は迎えに来たのでしょうか。
息子の眼には本当に父親が見えたのでしょうか。
まもなく息子が「痛みが治まってきたよ。 眠くなってきた」と言うので布団を直してあげて 私もベッドの横の布団で眠りにつきました。
朝5時過ぎ 「痛みはなくなったかな? 元気かな?」と声をかけながらベッドをのぞき込むと
いつもの笑顔のままの息子の顔が冷たくなっていました。
息子は大好きな夫の元に「お父さん お父さん」と呼びながら 翔け上がって行ったのだと思います。
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自閉症を伴う知的発達障害の息子は自閉的な部分を克服して思いやりのある
無垢な幼児の魂を持ったままスキルス胃がんという最悪の癌を受け入れて療養し46歳の人生を終えました。
私はこの息子を持ったことを誇りに思い 失ったことに深い悲しみを覚えています。
新しい年が間もなくやってくるこの時期 重苦しいブログの連続を申し訳なく思っております。
新しい年になりましたら 又 以前のような暮らしをしてカメラ片手に
出かけヘボ写真を撮りたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
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