ここに一枚の写真がある。
筆者がエジプトを訪れた際、ピラミッドの傍にあるホテルの廊下にこの写真が掲げられていた。
https://egypt-mylove.com/2014/11/16/cairos-mena-house-where-history-was-made/amp/
訪問当時はメナホテルという名称だったが、現在はマリオット系となっている。
ホテルの公式インスタアカウントによると、カイロ会談から今年で77年になるそうだ。
このカイロ会談に通訳も兼ねて同席した蒋介石夫人の宋美麗が、実は張学良と愛人関係であったということを張学良本人が晩年のインタビューで明かしている。
更にこのインタビューでは、張学良がムッソリーニの娘エッダとも愛人関係であったことが明かされている。
https://www.google.com/amp/s/prtimes.jp/main/html/rd/amp/p/000000771.000007006.html
ムッソリーニの娘婿ガレアッツォ・チャーノは義父の威光で上海大使に任命されており、張学良とエッダの関係はその最中でのものだったとみられるが、一方で娘婿ガレアッツォ・チャーノは『王冠を賭けた恋』で有名なあのウィンザー公夫人ウォリス・シンプソン(当時アメリカ海軍のパイロットだった一人目の夫と上海に駐在)と愛人関係だったというから驚きである。
ウォリス・シンプソンが上海の娼婦の館に出入りし閨房術を身に付けた話はチャールズ・ハイアムの本『王冠を賭けた恋』に記されており(今は絶版)、ウォリス・シンプソンスパイ説は有名な話である。
https://forzastyle.com/articles/-/51211
https://spartacus-educational.com/spartacus-blogURL9.html
しかしそれだけでは終わらない。
このウォリス・シンプソンの恋愛テクニックを手本にしていたというパメラ・ハリマンの一人目の夫はウィンストン・チャーチルの息子で、舅の要請でアメリカの鉄道王ハリマンに接近し、後に婚姻関係を結びパメラ・ハリマンになったというのだ。
そう、ハリマンといえば満州鉄道の権益を巡る桂・ハリマン協定のあのウィリアム・アヴェレル・ハリマンである。
ちなみにこのパメラ・ハリマンという女性はハリマンと結婚する前はパリでエリ・ド・ロスチャイルド男爵の愛人であった。
https://www.amazon.com/Pamela-Harriman-Party-Christopher-Ogden/dp/075153983X
ロスチャイルド家に関する詳細は広瀬隆氏の『赤い盾』をご参照頂くこととして、
さて、このパメラ・ハリマンは未亡人となった晩年、ビル・クリントンが大統領選に出馬する際13億ドルという巨額の資金援助を提供。クリントン政権時にフランスの全権大使に任命され、在任中にパリのホテルリッツのプールで心臓発作で亡くなっている。
https://orange.ap.teacup.com/rionoorandanikki/22.html
そのパメラ・ハリマンが所有していたある絵画が今年の11月10日、サザビーズで競売にかけられたことが報じられた。
ウィンストン・チャーチルがハリマンに贈った自作の絵画である。
つまりパメラ・ハリマンにとっては一人目の夫の舅が二人目の夫に贈った絵である。
記事によると
ハリマン氏は1942年、チャーチルとソ連(当時)のヨシフ・スターリンと共にモスクワ会談に出席。絵を贈られたことから、ハリマン氏がチャーチルと友好的な関係を築いていたことが分かる。
英紙タイムズによると、この時期ハリマン氏は、チャーチルの息子ランドルフさんの妻パメラさんと関係を持っていたが、チャーチルがそのことを知っていたかは不明だという。
パメラさんはその後、1970年代にハリマン氏と結婚。1997年に亡くなった後、絵画は売りに出された。
https://www.afpbb.com/articles/-/3314982?act=all&pid=22820023
とのこと。
そうした「女性達の歴史」を踏まえた上でこの写真を見ると、そこに込められたメッセージを読み取ることが出来るのではないだろうか。
https://twitter.com/danscavino/status/1340487827457519617?s=21