アラビア語に興味があります。

 イランはペルシア語の国です。トルコはトルコ語で、現代トルコ語はローマ字で表記されます。

カイロのコンクリート・バリケード

2012年02月12日 03時23分44秒 | アラブ・中東の現地の話
 カイロの在留邦人さんより、アハラーム・オンラインの「SCAFのコンクリート・バリケード」の記事 (SCAF = The Supreme Council of the Armed Forces المجلس الأعلى للقوات المسلحة‎ エジプト軍最高評議会)について教えていただきました。タハリール広場周辺で、道路がどんどん封鎖されていく様子を記述したものです。記事によると…

24 November – Mohamed Mahmoud Street wall

 
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 写真は大晦日。カイロ・アメリカン大学の図書館があった(既に新キャンパスに移転済み)ところです。これだけのブロックをどこから持ってきて、どうやって積み上げたのか…。ところが、日本時間で昨日夕方の日本テレビ news every を見て、呆然。ムバーラク辞任一周年のエジプト国内の模様を流していたとき、ちらっとここが映ったのですが、これらのコンクリート・ブロックが、地面近くを除き、ほぼ粉々に消え失せていました。これだけのブロックを、今度はどうやって破壊したのでしょうか。

17 December – Qasr El-Aini Street wall

 
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 写真は同じく大晦日。いつもは車がひっきりなしに通るのに、やけに静か…と思ったら、見事に封鎖されていました。写真の手前はもうタハリール広場で、その先に積まれているブロックが、この「カスル・エル=アイニ通りの壁」です。その左の、緑の網で覆われた建物は、昨年12月、デモ隊に放火されたエジプト学士院です。ナポレオンの『エジプト誌』の初版が焼失しました。

19 December – Sheikh Rehan Street and Youssef El-Guindy walls

 
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 写真は大晦日前日、シェイフ・リハーン通り。カイロ・アメリカン大学ダウンタウン・キャンパスのすぐ横です。画面右は、先程のエジプト学士院の建物です。

5 February – Fahmy Street, Mansour Street and El-Felaky Street walls

6 February – Noubar Street

 写真なし。ファラキ通り以外は場所も良くわかりません。

 以下は ahramonline に掲載されていたバリケードの地図です。クリックで拡大します。なお、CSF は、Central Security Forces の略。


エジプト人民議会でアザーンを唱えてしまった議員

2012年02月10日 03時29分55秒 | アラブ・中東の現地の話
 アラビア語学科の先輩に教えてもらった動画です。2012年2月7日、エジプトの人民議会で、マムドゥーハ・イスマーイール議員が、アスル(午後)の礼拝のアザーンを唱え始め、ムハンマド・サアド・エル=カタトニ議長(ムスリム同胞団の自由公正党)の止めるのも聞かず、アザーンを朗誦し続けたというものです。
  →نائب يرفع الأذان أثناء الجلسة ومشادة مع الكتاتني

 私はてっきり、サラフィー主義のヌール党(光の党)の議員かと思ったのですが、ウィキペディアによると、アサーラ党(حزب الأصالة 、アサーラとは、高貴な生まれであること、あるいは深く根付いていること)という別の党の党員。サラフィー主義に傾倒した弁護士で、エジプトのイスラム集団を弁護したことで知られるそうです。1月25日革命直後、ナフダ党(復興党)という政党を組織したものの、2011年9月にはアサーラ党と合併、マムドゥーハ自身は副党首となったとのこと。

 そのアサーラ党というのは、同じくウィキペディアによると、イスラーム主義政党。美徳党(حزب الفضيلة)の党首だったアーデル・アブデルマクスード・アフィーフィー少将が、美徳党から分かれた執行部のメンバーたちとともに、2011年7月、アサーラ党を結成。2011年10月23日、ヌール党(サラフィー主義政党)と建設・発展党(イスラーム集団の政党)とともに、「イスラーム・ブロック」の同盟を組んだものです。

