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戦争開戦前に、徹底的に現状分析がなされたが・・・幻の報告書

2011-08-11 00:19:40 | 日記
☆《戦争開戦前に・・現状を詳細に分析した報告書が存在し
た・・しかし、現状認識を封印し、戦争は始められた・・
       その結果は悲惨そのものだった・・・》:

 70年前の日米開戦前に、日本の国力を正確に予測しながら、
葬り去られた幻の報告書が存在した。

 1939年9月、関東軍参謀部で満州国の建設主任から急きょ
帰国した陸軍中佐の秋丸次朗は、「戦争経済研究班」を取り
仕切って、その報告書を作成した。
 同班は「秋丸機関」と通称され知られた。
 秋丸は英米との戦争に耐えられるかどうかの分析を命じら
れ、東大教授の有沢広巳、後に一橋大学学長になる中山伊知
郎らの学者を集め、徹底的に調べた。
 20~30人の研究チームだった。
 調査対象は人口、資源、海運、産業など広い分野に及んだ。
 資料収集に苦労を重ねた。
 経済封鎖の日本。
 軍需産業育成にどれだけ力を注げるのか。
 英米との力の差は。
 分析が進んで行った。

 調査開始から1年半後の1941年半ば。
 12月8日の日米開戦まであと数カ月の時期に、陸軍首脳ら
に対する報告会が催された。
 秋丸は意を決して言った。
 「日本の経済力を1とすると、英米は合わせて20。日本は
2年間は蓄えを取り崩して戦えるが、それ以降は経済力は下
降線をたどり、逆に英米は上昇し始める。彼らとの戦力格差
は大きく、持久戦には耐えがたい」。
 これが秋丸機関の結論だった。

 列席したのは杉山元参謀総長ら陸軍の首脳約30人。
 じっと耳を傾けていた杉山がようやく口を開いた。
 「報告書はほぼ完壁で、非難すべき点はない」と報告書の
分析に敬意を示し、そして続けた「その結論は国策に反する。
報告書の謄写本はすべて燃やせ」。

 会議から帰って秋丸は報告書を焼却した。
 有沢は直ちに活動から手を引くように命じられた。
 秋丸機関はほどなく解散し、現状認識を封印した戦争が始
まった。
 結果は悲惨そのものであった。

 報告書の一部が秋丸の死後、遺品の中から発見された。
 詳細を極めた報告書であった。
               (参考:日経2011・1・3)