留年と退学・・・20xx年
3月、進級できなかったT彦は自宅に帰省し退学希望を申し出た。もう一年やってみてどうしても嫌なら退学もやむなしということになった。部活に関しては、悪ふざけが過ぎ出入り禁止になっている居酒屋も複数あり、居心地が悪く馴染めないと話していた。
部活の会合は、義母宅で・・・20xx年
20xx年のある休日、私達夫婦は義母宅を訪ねた。
その前年の4月に夫を亡くした義母(T彦の祖母)はT彦の大学のある町で一人暮らしを始めていた。その後大学を留年したT彦が私達の知らぬ間にその家に居候として転がり込んでいたのだ。
夫を亡くして寂しかった義母は、『大人になったT彦』を喜んで迎え入れた。その様子伺いに行った際のことである。義母の口からT彦の交友関係が話題に上った。
T彦が6~7人ほどお客を連れて来たというのである。『大学の部活動の会合』を開くための会場として選ばれたからだ、という。義母はたいそうご満悦だった。そして彼らを食事にまで連れて行った、と言うのだった。義母によれば.彼らは皆、T彦の先輩とのことで、和やかに雑談をしていたようだ。
その話の中に、時折り登場する一人の先輩がいた。紅一点であったその人は部活の話などせず、盛んに義母宅のいけ花・掛け軸などの調度品やセンスを褒めちぎっていたのだという。そして最後には『K子おばあちゃんへ』と、義母への宛名付きの置手紙をしていったという。
その『ファーストネーム』の宛名に何か引っ掛かるものがあり、『不自然』なことをする人だ、という印象が残った。これがT彦の入籍相手M子の情報に触れた最初である。
義母の話を聴くうちに部活の会合という名目の集まりにしてはその内容の不自然さも気になった。どうしても会合と主張するならば、なぜ彼らだけで話し合いのできる独立性の高い玄関脇の広い応接室を選択しなかったのか。義母が日常生活を営んでいる空間で、相談事や報告など活発な遣り取りが可能とは到底思えない。その部屋には仏壇もあり個人情報も満載なのだ。事実、義母が完全にその会合のメンバーの中に紛れ、取り込まれてしまっていた。
またこの日の会合の事は、部活の会報誌に『記録がない』ことが後に判明した。内輪のお楽しみ会や、バーベキューのことですら詳細に記録が残されているというのに、奇妙なことである。
これには理由がある。言わば先輩(M子)が、T彦の住まいに入り込むきっかけ作りをしたいがために自身の立場を私的に悪用したものだからだ。後輩の学生部員達を休日にもかかわらず総動員してカムフラージュした『架空の会合』であったのだ。先輩=M子発案によるM子主催のM子のための『部活の会合を装った偵察』と断言しても構わないだろう。(のちに、事実としてT彦も認めた)
ちなみにこの大学は昔も今も上下関係が厳しく、先輩に異を唱えることなど『絶対にできない』のだ、とされている。仮にあったとしても、それは異例中の異例なのだという。付き合わされた学生も気の毒である。
主人と私が件の先輩(M子)と面識を持つのは、これよりx年後の5月まで待たなければならなかった。