コレ、意味不明・・・
少なくとも私の感性には何も響かなかった。
じわじわと後から来るモノはあるのだが、なんともスッキリしないのだ。
ネットでの評判を見てみた。
ダメだと思っている人は『ストーリー』に注目する人らしい。
『表現』に注目する人は「素晴らしい!!」と思うらしい。
絵や表現は確かに風変わりというか、今風のアニメには縁遠い感じで、
私が思うに、昔のかみしばい風。
コレはコレで、原作の世界を大事にしている感じは受けた。
キャッチコピーの『かぐや姫の罪と罰』も私の頭では意味不明。
はっきりとしたモノは何も出てこない。
『アナと雪の女王』は
アンデルセン童話『雪の女王』が一応、原作だが、
アレンジしまくって、はっきり言って別の話になっている。
この『かぐや姫の物語』は『竹取物語』が原作なのだが、
アレンジしたいのか?したくないのか?がどっちつかずの印象を受けた。
『竹取物語』は日本最古だったか?世界最古だった?かのSF小説だと言われている。
この不思議な物語はある意味、意味不明だったから
語り継がれてきたようにも思う。
誰かが意味づけをしたくて、想像するには次世代に語り継ぐのがいいとは思う。
アレンジしやすい要素、というのだろうか???
オチがないのだ・・・
特に主題もない・・・
あるかもしれないが、誰にでも理解できるような教訓がない。
私の勝手なカテゴリーだと『浦島太郎』もそうである。
『桃太郎』は教訓もあればオチもある。
『舌切り雀』もね。
オチがない話は人々の解釈と想像がふくらむ。
何だったんだろう???と思う。
強いて言えば、難題を突きつけられた5人の貴公子の作ってきた物等は
ニセモノだったりするため、「ニセモノはバレる」が
教訓的要素かもしれないが。
『かぐや姫』も『竹取物語』も
何じゃこりゃあ?と思って読んだものである。
ただ、『竹取物語』は大人になってから5人の貴公子が
実在の人物(特に3人は本名。車持皇子は藤原不比等だと確定できる)だと知った。
もしかすると、政治的な批判等が込められているかもしれないらしい。
この映画でも何となく、宗教的な要素を込めていたが、
それもあるのかもしれない。
この『かぐや姫の物語』の中ではアレンジ部分は
もちろん、幼少期のエピソードであろう。
しかし、原作に忠実であるならば、アレは不要である。
途中で出てきた捨丸兄ちゃんが殴られるシーンもいらない。
最後に夢なのか現実なのかよく分からない。
捨丸兄ちゃんと空を飛ぶのも不要である。
天からの啓示でお金や布を受け取って、
都で姫を育てる事になってからの都での話、
行儀作法をならうとかは別にして、
5人の貴公子と帝の求婚は原作のままである。
そして、月に帰る話も。
アレンジするなら、もっとはっきりした『罪と罰』を描いて
汚れなき月(宗教的な話になるかもしれないが仏教の極楽浄土に対する憧れ)と
地上(俗世・人間界)の対比をしっかり描いて欲しかった。
あと、私が気に入らないのはあの『歌』である。
「♪待つとしきかば 今 帰りこむ」
これは在原行平の歌である。
百人一首でも有名な。
時代背景が違うと思う。
5人の貴公子の名前からすると、竹取物語の成立は奈良時代とされている。
もっとも現存する写本では室町時代の御光厳天皇のものが最古であり、
それ自体がアレンジ本の可能性もあるわけで、原作については
未だよく分かっていない。
通説は890年頃らしい。
一方在原行平は平成天皇の皇子:阿保親王の子、であり、
