法務省が約3カ月ぶりに2人の死刑を執行した。岩城光英法相は、就任後5カ月余りで2度目の執行となった。執行された2人は死刑廃止団体のアンケートなどに思いを書き残していた。
鎌田安利死刑囚(75)は、大阪市で1985〜94年、女性ばかり5人を殺害した事件で死刑が確定。「警察庁指定122号事件」だった。
鎌田死刑囚は公判で無罪を主張。99年の一審・大阪地裁判決は一連の事件を鎌田死刑囚の犯行と判断して死刑を言い渡したが、身代金要求については無罪とした。だが二審・大阪高裁は一審の無罪部分を破棄し、鎌田死刑囚の犯行と認定。最高裁で死刑が確定した。
鎌田死刑囚は市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が福島瑞穂参院議員(社民)とともにこれまで3回送ったアンケートに、回答を寄せていた。2008年のアンケートには「法廷で、警察や検察で話したことは真実でないと言っても、裁判官は聞く耳を持たない」と捜査・公判を批判。その後は体調が悪化した様子で、昨年7月の回答には「びょうきで字が思うように書けません。それがいちばんつらい」と記していた。
一方、吉田純子死刑囚(56)は、同じ看護学校に通っていた元看護師3人と共謀し、保険金目的でうち2人の夫を殺害した。
二審判決直前の06年5月、弁護人を通じ報道機関に手記を寄せていた。A4判の便箋(びんせん)4枚につづられた手記では、一審判決で「主犯格」とされたことを否定。「もちつ、もたれつの中、知恵を出し合い、共謀へと及んだ哀(かな)しい結果だったのです」と書いた。「被害者の方々の魂が、どうか、天国で安らかでありますように。心より、お詫(わ)び申し上げます」と結んだ。
吉田死刑囚は「フォーラム90」の11年のアンケートにも「日々、内省と悔悟を胸に刻み、懺悔(ざんげ)の祈りを捧げております」と書いていた。(朝日新聞社)
死刑を宣告されてから裁判官を恨み・懺悔したところで、自分の罪は消える事は無いだろう・・・
「罪を憎んで人を憎まず」と言う事を聞くが、罪を犯した人間を
恨まざる負えない事は当然であり、なぜ死刑囚となるような罪を
犯したか自ら反省するのが先ではないのか。
死が怖いなら死刑となる、ならないにかかわらず罪人とならなけ
れば良い事に尽きる。裁判官どうのこうのなど権利はないだろ
う・・・罪の意識より死を怖がっても仕方のない罪を犯したと言
う事を悟るしかない・・親族等の苦しみは計りしれない・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます