無事、家にたどり着きました。
地震直後からの家にたどり着くまでの行動を振り返って見ます。
地震時にはちょうど説明員の休憩時間で会場の外で缶コーヒーを飲みながら休んでいました。
最初はちょっと揺れた感じだったのですが、だんだん揺れが大きくなり、スタッフの方が倒れそうなものを支え始めた。
「これはやばい!」
私は会場内の自分のブースに急いで戻ることにしたが、中から大勢の方が出てきていた。
その時には、大きな音を立てて建物が横揺れしていて、天井の照明・シャッターが揺れていた。
シャッターが大きな音を立てていたため、余計に不安をあおっていた感じもした。
私は、出てくる人と逆流する形で戻ろうとしていたのですが、その時に揺れがひどくなり、多くの女性が悲鳴を上げながら逃げてきたため、なかなか戻ることができなかった。
それでも会場内に入ることができた。逃げない人たちもできるだけ安全な太い柱の近くに集まっていた。ブースに戻ると、倒れそうなものはあらかじめ倒してあり、ブース内に入らないようにバリケードが作られていた。
私は自分のブースを確認しに行くと、ブースが壊れる恐れがあるので入らないように注意を受けた。確かに展示場のブースは簡単に作ってあるのを忘れていた。
ブースのほかに、家族のことも気になった。ものすごい揺れだったが、横揺れだったので震源は東京で無いと感じていた。静岡?いやな予感がしたので、嫁さんにTELした。しかし不通。メールだ!メールの送信を押し続けた。そんなことをしていると、震源が東北だという噂が流れてきた。
家族は大丈夫そうなので、これからどうするか?まだ、会場内には人がいっぱいいた。見学を続けている人もいた。
しかしそれどころではない、外では黒い煙をあげて燃えている建物もあるし、余震も続いていた。
しばらくすると、展示会は中止で外に逃げるように指示がでた。
私は地震慣れではないが、落ち着いていたので、みんなを見届けようとしていたが、私以上に落ち着いていたのがコンパニオンである。飛行機のキャビンアテンダントのようにテキパキと避難を呼びかけていた。こんな時の訓練を受けているのだろうか?きれいな女性だけでは無いようである。
私も屋外に出て、関係者が集められて「解散し家に帰るように指示がでた。」
しかし、すでに帰る手段が無い。
ゆりかもめは動いていない。
シーサイドラインは動いていない。
残りはバスである。バス停には長蛇の列ができていたが、バスを降りてもその後の交通手段が無いことは確かであるため、私はその場に残ることを選択した。
帰宅難民からの脱出!②へ続く