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(増補版)4A:気になった事柄を集めた年表(紀元前500万年~紀元前200万年)

2015-01-30 15:26:13 | 日記
 題:(増補版)4A:気になった事柄を集めた年表(紀元前500万年~紀元前200万年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
紀元前440万年、(朝日新聞、H6/9/22)に「人類最古の
 化石発見、エチオピア、440万年前の猿人」と報道がさ
 れていた。
  エチオピアで、日本・アメリカ・エチオピアなどの研
 究者による共同調査の成果。
  新種の猿人で、名前をアウストラロピテクス・ラミダ
 ス(ラミダス猿人)と名付けられた。
  この発見で、人類の歴史は、従来、考えられて来た事
 より、少なくとも数十万年はさかのぼることになる。
  猿人から、人類の祖先が進化したという過程の新たな
 化石が見つかったという事は、人類の起源と進化を探る
 大きな手掛かりとなりそうだ。
  化石が見つかったのは、アウシュ川中流のアラミス地
 域。
  発掘と調査は、東京大学の諏訪元講師たちのグループ
 が進めた。
  化石は、あごや腕の骨など計17点。
  数キロに渡って、鮮新世(約530万年前~約160万年
 前)の地層から発見された。
  年代測定の結果、約440万年前のものと分かり、これ
 まで見つかっているものの中で、最も古い人類のアファ
 ール猿人の化石より、更に、50万年~100万年近く古い。
  化石には、猿人と類人猿との中間的な要素が多くみら
 れる。
  だが、犬歯や頭骨底部の構造などに猿人の特徴が強く
 表れており、猿人の一種で人類の祖先にあたると判断さ
 れた。
  名前のラミダスは現地語の「根(ルーツ)」を意味す
 る。
  腕や歯の特徴から、森林に近い環境で生活していたと
 考えられるが、足の骨などが見つかっておらず、どんな
 行動をしていたかまでは明らかではない。
  これまでの化石で見つかった最古の人類は、エチオピ
 アやタンザニアから発掘されたアファール猿人(アウス
 トラロピテクス・アファレンシス)だ。
  300万年前~400万年前頃に居たと考えられ、これを
 祖先としてアフリカヌス猿人やエチオピクス猿人などに
 つながったとみられる。
  人類の起源は、最近の遺伝子や化石の形態的な研究か
 ら500万年前頃との見方が強まっていたが、アファール
 猿人以前の人類の祖先を知る具体的な証拠はなかった。
  今回、見つかったラミダス猿人は、正に、このアファ
 ール猿人と人類の起源とのギャップを埋める「ミッシン
 グリンク(失われた環)」だ。
  500万年前からのわずか100万年ほどの間に、類人猿
 から猿人へ、二足歩行への移行を含む大きな変化があっ
 たかどうか、疑問視する見方もある。
  しかし、今回の化石は、中間的な特徴をかなり備えて
 おり、急速な進化を裏付けているようだ。
  「ヒトとサルとの分岐点が、500万年前ごろだったと
 考える上では有力な知見になる」という。
  「これが人類の第1号とは思わないが、見つかった最
 古の人類化石というだけで大きな意味がある」と、人類
 学者の間の評価は高い。
紀元前400万年、人類登場。アウストラロピテクス(猿人・
 エンジン)、現在、認められている最初の人類。身長:
 約125センチメートル、脳の大きさ:約450立方センチ。
  前かがみだが二本足で歩く。~160万年前。前記の朝
 日新聞の報道の通り、人類の歴史はさかのぼった。
紀元前400万年、ダーウィンは、1859年に大論争を巻き起
 こした。
  猿から人へのこの道筋を、彼も示すことが出来なかった。
  猿から人間が生まれたという、この中間の猿を見つけ
 なければ。
  ピテカントロプスと名付けられた。その化石を探そう
 とした。進化論。
  その後、ジャワ原人や北京原人が発見された。
  歯の形は現代人に近かった。
  猿と人との違いは、脳の大きさである。
  仮説を裏付ける化石がイギリスで見つかった。
  ピルトダウン人。猿に近い特徴であったが、脳の大き
 さは人に近かった。
  脳の大きさは、750グラムが猿と人間との境。しかし、
 偽物と分かった。
  人とオランウータンとを組み合わせたものであった。
