高松公園
上田堤が造られたのは、南部26代藩主信直公が三戸より盛岡に移り、盛岡城築城を開始した慶長年間から寛永年間といわれています。当時、上田方面は湿地帯で、池方面からの浸水が町づくりの大きな障害となったため、治水を目的として、上田に三段の堤防が築かれました。この上堤、中堤、下堤のうち、最も大きかった中堤が、現在の高松の池となって残っています。上田堤付近は南部公の鷹狩りの場であり、また、松林の美しさが有名であったことにちなんで「高松の池」と名付けられたと伝えられています。 明治22年市制施行と共に公園化が進められ、サクラ以外にもボタン園・アヤメ園・バラ園等を整備し、風致公園として市民に親しまれています。 平成元年に「日本さくらの名所100選」に選ばれました。
山根知起