奈良時代に活躍した貴公子たちとでは時代が新しすぎる。
なので、かぐや姫が歌うのに違和感がある。
入れるなら、もっと昔のマイナーな歌を入れるべきだったと思う。
万葉集にも関連性が認められる歌があるそうだ。
変だ・・・
原作に忠実でありたいのなら、この変な時代の逆行は避けて欲しかった。
アレンジするならば、オチをつけるとか、
捨丸兄ちゃんの子を身ごもって天に昇るとか、
もっといろいろと違う要素を入れて欲しかった。
何とも中途半端さで後味の悪さが残った。
ジブリ映画はなんか、すっきりしないのも多いからね。
興行収入や観客動員数と、人気もちょっとズレているし。
金曜ロードショーなんかの視聴率で言うと、
『となりのトトロ』が人気だけど、
興行収入は低い方だし。
なんかすごい変なたとえだけど、
大川先生の「この馬に中途半端なしるしをつけるのは失礼ですよ。
本命にしないならば、無印です。」と言うようなのがピンと来る。
故大川先生は文字通り『競馬の神様』となった方だが、
有力馬に▲とか△とか変なしるしはつけなかった。
それと同様、中途半端なアレンジは原作に失礼だと思う。
まあ、私の感覚だけどね。
アレンジするなら『アナ雪』なみにアレンジするのが無印であり、
アレンジしないなら王道の本命馬のように
原作に忠実であって欲しい。
原作を変に傷つけて、作りかえた感じ。
もっとも竹取物語の原作者は不明なので、誰に対しての敬意か分からないが。
原作自体、どうなっているかも分からないので、
通説のものが原作通りかと言われれば、それも違う気もするが。
作り物の『蓬莱の玉の枝』のような作品に私は感じた。
職人が丹精込めて作ったけれど、所詮、ニセモノ・・・
そんな感じ。
まあ、無理矢理主題を考えるならば、
淡々とした悟りきった月の世界(極楽浄土か?)と汚れきった下界である地球。
月は変化のない汚れなき悟りの世界。
次回である地球は人を傷つけたり、傷ついたり、
生まれ、死に巡り巡る因果の諸行無常という常に変化のある世界。
で、汚れがあっても生きてるって素晴らしい?!
そんな感じかなあ?
月で感情なくたんたんと過ごす毎日と地球での変化に感情を揺さぶられて生きる日々では
どっちがいいのだろうか?
まあ、世界的な評価は高いようだけどね。
少なくとも私の感性には何も響かなかった。
じわじわと後から来るモノはあるのだが、なんともスッキリしないのだ。
ネットでの評判を見てみた。
ダメだと思っている人は『ストーリー』に注目する人らしい。
『表現』に注目する人は「素晴らしい!!」と思うらしい。
絵や表現は確かに風変わりというか、今風のアニメには縁遠い感じで、
私が思うに、昔のかみしばい風。
コレはコレで、原作の世界を大事にしている感じは受けた。
キャッチコピーの『かぐや姫の罪と罰』も私の頭では意味不明。
はっきりとしたモノは何も出てこない。
『アナと雪の女王』は
アンデルセン童話『雪の女王』が一応、原作だが、
アレンジしまくって、はっきり言って別の話になっている。
この『かぐや姫の物語』は『竹取物語』が原作なのだが、
アレンジしたいのか?したくないのか?がどっちつかずの印象を受けた。
『竹取物語』は日本最古だったか?世界最古だった?かのSF小説だと言われている。
この不思議な物語はある意味、意味不明だったから
語り継がれてきたようにも思う。
誰かが意味づけをしたくて、想像するには次世代に語り継ぐのがいいとは思う。
アレンジしやすい要素、というのだろうか???