  アフリカで、その20年後に発見があった。
  カタールという枯れた川と言う土地で発見があった。
  ルーシーと呼ばれた、アファール猿人である。
  450グラムの脳で、猿に近い脳の大きさであった。
  人間に近い二本足で歩く特徴もあった。
  ルーシーの歩き方は骨格から類推した。
  二本足で歩いていたという特徴が発見された。
  骨盤の形が、内蔵の重さを支えるように横に広がって
 いる、チンパンジーでは縦に広がっている。
  大腿骨の形も歩行をしてるという特徴を備えていた。
  二本で歩くという所は現代人と似ているが、脳は小さ
 い、チンパンジーと同じである。
  発達の最初は、二本足で歩くという事から始まった。
  腰が少し曲がっているが、しっかりと二本足で歩いて
 いる。
紀元前350万年、アフリカ大陸で人類が生まれた。
  人間の足跡の350万年前の化石がある。
  立って歩くという事は人間だけの特徴である。
  人は森にすむ猿から発達した。ある時、二本足で立った。
  ホモサピエンスと呼ばれる人間。
  人間の特徴は、言葉を話す、家族を持っている、など
 だが、二本で立って歩くのは最大の特徴である。
  恐竜の仲間のティラノサウルスも二本で立って歩くが、
 背骨をまっすぐにしていない。
  また、前後を天秤の様にバランスを取って歩いている。
  人間の歩き方は非常な特徴がある。バランスを取って
 歩いている最大の特徴であり、いつから歩いたかが最大
 の謎であった。
紀元前340万年~紀元前390万年、これまで見つかってい
 る最も古い人類の先祖=アファール猿人が生息した。
紀元前300万年~紀元前400万年、最古の人類であるエチ
 オピアやタンザニアから発掘されたアファール猿人(ア
 ウストラロピテクス・アファレンシス)。これを先祖と
 してアフリカヌス猿人やエチオピクス猿人などにつなが
 ったとみられる。
紀元前250万年、(朝日新聞、H11/4/23)に、「250万年
 前の人類、道具使い肉食」猿人から、現代人など「ホモ
 属」の人類につながる進化の道筋で、これまでの空白域
 を埋める約250万年前の新種猿人の化石を、日本・アメ
 リカ・エチオピアの研究チームがエチオピアで見つけた。
  23日付の米科学誌サイエンスに発表した。
  一緒に見つかった石器などから、道具を使って肉食を
 した最古の人類とみられている。
  化石が見つかったのは、アディスアベバから約250キ
 ロ北東の乾燥地帯。
  東京大学の諏訪元助教授や、米カリフォルニア大学バ
 ークリー校のティム・ホワイト教授らのチームが、1996
 年~1998年12月にかけて調査と発掘をした。
  6人分の頭部や腕、足の骨が得られ、年代測定で約250
 万年前のものと分かった。
  一部の頭骨と歯の大きさから新種の猿人と判定し、現
 地語の「驚き」を意味するアウストラロピテクス・ガル
 ヒと名付けられた。
  腕の長さは、過去に見つかった猿人に近いが、脚の長
 さは現代人に近かった。
  また、同じ地層から見つかった石器や馬などの骨の状
 態から、この猿人は、石器を使ってこれらの動物の肉を
 そいだり、骨髄を取るなどしたりしていたらしいと分か
 った。
  研究グループは、道具を使って肉食する種としては最
 古とみられるとしている。
  これまで道具を使って肉食をした例としては、約200
 万年前に居たホモ・ハビリスが最も古いとされていた。
  諏訪さんは、「肉食になって栄養状態も良くなり、そ
 の後の脳の発達につながった可能性もある」としている。
  アフリカでは、様々な猿人の化石が見つかっているが、
 300万年前~400万年前に居たと見られえるアファール
 猿人以降に、ホモ・ハビリスなど、ホモ属への枝分かれ
 が始まったとみられている。
  その途中をつなぐものとしては、200万年~300万年
 前に居たとされるアフリカヌス猿人が候補だったが、は
 っきりした証拠はなかった。
  今回の化石は、頭骨や歯の形などがアフリカヌス猿人
 とは異なり、アファール猿人の特徴を残していた。
  諏訪さんは、「今回の化石は、アファール猿人とホモ
 属とをつなぎ、現代人の祖先となり得ることが分かった」
 と話して居る。
  馬場国立科学博物館人類研究部長の話:「猿人からホ
 モ属へ進化する道筋としては、これまでアフリカヌス猿
 人から進化したのか、そうでないのかがあいまいだった