 アザーン朗誦事件については、上記ウィキペディアのマムドゥーハ・イスマーイールの項にも説明が少しありますし、Library PressDisplayで検索したところ、いくつかの新聞記事もヒットしてきました。

 アッ=シャルク・ル=アウサト(中東新聞、ロンドン)の2012年2月8日号の「マムドゥーハ・イスマーイールはアッ=シャルク・ル=アウサトに”私はアザーンを続ける”と」という見出し一面記事では(記事では「サラフィー主義のアサーラ党」と明記)、

エジプトの人民会議(国会の下院)のサラフィー主義の議員マムドゥーハ・イスマーイール ―ー昨日、議会の審議中にアスルのアザーンを朗誦した― は、稀な事態に、以下のように言った: 自分は、議長ムハンマド・サアド・エル=カタトニ ―同胞団の指導者― への、礼拝の時刻に議会の会合を立たせるという自分の要求を貫徹する。

 そして、「もし、ムスリム同胞団が多数を占める議会が自分を罰するなら、それは(同胞)団史上の不名誉となるだろう」とも述べたとのこと。対するエル=カタトニ議長は、マムドゥーハ議員の行動を誇張とみなし、「彼は、イスラームにおいて、我々に勝るものではない」と言ったそうです。

~~~~~
選挙中に、エジプト人のお兄さんたちに聞いた話その1)
 ムスリム同胞団とヌール党は、同盟はしていないけれど、時折、協力はしている。例えば、ムスリム同胞団の候補が、ある選挙区で当選の見込みがないとき、他の政党に議席を取られるくらいなら、ヌール党の議員が当選してくれた方がましなので、決選投票などで、ヌール党の候補に投票するように、支持者に指示する。逆もまた然り。彼らは、組織力があるので、こういうことが可能である。

選挙中に、エジプト人のお兄さんたちに聞いた話その2)
 ムスリム同胞団とヌール党が、選挙で協力するなんてあり得ない。お互いに嫌い合っているのだから。

 →このアザーン事件を見ると、「その2」が正しかったような気がしますが、さて。

選挙中に、エジプト人のお兄さんたちに聞いた話その3)
 イスラーム系の政党は、国民に、調理油やお砂糖を配って、自分たちの候補に投票するようにと呼び掛けている。本当は違反だが、実際にはそういうことがまかり通っている。テレビで見たが、投票所から出てきた人に、どの党に投票したかとインタビューしたら、その人は、自分が何党に投票したのか、党の名前が言えなかった。

※エジプトの選挙では、非識字者用に、各候補者に記号(ラケット、ランプ、など具体的な物の絵)を与えているので、このようなことはあり得る。

【追記】 ちなみに、カイロの在留邦人の方によると、当日のアスルは、午後3時14分だったとのこと。

メッカ巡礼の予防接種

2012年02月09日 15時47分23秒 | イスラーム
 季節外れの話ですが、メッカ巡礼(大巡礼)に行くときには、こんなに予防接種が必要だそうです。

サウジアラビア:2011年 ハジ(Hajj)の参加条件 (品川イーストクリニック)

Hajj 1432H(2011年11月4日から9日)に参加する旅行者に対して次にあげるサウジアラビア保健省の条件と推奨が実施されます。

  • 髄膜炎菌: 2歳以上のすべての旅行者に対してサウジアラビア到着時に3年以上前に接種または10日以内に接種したものでない髄膜炎菌ワクチン4価(A-C-Y-W135)の接種証明書。追加として、アフリカの髄膜炎ベルト地帯にある国から到着するすべての人に対して化学的予防措置が執行されます。
  • ポリオ: ポリオ感染のある国(ブルキナファソ、コートジボアール、ガボン、ギニア、カザフスタン、ケニア、リベリア、マリ、モーリタニア、ネパール、ニジェール、コンゴ共和国、ロシア、セネガル、シエラレオネ、ソマリア、タジキスタン、トルクメニスタン、ウガンダ)からくる15歳未満のすべての旅行者は到着の少なくとも6週間前に経口ポリオワクチン接種をした証明が必要です。また、アフガニスタン、アンゴラ、チャド、コンゴ民主共和国、インド、ナイジェリア、パキスタン、スーダンからくる旅行者は年齢関係なく証明が必要です。免疫状態に関係なく、これらの旅行者には到着時に経口ポリオワクチンが与えられます。
