この度、蓮田市役所の蓮田市議会議長室に作品を展示していただくことになりました。
議長室に作品をと、構想が持ち上がったのは2か月前の6月23日のことでした。
7月3日、議長室で作品の方向性について打ち合わせしました。いくつか字句の候補を提案しましたが、「閙熱(どうねつ)」に決定することは難しいことではありませんでした。
蓮田駅西口の『蓮田車站納地之記』碑にある言葉です。この碑の撰文及び書は中島撫山(なかじまぶざん、1829-1911)によります。
撫山は漢学者で、久喜に開いた私塾『幸魂教舎』は多数の門人を輩出し、偉大な教育者として知られます。
国語の教科書に掲載されている『山月記』の作者、中島敦は撫山の孫です。
「閙熱」は市井がにぎやかな様子を意味します。活気に満ちたまちづくりを念じて揮毫しました。
作品制作の様子について少しふれます。
夏季は高温のため硯から水分がどんどん蒸発し、思うような墨色を得難いため早朝の制作となりました。製作期間中は午前3時30分から磨墨を始めます。
使用した紙は因州(鳥取県)の和紙です。墨は奈良の墨で製造から60年ぐらい経っています。淡い茶色が幽けき世界観を表出します。
硯は宮城県の雄勝硯を使用しました。鋒鋩が大きくギシギシせずに磨墨できます。
筆は中国の山羊のノド下から胸の毛で貴重です。とびきり高価な用具用材を使用したわけではありませんが、仕上がりのイメージを具現化する為に選んだものを使用しました。
時間をかけて字形や線条を成熟させるいつもの手法とは異なり、今回に限っては完成のイメージが先行したので、瞬間的な集中力により作品を完成させました。
印を鈐す朱肉を印泥といいます。普段は黄色みの強い朱磦を好んで使いますが、本作には赤黒く強さのある美麗を使用しました。淡い墨色と深い赤の印泥の対比により作品がまとまりました。
かくして、 令和5年8月25日、議長室にて作品をお披露目する内覧会を開催しました。。たくさんの方々にご来場いただき、過分なお褒めのお言葉を頂戴しました。
勝浦敦蓮田市議会議長には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
拙作が末永く議長室で関係の皆様にご覧頂きますことを、願って已みません。
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