生と死はつながっている。
どちらも循環の、とあるいち形態であって、生きている今は、死の側を忘れているだけだろう。
今朝の夢は、身近な知人が死に向かっていく夢で、私はそのことにやはり泰然とはいられない様子なのだが、その様子が大きなガラス窓越しに誰かから見られている。ガラス窓から覗く方は、一昨年亡くなられたバレエの俊徳先生だった!先生、夢に出てきてくださってありがとうございます。なんだか、お茶目な様子で覗かれていた。こちら側にきたって大丈夫だよ、心配しなくても、とでも言いたげな。
身体には限りがあって、今の生でできることは途中までだとしても、その願いはまた次の生にも引き継がれるのだろうなぁ。次の身体ではまた違うことを知り、違う角度からその願いをかなえようとするのだろう。つまり、願いとは、今世にはかなわないかもしれない夢で、動物たちはそのことを知っていて、淡々と助けてくれる。人よりも長生きの植物は身をもって循環をみせてくれる。
記憶は蓄積されて、地面のように当たり前に足下に敷き詰められる。
生きているうちに、ひとりひとりが願いをかなえることでその夢は開く。自分の願いはなにか。はじめはとても小さなことだ。でも、わかったらすっと口に出せば、次への扉があく。外からは見えない、自分のなかにあるとても小さな願い。赤ちゃんの時にはわかっていたそれをかなえることが、まず今世の第一歩なんだろうな。
どちらも循環の、とあるいち形態であって、生きている今は、死の側を忘れているだけだろう。
今朝の夢は、身近な知人が死に向かっていく夢で、私はそのことにやはり泰然とはいられない様子なのだが、その様子が大きなガラス窓越しに誰かから見られている。ガラス窓から覗く方は、一昨年亡くなられたバレエの俊徳先生だった!先生、夢に出てきてくださってありがとうございます。なんだか、お茶目な様子で覗かれていた。こちら側にきたって大丈夫だよ、心配しなくても、とでも言いたげな。
身体には限りがあって、今の生でできることは途中までだとしても、その願いはまた次の生にも引き継がれるのだろうなぁ。次の身体ではまた違うことを知り、違う角度からその願いをかなえようとするのだろう。つまり、願いとは、今世にはかなわないかもしれない夢で、動物たちはそのことを知っていて、淡々と助けてくれる。人よりも長生きの植物は身をもって循環をみせてくれる。
記憶は蓄積されて、地面のように当たり前に足下に敷き詰められる。
生きているうちに、ひとりひとりが願いをかなえることでその夢は開く。自分の願いはなにか。はじめはとても小さなことだ。でも、わかったらすっと口に出せば、次への扉があく。外からは見えない、自分のなかにあるとても小さな願い。赤ちゃんの時にはわかっていたそれをかなえることが、まず今世の第一歩なんだろうな。