 が、今回の化石でアフリカヌスを経由しないで進化して
 いたことが、かなりはっきりしてきた。我々の祖先に直
 接つながる道筋が明らかになったことは、非常に意義深
 い」。
紀元前200万年、アフリカに、200万年前と思われる頃の
 ホモ・ハビリスから、アウストラロピテクス群、ジンジ
 ャントロプスを経て、50万年前のアトラントロプスに至
 る化石人類が存在する。
紀元前200万年、現代人の祖先のホモ・ハビリスが生息した。
紀元前200万年、人類の先祖が南アフリカの草原に出現する。
紀元前200万年~紀元前1万年、旧石器時代と言い、土器を
 作る知恵を持たない。石器だけの人類の時代。
紀元前200万年、ロブストス猿人が居た。脳の重さは500
 グラム。
  同じ地層から石器が発見された。
  脳が小さな猿人に石器が出来たのか?
  手の構造が石器を作るのを可能にしたのではないか。
  親指の骨が猿と違う。
  親指と人差し指で物を持つことができた。
  アファール猿人の手は、チンパンジーと似ている。
  ロブストス猿人は、器用で石器が作れた。
紀元前200万年~紀元前300万年、現代人の先祖のアフリカ
 ヌス猿人、絶滅したロブストス猿人やボイセイ猿人の祖
 先のエチオピクス猿人が生息した。
紀元前160万年、人類の先祖は、草原の生活で洗練された歩
 きをした。
  160万年前のホモエレクトス。
  画期的な進化が現れた。
  言葉が話せる脳の進化である。
  アファール猿人の場合は、喉の奥が広くなく、音の種
 類が狭かった。
  まっすぐ立つことによって、喉の奥に空間が出来た。
  複雑な音が出せるようになった。
  脳は、足や手が発達した後に与えられた。
  木から降りて、猿と違って、二本の足で歩った。
  2万年前のフランスの遺跡には、集団で馬を崖下に落と
 し、狩りをしていた。
  集団で複雑な役割分担をし、言葉で情報をやり取りした。
  アファール猿人から400万年が経っていた。
  人類は、またたく間に、地球の隅々に広がって行った。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
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(増補版)3A:気になった事柄を集めた年表(紀元前1億2000万年~紀元前500万年)

2015-01-30 02:02:41 | 日記
 題:(増補版)3A:気になった事柄を集めた年表(紀元前1億2000万年~紀元前500万年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
紀元前1億2000万年、日本で原始的な鳥類の化石が発見さ
 れた。
  福井県立恐竜博物館が発見した。
  全身骨格として国内最古。
  全長60センチメートル。
  翼を広げると1メートルの成体(読売、2015・1・6)
紀元前1億年、テラノサウルスという恐竜は、この白亜紀に
 大いに栄えたが、この後は、急に姿を消した。
紀元前1億年~紀元前1億3600万年、中生代 白亜紀 古白
 亜紀
紀元前9750万年、北海道夕張市の中生代白亜紀の地層から
 見つかった化石が草食恐竜・ノドサウルス科の頭骨の一
 部と歯と分かった。アジアでは初めての発見。
  化石は、露出した白亜紀後期セノマニアン(紀元前
 9750万年頃~紀元前9100万年頃)の地層から発見され
 た。
  推定体長は6~8メートル。
  ノドサウルスの化石は、これまで、北米やヨーロッパ
 で見つかっている。
  アジアでは、近縁のアンキロサウルス科の化石が、中
 国などで多数発見されているが、ノドザウルス科が見つ
 かったのは初めて。
紀元前6500万年、衛星が地球に衝突した。
  恐竜絶滅の原因とされているこの隕石落下は、ユカタ
 ン半島に落ちた隕石とされている。
  その為に気候変動が起きた。
  メキシコのユカタン半島には、直径、約180キロの大
 クレーターが見つかっている。
  巨大隕石が落ちると、舞い上がった大量のチリが天空
 に舞い、太陽光を遮り、また、地表を覆って、気温が急
 激に低下すると言われている。
紀元前6600万年、大型恐竜が絶滅した。300種類以上、居
 ただろうと想像されている(中生代の終わり)。
  哺乳類は、体温が一定で一年中活動ができ、この頃か