  • 黄熱病: 国際保健規則に従って黄熱病感染リスクのある国から到着する旅行者には黄熱病のワクチン接種が求められます。ワクチンは少なくとも到着の10日前に接種、しかし10年以上前の接種ではないことが条件です。
  • インフルエンザ: サウジアラビアはすべての巡礼者、特に既存の症状がある人に対して季節性インフルエンザを推奨しています(必須ではありません。)。

サウジの条件に追加してすべての定期接種を最新の状態にしておくこと、成人してからポリオワクチンの接種がない人はポリオの追加接種をすること、初期シリーズを受けていないまたは終了させていない人は旅行前の1回の接種でも役に立ちます。


 …さすが世界規模の行事。毎年これやってるんだから大変です。。

Library PressDisplay

2012年02月07日 05時44分02秒 | アラビア語
 
(いずれもクリックで拡大)


 東京外国語大学付属図書館のウェブサイトを、たまたま閲覧しましたところ、今月から「ライブラリー・プレスディスプレイ(Library PressDisplay)」というデータベースが使えるようになっていたことを知りました。学外からでも利用できるそうです。

 そこで早速、パスワードを入れてアクセスしてみました。「世界92カ国(欧米、中南米、アジア諸国、中近東)で刊行されている48言語主要新聞1700紙を、オンタイムでオリジナル紙面のまま活用できます。」とのことで、試しにエジプトの新聞を調べてみると、アラビア語新聞が7紙、英字紙が2紙(うち1紙はインターナショナル・ヘラルド・トリビューン)、フランス語新聞1紙が利用可。

 検索をしてみました。مصر で検索を掛けたところ、画像左のように、各国のアラビア語新聞の記事がヒットしてきました。

 新聞そのものを読むことも可能です。画像右は、アハラーム新聞を閲覧し始めるところ。

 まー、びっくりです。せっかくですので、記事を読んでアラビア語の鍛錬、検索機能を使ってコーパス研究もどきなど、いろいろ有効利用したいと思います。

お茶屋のマムドゥーハ、いまだリビアから連絡なし。

2012年02月04日 00時34分22秒 | アラブ・中東の現地の話
 お茶屋のマムドゥーハがリビアに向かってから半月ほど過ぎました。いまだに電話はありません。

 日本でアラビア語を教えるリビア人の先生に、知り合いのエジプト人が、左官屋さんとして働くためにリビアに行ったと言いましたら、その先生いわく、
「リビアは今、政府がない、仕事もない、生活費が高い。
 弟に電話したら、『生活費が高いよ』と嘆いていた」
とのこと。

 たまたま買った週刊新潮(2012年2月9日号、125頁)に、”「カダフィ」懐古の声も上がる「中東混迷」” という記事が載っていました。

「カダフィを責める気はない。誰よりも憎いのは街を破壊したNATOだ」
「この国には、もう何も残っていない。カダフィの方が良かった」

といった、市民の声が紹介されています。カダフィは、実務にたけた官僚など、専門家を政府に配置していたのに対し、新政権は素人の寄せ集めで、選挙もまだ行なわれず、行政の遅れに、国民の不満がたまっているそうです。

 こんな状態で、左官屋さんの仕事などあるのでしょうか。とにかく今は、ひたすら連絡を待つのみです。


 参考:「カダフィが死んで浮かれてるリビア人はアホだな

サッカーの試合で暴動!

2012年02月03日 23時50分49秒 | アラブ・中東の現地の話
 2012年2月1日、エジプトのポート・サイド(ブール・サイード)で、アル=マスリ対アル=アハリのサッカーの試合が行なわれましたが、試合後、サポーター同士が乱闘となり、少なくとも74名が死亡したというニュース。私は早とちりで、負けたアル=アハリ(クラブW杯の試合で日本にも来たことがあり、2006年には世界第3位に輝いた)のサポーターが、やけになって暴力を振るい始めたのだと思い込んでいましたが、本当のところは、なぜか勝ったアル=マスリの方のサポーターが、アル=アハリのサポーター達を襲ったということでした。

