会場近辺に残る選択をしたが。。。。
国際展示場は閉鎖され、外は寒いため、屋内を探して近くのビル内に入った。
4時ごろだったと思う。
とにかく座りたかった。コーヒーとパン1個を買って近くのベンチに座った。石つくりだったためお尻が冷たく、パンフレットなどを引いてしのいでいた。
6時ごろには電車も動くだろう!と思っていた。ベンチに座りながら、ブースの片付けはどうするのだろう。など色々考えて、メールで連絡を取り合っていた。
7時になり、電車がぜんぜん動かないため、ウロウロし始め、フードコートにいったところ、見学に来ていた昔の上司や部下が5人集まっていた所に行き着いた。椅子も余っていたため仲間に入れてもらった。
これで心細さが無くなり、不安をおしゃべりでごまかし続けた。
良く働く一人が、100円ショップで食べ物や飲み物、手拭や手ぬぐい、歯ブラシなどを買ってきてくれた。このときには100円ショップやコンビには1時間待ちの状態であったようである。
私は暖かいものが食べたいだろうと、すき家にならんだ。このビルはガスを使ってはいけないとの事で、ご飯は無いとのことで具と味噌汁を人数分購入した。
この時には、ここで一晩過ごす覚悟はできていた。
おなかは満たされ、飲み物もあるし、暖房も入っていて暖かく過ごせていた。
夜も10時を過ぎると、移動をあきらめた人たちが大勢集まってきた。100円ショップは閉まり、残りはすき家だけである。ここに20mほど列ができていた。私たちが購入してから3時間過ぎていて、人の列は途切れていないが、こんなにもストックがあるものかと関心していた。さすがに11時過ぎには無くなってしまいましたけど。
私たちは100円ショップで購入したトランプで婆抜きを始めた。気が紛れればと思ったが、長くは続かなかった。30分ぐらいでしたね。
12時近くになると、疲れが出てきてウトウトし、いつの間にか寝ていた。しかし、1時頃には目を覚まし、眠れなくなってしまい、情報を入手するため、ワンセグをみんなで見ていた。
ワンセグでは東北ではごとになっていること、頻繁に余震が発生していることが確認できた。
結局5時過ぎまで、ワンセグを見ながらウトウトしていた。
外が明るくなると、電車が動きはじめたとの情報も入り、遠回りしても家に帰りたい人たちは、6時過ぎから出発していった。
私たちは、バスが運行するようなので始発の8時まではココにとどまる選択をした。
帰宅難民からの脱出!③へつづく
コメント
- ひまわり [2011年3月13日 14:31]
- こんにちわ。東京は凄く大変だった様子がわかります。しかし過酷な帰宅となりましたね。
- 「はる&とも」の父親 [2011年3月13日 19:51]
- ひまわりさん こんばんは。
私は、まだ帰る家があるだけ良いです。被災地の皆さんはもっと大変ですね。
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