リニューアル☆姐さんの日記帳 gooバージョン

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孫気分

2016-01-17 12:22:57 | みんなの生活
医学の進歩はどこまで、人を救ったのだろうか???
逆に苦しんでいる人も多い気がする。

福祉の仕事を長年してきて思うのだが、
胃瘻なんてなかった頃の介護の方が自然に死を迎えることが出来たと思う。

最近『尊厳死』や『安楽死』が議論されているが、
認知症になる前に他の病気で死んでいたその時代・・・
もちろん、もっと苦しんだ人もいると思うよ。
糖尿病が進行し、失明した人も多かったと思うから、
進んで助かっている人も多いと思う。

筆頭は子どもだよね。
医学の進歩は子どもが死ななくなった。
子どもが肺炎なんかになった場合、育たずに死んでいた。
元気な子、しか、生き残らなかった。
そういう意味でも、昔は障害のある子は少なかったはず。
自然に亡くなっていた。
(まあ、自閉の一部は生き残っただろうけど、こっちは神隠しで亡くなった子もいただろうな。)

どっちがいいのか、悪いのか、分からない。

私は28で産んだ子が障害児だったので、高年齢出産には該当しない。
まあ、私は28で親の介護のキャリアも10年だったから、
内部はかなり、くたびれていたのかも知れないけど。

『不妊治療』もまた、
人を救っているのか、苦しめているのか、分からない、その一つである。

http://diamond.jp/articles/-/81090
の記事を読んで、ふと、思った。

私の身体は『古典的』というか、『本能的』というか、『自然の摂理』の
そのまんま、なんだな・・・

若い頃はとにかく、SEX、大好きだった。
とにかく、子どもが欲しかった。
淫乱っぽく感じ、悩んだこともあった。
しかし、これが、子どもを一人、産むとパタっと落ち着いた。

何だ?!私、子ども、欲しかっただけだったんだあ・・・

で、授乳期は落ち着いていたし、排卵もなく、
多分、その時期は子どもは欲しくなかったと思う。

その後、多分、31以降だと思う。
ずーっと二人目の子どもが欲しかった。
30歳前半までは子どもが欲しかったけど、あの頃、
もっとも人生が慌ただしかったとき。
メアリーが小学生になったときは、子どもは欲しいと思いつつ、
離婚に向かっているときだったから、
結果的にはさっさと別れていた方がチャンスはあったと思うけど、
そのときは他にやりようがなかった。

離婚して、落ち着いた、というのもある。
再び、子どもが欲しくなった。

そんな私の熱がフッと冷めたのが、41歳のお正月である。
42歳の誕生日の数ヶ月前である。
年が明けると、フッと、子どもがいらなくなった。
年末までは欲しかった子どもが。

記事で、妊活の限界点だったと知ったが、
自分の身体的にもそこが限界点だったようだ。
頭の方では理解していないのだが、
本能的には知っていた、ということになる。

今はすっかり、孫が欲しいよ。(^^;)

つーか、移動介護の仕事でも孫気分。

昨日、グループ活動で、小学生の子がいた。
10歳・・・と言えば、そう、子ども・子どもしていない。
しかし、まあ、知的な障害を持つ子は例に違わず、幼いし、
また、その子によるけれど、普通より、小さめの子も多い。

10歳といえば、教え盛り、というか、いろいろと社会的に教えていかなくてはならない。
しかし、私は何か、気分は、孫。

太陽の彼が言っていた「孫気分」というのが、よく分かった。

ただ、かわいいだけなのだ。
つい、甘く接してしまう。

冷静に考えると、まだ、息子、という年齢なのだけれど、
周りのヘルパーに「息子さんじゃないんですか?!」と言われたけれど、
気分は孫だった。
孫にすると、大きすぎるんだけどね。

メアリーがそれだけ大人びてきて、私はもう、子の出産は諦めているし、
孫のような感覚だった。
それだけ、私の身体はおばあちゃんに近づいているのだろう。

頭では気がつかないけれど、
身体的には意外と本能に忠実らしい、私。
自然とおばあちゃんになっていきます。


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