26.8.24(日)
めだかの学校を訪問。みんな元気に育っている。
さわをるいに託し、ウォーキングも兼ねて松山の街を歩く。
松山城二之丸近くにあるパーキングに車を停めて、坂の上の雲ミュージアムへ行く。
<坂の上の雲>
司馬遼太郎さんが40代のほぼすべてを費やして完成させた作品。松山出身の正岡子規、秋山好古、真之の兄弟を中心に多くの人物を登場させながら近代国家をめざす明治の日本が描かれています。初めて国民意識のなかで一定の資格さえ取れば博士にも官吏にも軍人にもなることができた時代、子規は新聞記者となり、近代俳句、短歌、文章の革新に力を注ぎます。一方、好古は陸軍で草創期の騎兵を育て、真之は海軍における近代戦術の基礎を確立、ともに日露戦争が勃発激動期を駆け抜けていきます。司馬さんはこの長編について「ばくぜんとした主題は日本人とはなにかということであり、それも、この作品の登場人物がおかれている条件下で考えてみたかった」と書いています。今の時代を生きる我々に多くの示唆を与えてくれるでしょう。※産経新聞夕刊連載(1968年4月22日~1972年8月4日)文芸春秋刊 ※坂の上の雲ミュージアム パンフレットより。
入館料400円
坂の道が続く洒落たミュージアム。設計は安藤忠雄氏。
<坂の上の雲>リレー形式で朗読が行われていた。
萬翠荘がみえる。
1968年から1972年にかけて産経新聞に連載された<坂の上の雲>が展示されている。
萬翠荘へ。
大正11年に旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨の別邸として建てられたフランス風洋館。
ロープウェイ街へ。
秋山兄弟生誕地へ向かう。
再びロープウェイ街へ戻り、松山城へ登る。
ロープウェイとリフトの駅。
松山城
秋山兄弟も夢と希望を胸に、この空を見上げていたのであろう。
眼下に城下町が開ける。
本丸から古町口へ登山道を下っていく。観光客は通らないローカルルート。
人気のない山道とは対照的な蝉の声が、去りゆく夏と儚い命を惜しむように夕暮れの城下町にいつまでも響き渡っていた。
ロシア兵墓地へ。
今我々に必要なものは国家を担うという気概と、正しく歴史を認識すること、そしてこのすばらしい日本に生まれてよかったという誇りである。
シベリア抑留から昨日で69年の歳月が過ぎた。
・・・ここはロシア兵墓地。
様々な想いが交錯する・・・少なくともここ松山のロシア兵墓地に眠る人々は、この国が世界にも稀で貴重な国家であることを知っているはずである。
さわを迎えに行き、るいと一緒にそらを連れて、地元の祭りに行った。
蝉の声、夏祭り、花火大会、盆踊り・・・この平和な日々、そしてこの国のかたちが未来永劫続きますようにと、坂の上の雲が語りかけてくる。