 ら動物の王者となる。
紀元前6500万年~紀元前1億3500万年、中生代、白亜紀、
 新白亜紀、哺乳類の先祖が現れた。
紀元前6500万年~紀元前150万年、新生代第三紀(クジラ、
 鳥類、食肉類、サル、ヒト、ウマ、ゾウ、有袋類)。
  古い順に暁新生、始新生、漸新生、中新生、鮮新生と
 いう。
紀元前6500万年、衛星衝突の影響から生き残れたグルガト
 リウス(猿の仲間)は、果物や昆虫を食べていた。
  これが猿の先祖であり、遠い人類の先祖である。
  恐竜の絶滅以後、熱帯雨林が繁殖していた。
  猿もこの森の中に居た。
  森は、豊富な果物に恵まれていた。
  豊かな安全な森の中で猿は種類を増やした。
  人類の先祖につながる猿もこの森で生まれた。
  キリスト教は、突然、アダムと言う男が飛び出してく
 るが、キリスト教の神が創ったと言って、
  そして、そのアダムの体の一部の骨でイブと言う女性
 を、キリスト教の神が創ったと言って作り出すが、こん
 な話は、当然、あり得ない。
  男に従属して創られたというキリスト教女性像は、キ
 リスト教の底流に大きく流れている『女性蔑視観念』。
  それは、地域宗教観に大きく影響を受けている。
紀元前5400万年~紀元前6500万年、新生代、第三紀、暁
 新生、
紀元前5000万年、恐竜も居ない世界、400種の昆虫がいた。
  哺乳類も種類を増やしていた。
  恐竜が居た時は、ひっそりと生きていた生物たちであ
 る。
  リスは、木の実を集め、土に埋める。
  食べられなかった木の実は、春に確実に芽を出す事が
 できる。
  生態系のネットワークが発達した。
  多種多様な生物が森を形成していった。
  木が倒れるとキノコの菌類が生え、それを餌にする虫
 がつく。
  シロアリは、枯れ木のクズを餌にしている。そして、
 肥料化している。
  シロアリは、窒素を取り込んで肥料を作っている。シ
 ロアリの体内のバクテリアの作用である。
  森の肥沃な土地は、小さな生物によって作られている。
  水の循環と関係がある。
  大量の水分が雲を生む。雨を生む。
  植物は、大気の炭酸ガスを吸い、酸素を生む。
  熱帯雨林では、半分の酸素が作られている。地球の生
 命は共生態である。
紀元前5000万年前、この頃、鳥の種類が爆発的に増えた。
  これは、日本を含む世界の20か国が鳥ゲノム分析を4
 年をかけて解読して分かった。
紀元前3700万年~紀元前5400万年、新生代、第三紀、始
 新生、
紀元前2600万年~紀元前3700万年、新生代、第三紀、漸
 新生、
紀元前1800万年、ルシンガ島で、人類の先祖につながる猿
 の手掛かりが発見された。
  1800万年前の骨で、人類につながる猿の骨だった。
  プロコンスルと呼ばれた猿で、指が長く、木をしっか
 り掴んでいた。
  歯にも特徴があった。
  現在、奥歯の奥がふくらんでいる(臼歯)のは類人猿
 と人間だけである。
  この猿は、1日のほとんどを木の上に住んでいた。
紀元前1800万年、400万年前に現代人は生まれていたが、
 プロポンスルは4本足で歩いていた。1800万年前~400
 万年前の間の空白の時間が謎であった。森にその謎を解
 くヒントがあった。
  森には豊富な食料があった。
  1800万年前のプロホンスルは、豊富な果物を食べてい
 ただろう。
  その子孫が、アフリカにいるチンパンジーである。
  遺伝子が人間に一番近く、人間の先祖もチンパンジー
 と同じような生活をしていた。
  ニューヨーク州立大学は、チンパンジーを歩かせ、筋
 肉の使われ方を研究している。
  その結果、二本足歩行で中殿筋が一番使われる事が分
 かった。
  中殿筋は、バランスをとって歩くには大切な筋肉で、
 普通の動作時には、この筋肉は使われていない。
  しかし、木の幹を登る時には、盛んに中殿筋は使われ
 る事が分かった。
  幹をよじ登る時の後ろ足が、体を持ち上げる動作や二
 本足で歩く動作の練習となっていたのである。
  木から木へ移る時は手でぶら下がる、これも背筋が伸
 び、歩く動作に必要な背骨を真っ直ぐにする練習となっ
 ていた。
  森の木の上のプロポンスル、その子孫で次第に大型に
 なったものもあった。
  それが、人類とチンパンジーとの共通の先祖であった。
  では、人類とチンパンジーを分けた出来事とは何か?