オチがないのだ・・・
特に主題もない・・・
あるかもしれないが、誰にでも理解できるような教訓がない。
私の勝手なカテゴリーだと『浦島太郎』もそうである。
『桃太郎』は教訓もあればオチもある。
『舌切り雀』もね。
オチがない話は人々の解釈と想像がふくらむ。
何だったんだろう???と思う。
強いて言えば、難題を突きつけられた5人の貴公子の作ってきた物等は
ニセモノだったりするため、「ニセモノはバレる」が
教訓的要素かもしれないが。
『かぐや姫』も『竹取物語』も
何じゃこりゃあ?と思って読んだものである。
ただ、『竹取物語』は大人になってから5人の貴公子が
実在の人物(特に3人は本名。車持皇子は藤原不比等だと確定できる)だと知った。
もしかすると、政治的な批判等が込められているかもしれないらしい。
この映画でも何となく、宗教的な要素を込めていたが、
それもあるのかもしれない。
この『かぐや姫の物語』の中ではアレンジ部分は
もちろん、幼少期のエピソードであろう。
しかし、原作に忠実であるならば、アレは不要である。
途中で出てきた捨丸兄ちゃんが殴られるシーンもいらない。
最後に夢なのか現実なのかよく分からない。
捨丸兄ちゃんと空を飛ぶのも不要である。
天からの啓示でお金や布を受け取って、
都で姫を育てる事になってからの都での話、
行儀作法をならうとかは別にして、
5人の貴公子と帝の求婚は原作のままである。
そして、月に帰る話も。
アレンジするなら、もっとはっきりした『罪と罰』を描いて
汚れなき月(宗教的な話になるかもしれないが仏教の極楽浄土に対する憧れ)と
地上(俗世・人間界)の対比をしっかり描いて欲しかった。
あと、私が気に入らないのはあの『歌』である。
「♪待つとしきかば 今 帰りこむ」
これは在原行平の歌である。
百人一首でも有名な。
時代背景が違うと思う。
5人の貴公子の名前からすると、竹取物語の成立は奈良時代とされている。
もっとも現存する写本では室町時代の御光厳天皇のものが最古であり、
それ自体がアレンジ本の可能性もあるわけで、原作については
未だよく分かっていない。
通説は890年頃らしい。
一方在原行平は平成天皇の皇子:阿保親王の子、であり、
奈良時代に活躍した貴公子たちとでは時代が新しすぎる。
なので、かぐや姫が歌うのに違和感がある。
入れるなら、もっと昔のマイナーな歌を入れるべきだったと思う。
万葉集にも関連性が認められる歌があるそうだ。
変だ・・・
原作に忠実でありたいのなら、この変な時代の逆行は避けて欲しかった。
アレンジするならば、オチをつけるとか、
捨丸兄ちゃんの子を身ごもって天に昇るとか、
もっといろいろと違う要素を入れて欲しかった。
何とも中途半端さで後味の悪さが残った。
ジブリ映画はなんか、すっきりしないのも多いからね。
興行収入や観客動員数と、人気もちょっとズレているし。
金曜ロードショーなんかの視聴率で言うと、
『となりのトトロ』が人気だけど、
興行収入は低い方だし。
なんかすごい変なたとえだけど、
大川先生の「この馬に中途半端なしるしをつけるのは失礼ですよ。
本命にしないならば、無印です。」と言うようなのがピンと来る。
故大川先生は文字通り『競馬の神様』となった方だが、
有力馬に▲とか△とか変なしるしはつけなかった。
それと同様、中途半端なアレンジは原作に失礼だと思う。
まあ、私の感覚だけどね。
アレンジするなら『アナ雪』なみにアレンジするのが無印であり、
アレンジしないなら王道の本命馬のように
原作に忠実であって欲しい。
原作を変に傷つけて、作りかえた感じ。
もっとも竹取物語の原作者は不明なので、誰に対しての敬意か分からないが。
原作自体、どうなっているかも分からないので、
通説のものが原作通りかと言われれば、それも違う気もするが。
作り物の『蓬莱の玉の枝』のような作品に私は感じた。
職人が丹精込めて作ったけれど、所詮、ニセモノ・・・
そんな感じ。
まあ、無理矢理主題を考えるならば、
淡々とした悟りきった月の世界(極楽浄土か?)と汚れきった下界である地球。
月は変化のない汚れなき悟りの世界。
次回である地球は人を傷つけたり、傷ついたり、
生まれ、死に巡り巡る因果の諸行無常という常に変化のある世界。
で、汚れがあっても生きてるって素晴らしい?!
そんな感じかなあ?
月で感情なくたんたんと過ごす毎日と地球での変化に感情を揺さぶられて生きる日々では
どっちがいいのだろうか?
まあ、世界的な評価は高いようだけどね。