おらの人生 空回り。 骨折り損…ですわ

保存と観光の二刀流はなかなか難しい

新型コロナの影響で海外からの訪日客が増え、そんな中で特に志那人の問題はあるが、それは正直よそ事なのがおらの町。7年ほど前まで街づくりに参画して観光・街並み保存・人材問題に取り組んできたが、保存と観光が両輪との認識から活動しているうちに二刀流は無理だ!という結論に達して観光については餅は餅屋にと観光協会への口出しをあまりしなくなったんだが、観光協会の力というか認識がずれて居いて…結局老人中心で行政の補助金だより=他力で自主的に動けない…ので、相互にずれが生じた。俺が街づくりから離れた今、思い返したり現状を垣間見たりすると保存側が自主的に動ける分だけ観光側との乖離ができ、それが、保存活動のみが突っ走っている感じになり、その団体は自分たちで勝手にやっている体に認識され、それが一般住民との乖離にもつながっている。保存側の周知不足が大きな要因でこの町の住民にPRする努力が全く足りなく、結果自己満足で活動していいる感じだ。何回も書いてきたが、この団体が補助金申請などでやってきた不正やTOPの個人商店化、TOPの天狗化にキレて脱退したが、相変わらずの様だ。この団体もそれまで老害によって牛耳られてきた町の動きにくぎを刺して中堅の獅子を覚醒させたことは大きな功績だと思うが、いかんせん創設者も今のTOPもやはり老害化して悪影響を及ぼしていることを自覚していない。次から次へと次期リーダー育てていくという大きな仕事を全くしていない。考え方が常に上から目線で「やってあたりまえ!協力するのがあたりまえ、やらない奴はあほ! 」目線での活動で、一般住民はそういう態度に気づいているので勝手にやってチョー程度の認識しかない。
ま、いろいろ聞くと創設者も過去にいろいろとやりやがっているらしくて同世代はついていかない・・・そんな人間だったということだ。理念は確かにいいものだったし、それを周りが支えていたが、その支えへの感謝という気持ちがなくなって、自己主張が強くなり、最後は俺がやったんだ的な行動が目に見えてくると、人は離れるということだ。いつまでも感謝して、TOPになればなるほど‥‥そこが人の良しあしを決めるポイントなのだろう。
実ほど頭を垂れる…の例えだな。

そういう俺もえらくはないが、支社長になった2年間、頭を垂れ続け…ってか、部下が強かった(笑) 私はただただ怖かったし何事もないようにひたすらおとなしくしていて、稟議書には次から次へとハンコを押すだけに徹していました。早く2年が過ぎろ! 早く終われ! ってなもんです。
心残りは、人材の育成に失敗したこと。次期支社長は自己の行動で部下と揉めて結局定年まで残り8月の処で自主退職せざるを得なかったし、そのあと落ち着いたけど昨年は中途退社が2名も出たとのこと…俺が直接の要因ではないが、自己規律が緩んでしまっている雰囲気をおれの後任が作ってしまった、そいつを後任にしたことは俺だろうと思うところ。人数の少ない会社なので飛び越え人事というのはなかなか厳しいので心太方式で年功序列になってしまうが、その分支社長としての心構えというものを改めて教示しなければならないんだが、そこを俺の言動を見ておけという言葉を発していなかったんだよな…と反省だ。後任よりも残りの社員に申し訳ないと思っている。
って、そこまで考えなくてもと思うかもしれんが、結局連鎖反応なんで、その反応が始まった、あるいは始まりそうなポイントを押さえておくというのも先達のやるべきことではないのかな…と思うわけです。そういう意味で先の先まで読むということは大事なんです。
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