 エジプト人の先生とお話したら、この事件に関して、ネット上では、サッカーのサポーターの喧嘩に見せかけた、政治的な作戦ではないかという意見が多く出ているとのこと。すなわち、サッカーのスタジアムで暴動を起こさせ、国民に、
「こんな状態では、まだまだ軍に政権を持ってもらって、しっかり締めつけてもらわなければ駄目だ」
と思わせるための、軍事政権側の、いわばヤラセではないかという推測です。

 別の報道では、逆に、アル=アハリのサポーターが、昨年のエジプト革命の後、民主化運動に一定の影響を与えたため、そのアル=アハリを弱体化させるために、治安当局が、アル=マスリ側サポーターの乱入を黙認したという陰謀説を紹介、この事件をきっかけに、民主化運動のグループが、軍政権に、改めて、民政移管を求めたとのこと。

 いずれにせよ、単なるサポーター同士の喧嘩では片付けられない事件のようです。

【追記 2012/02/05】 その後、こうした治安悪化を許している軍事政権への批判が強まり、各地でデモや抗議行動が起きていることが報じられています。さらには、そうしたデモ、抗議行動による治安悪化に乗じて、軍事政権側が自らの延命を図っているのでは?との報道もありました。せっかく議会選挙が(結果についての感想は置いておくとして)無事に終わったのに。

革命1周年

2012年01月25日 22時20分10秒 | アラブ・中東の現地の話
كل عام وأنتم بخير
ثورة سعيدة
25/Jan/2012

お茶屋のマムドゥーハ、リビアに行く

2012年01月14日 19時57分27秒 | アラブ・中東の現地の話
 カイロの定宿のある通りで、路上お茶屋を開いているマムドゥーハ氏が、リビアに出稼ぎに行くと言った。パスポートも取得し、ビザも取れる見込みで、アタバ広場から出るミクロバスも予約済みだという。何の仕事かと聞いたら、左官屋さんらしい。

「危なくないの?」

と、当然と思える疑問を呈したが、周りのエジプト人も、

「大丈夫だ。リビアはこれから、いろいろなものを建てるんだから」

と、まったく心配していない様子。

 トリポリまで、ミクロバスに揺られて丸2日の旅。バスの乗車賃だけで300ポンド(4千円弱)、とりあえずエジプトからは1000ポンド(13,000円ほど)くらいは持って行かなければという。日本円に換算すると、どうということもない金額だが、エジプトの物価を考えたら、少なくとも、「バス賃3万円」「とりあえず10万円くらい用立てておかないと」ぐらいの感覚だ。

 まして、マムドゥーハ氏の商売というのは、1杯1ポンドかそこら(私の推定)で、お客にお茶やコーヒーを出す路上お茶屋。さらには、年中、私なんかにお茶だ、トルコ・コーヒーだとご馳走してくれている。私だって、ご馳走してもらってばかりでは悪いと思い、良く写真を撮って、プリントしてプレゼントしていたが、写真でバスの切符は買えない。本当に1000ポンド、準備できるのか、できたのか、かなり心配なところだ。

 去年は、トクトク(三輪の簡易タクシー)の運転手になりたいが、トクトクを1台買うのには1万5000ポンド(約10万円)必要だ、と嘆いていた。因みに、日本人ムスリムの旅行者に聞いたら、その方の見たエジプトの新聞広告では、トクトク1台10万円では買えない、もっとする、とのことであった。


「トクトク」
(クリックで拡大)


「お給料、良いの?」
「違う違う、俺は会社で働くんじゃない。人のところで働くんだ」

 個人営業? リビアが本当に建築ブームなら、仕事もすぐ見つかるだろうが…。でも、カイロの往来で細々(ほそぼそ)とお茶を入れるだけで終わりたくない彼の気持ちもわかる気がした。

 電話番号を教えてくれと言ってくれたので、携帯電話の番号を、日本の国番号と一緒に書いて渡した。マムドゥーハ氏は、それをお財布に入れてくれた。リビアに着いて、落ち着いたら、連絡をくれると言った。