紀元前1350万年、西南日本・中央構造線の北側に噴出した
 溶岩で、主に讃岐(香川県坂出市付近)で算出する石。
紀元前700万年~紀元前2600万年、新生代、第三紀、中新
 生、
紀元前500万年、アフリカで人類の先祖が生まれた。
  最初の人類は、猿と同じ能力しか持っていなかった。
  草原に出た人類は、脳を大きくして行った。
  そして、アジア、ヨーロッパ、オセアニアに広がって
 行った。
紀元前500万年、人類とチンパンジーを分けた出来事とは
 何か?
  国立遺伝子学研究所の宝来博士は、遺伝子を調べてい
 る。
  人類とチンパンジーは、490万年前頃に分岐した(誤
 差は20万年)。
  500万年前に分かれたと考えても良い。
  アフリカを襲った大異変があった。
  地下変動である。
  火山は火を噴いた。
  アフリカ大陸の下のマントルが地表を100メートルも
 押し上げた。
  隆起させられた地表は、広大なアフリカ大陸の森の中
 を南北に走り、山脈を形成し、大陸を東西に分けた。
  その東西を分断した山脈は、東西の行き来を出来なく
 した。
  東側の土地は乾燥し、西側の土地には雨が降った。
  東側は草原となって行った。そして、森林は消えて行
 った。
  木の上に居た人類とチンパンジーの共通の先祖は草原
 の生活を強いられた。
  それが『人類への進化』をもたらした。
  東側の地域で化石が発見された。それはラハール猿人
 と呼ばれた。
  発掘された骨と同じ土壌の花粉を分析し、猿人の住ん
 でいた環境を調べてみた。
  草原の植物であるイネ科の植物が発見された。
  ラハール猿人は、草原に住んでいたことが証明された。
  森は次第に消えて行き、草原が開けて行った。
  ラハール猿人は木から降り、だんだん地上で生活する
 ようになって行った。
  豊かな森は消え、ラハール猿人は、小さな森から森へ
 と草原を歩いて渡って行った。
  住み慣れた森から森へ渡るときには、二本足で歩く歩
 行現象が起こった。
  現在のチンパンジーは、西側の大陸の木のある森で生
 活し、そのまま現在まで進化してきた。
  二本足で歩く機能を持ちながら、それを発達させなか
 った。
  草原が無ければ、東側も二本足で歩くことが起こらな
 かったかもしれない。
  森は楽園であったが、その森が無くなった事が二本足
 で歩くきっかけを作った。
  現在の人類は、二本足で歩いているが、猿の特徴をま
 だいっぱい持っている。
  草原は新しい環境であった。
  ラハール猿人は、だんだんその環境に適応していった。
  草原は、森と違って危険がいっぱいあった。
  肉食動物であるヒョウは、木の上に獲物を引っ張り上
 げた。
  そのヒョウの食べ残しがある洞窟の中で、ラハール猿
 人の化石は発見された。
  当時の人類も、ヒョウの餌食になっていたという事で
 ある。
..
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