 旅立ちは今度の金曜日、20日。彼から電話が来るのは、いつになるだろうか。

モロヘイヤはスープじゃないんだ、おかずなんだ!

2012年01月04日 15時49分44秒 | アラブ料理その他
 地球の歩き方などに「モロヘイヤ・スープ」などと書かれていますが、モロヘイヤはスープじゃないんだ、おかずなんだ! 単体で飲むものではなくて、ご飯にかけたり、パンに付けたりして食べるんだ!

 例えば、とろろをお味噌汁のようなスープ類だと思いますか?違いますよね?ご飯と一緒に食べますよね?

 あれと同じです。とろろが「おかず」かと言われると、何か違う気もしますが、とにかくスープではありません。

 ですから、これからは、モロヘイヤ・スープと言ったり思ったりするのをやめよう! モロヘイヤはおかずなのです。

ナギーブ・マフフーズのカイロ3部作邦訳

2011年12月04日 22時08分22秒 | アラブ文化など
 アラブ初のノーベル文学賞受賞(1988年)作家である、ナギーブ・マフフーズ。その受賞作が『バイナル・カスライン』で、これは元アラビスト外交官の塙治夫氏により、受賞以前に邦訳され、河出書房新社より、上下2巻で出版されていました。

 このたび、その『バイナル・カスライン』を含む、ナギーブ・マフフーズのカイロ3部作が、同じく塙治夫氏によって、新完訳版としてお目見えします。邦訳タイトルは、それぞれ、

1.バイナル・カスライン → 張り出し窓の街
2.カスルッ・シャウク  → 欲望の裏通り
3.スッカレイヤ     → 夜明け

とのこと。ううむ、「欲望」以外の単語は、原題と関係ないものばかり…。

 『張り出し窓の街』の「張り出し窓」とは、出版元の国書刊行会のサイトによると、「張り出し窓は格子がはめ込まれ、女は中から外をのぞき見ることができるが、外からは見られず、古い社会習慣を代弁するもので、旧市街の民家に多い」ということなので、マシュラベイヤの窓のことでしょう。マシュラベイヤとは、飲む sh-r-b の語根から派生したことばで、独特のその「格子」のこと。格子を通して風が入ってくるので、その風で飲み物の入った壺を冷やすことができるからです。

 なお、エジプト大使館文化・教育・科学局ほかの主催で、「ナギーブ・マフフーズ その魅力のすべて」 という、生誕百年とカイロ三部作刊行記念の講演会も開催されるとのこと。

白い家

2011年11月29日 18時23分18秒 | アラビア語
 お恥ずかしいことに、モロッコの都市カサブランカの綴りを、先週くらいまでずっと Casa Blanca だと思っておりました。英和辞典を眺めて時間潰しをしていたら、偶然、Casablanca という綴りに出くわし、英語では、カサとブランカの間にスペースを入れないのかと驚き、ついでに、知り合いのスペイン語のたこ焼き村先生に、

「スペイン語でも、カサブランカは Casablanca とスペース抜きで綴るのですか?」

と質問したら、そうだとのこと。ちなみに、アメリカのホワイト・ハウスは、la Casa Blanca と、定冠詞付きで、カサとブランカを分けるそうです。

 昨日、某バイト先に小学館の西和中辞典があったので引いてみたところ、スペイン語の Casablanca カサブランカは、ポルトガル語の Casa Branca から来ており、やはり「白い家」が原義とのこと。その理由は、「1515年にポルトガル人がこの町を建設した時、ほとんどの家が白い色をしていたことから」だそうで、アラビア語の الدار البيضاء も、ポルトガルの名称からの直訳なのだそうです。

 ちなみに、アラビア語でホワイト・ハウスは、 البيت الأبيض ですので、カサブランカとは間違えにくくて良いと思います。

【追記 2011/11/30】一瞬、良いと思いましたが、違う言い回しを覚えないといけないのは、やはりつらかった(大袈裟か)記憶もあります。ううむ。

Sahlawayhi

2011年11月14日 03時12分44秒 | アラビア語
 昨年の夏にエジプトに行ったとき、昔の留学先の大学の図書館で机に向っていたら、留学時代に同じコースにいたアフメド(アフマドと書きたいところですが、本人が Ahmed と綴っているのでそれを尊重)が現れて、著書を1冊くれたのです。Sahlawayhi というシリーズで、アラビア語の入門書でした。偉大な文法学者シーバワイヒ سيبويه と、簡単なという形容詞の سهل を掛けたシリーズ名だそうです。

 翌日、また同じ机に向っていたら、またアフメドが現れて、
「これをあげましょう」
と、Sahlawayhi の別の巻をくれました。何と気前が良いのでしょう。私も何か持っていれば良かったのですが。

 その日頂いた巻は、限られた単語数で書かれた物語集。最初の物語は200語だけを使って書かれています。その200語のリストは、物語のあとに掲げられています。次の物語が229語、さらに次が246語、271語、303語…と徐々に語数が増えていく仕組みです。進出単語は、必ず、物語の最後にリストになって掲載されています。故に、学習者は、読解の授業の予習でありがちな、辞書ばかり引いているという状態には陥らずに済みます。

 今年の夏も、偶然、キャンパスでアフメドに会いました。少し、立ち話をしました。大学のアラビア語インスティテュートで先生をしているのかと思ったら、
「教えてはいない。本を書きに、図書館に来ているんだ」
とのこと。え、作家になったの!?とびっくりしつつ、別れました。

 先日、Arabic-L のメーリングリストで、Sahlawayhi の新しい巻の出たことが回ってきました。Sahlawayhi's Graded Stories for Intermediate Students, Level 4 だそうで、語数を抑えながら、ハール(状態)、絶対目的語等、いくつかの文法項目にも重点を置いた作りになっているとのこと。「本を書いている」と言っていたのは、これのことだったのかもしれません。

 本は、上記リンク先からも買えますし、いずれはアマゾン・ドット・コムでも買えるようになるようです。

 メーリング・リストのメールのおかげで、アフメドのメール・アドレスもわかったので、ちょっとメールを送ってみようかと思います。

mixiページ「アラビア語」

2011年11月13日 22時45分41秒 | アラブ関係URL
 ミクシィで「アラビア語」というページを作ってみました。まずますブログの更新が滞りそうですが。ともあれ、よろしくお願いいたします。

 URL: http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=141240

大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国

2011年11月13日 04時45分06秒 | アラブ関係URL
 アラビア語では、 الجماهيرية العربية الليبية الشعبية الإشتراكية العظمى だったそうですが、カダフィ大佐が亡くなって、リビアの国旗も変わったし、正式な国名も変わったはずだと思って調べたら、ただの「リビア」。外務省のリビアのサイトに「リビア」としか書かれていません。単純明快、ほんっっっっとにわかりやすい国名になりましたね…。

 で。偶然見つけた「カダフィが死んで浮かれてるリビア人はアホだな」はなかなか面白かったです。

『旅行人』No. 164

2011年07月11日 23時08分14秒 | アラビア語
 


 先月発売になった『旅行人』2011下期号に「シリア 祈りと寛容の地で」という記事が載っています。その中で、シリアの修道院での賛美歌について、歌詞のアラビア語に関して、ちょっとお手伝い(否、お手伝いというほどでさえないのですが)させていただき、アラビア文字とその訳が誌面に載りました。(楽譜は別の方が担当です。念のため。)

 掲載誌を頂戴し、ブログにも書こうと思っているうちに1ヶ月以上経ってしまいました。まだ手に入るようでしたら、どうかご一読ください。私の知らないアラブ世界でした。