地球の裏側にもいたLOVELYZファン
Lovelyz fans on the other side of the world
先日、LOVELYZは日本で公演を行った。
規模の大きいステージではないが、その時の様子が動画としてアップされている。
親近感にあふれたファミリーなステージになっているから会場を埋めているのはコアなファンが多かったのだろうか。
時々かかる少数ファンの大きな掛け声に違和感を覚えた。
もちろん、メンバーに対する励ましや愛情なのだろう。
あるいはのメンバーらも顔見知りの熱烈ファンかもしれない。
しかし、LOVELYZのリリックなステージにはいささか、いや、かなり似合わないと思った。
歌舞伎ではシーンと静まり返る中、ここだ、というタイミングで「成田屋!」「播磨屋!」といった大きな掛け声が入ってきたりする。
その掛け声で場面はぎゅっと引き締まり、時が止まったような世界が現出する。
だから、掛け声は次の世界に向けて必須の場面なわけである。
といって、ど素人が勝手に声をかけたのでは周囲は大いに迷惑することになる。
つまり、大きな掛け声は始終入り続けると他者にとって雑音でしかない。
そのような違和感をLOVELYZのステージでは感じた。
会場が大きくないのも災いしたかもしれない。
「すごくいいステージなのになあ~」
そう思いもした。
他のファンが静か過ぎる鑑賞だったため、そのファンは会場を盛り上げようとしてたのかもしれない。
しかし、ファンの掛け声はいちいち浮き上がり、逆に仇となっている印象だった。
LOVELYZの音楽はリリックかつ繊細な世界だから、ステージ中は静かに鑑賞し、一曲終わるごとに大きな拍手をする。
また始まったら静かに鑑賞するのが極上の鑑賞法のように思う。
ただ、アイドルと言われる彼女たちだから、会場で度外れな声援を送るからと言って、マナー違反だとは言い切れない。
大きな声には間違いなく相応の情熱が込められている。
よって、出来れば、ひとりひとりの掛け声が同化して会場全体の熱狂に押し上げるファンの努力も望ましいように思う。
せっかく彼女たちの好きなファンたちが集まった場所なら、見知らぬ者同士でも仲良くなれようかとも思う。
実際、自分もイベント会場で年の離れた女子らと仲良く話をさせてもらったりした。
会場に出向いて心地よく眠ってもよいクラシックとは、アイドル音楽は反対にファンの愛情やパワーがステージに向かう傾向を持つだろう。
それなら声を出して応援するのはむしろ自然なことと言える。
LOVELYZの”8月コンサート”に出向いたファンは少し大人し過ぎたのかもしれない。
会場は数人の大きな声でなく、ファンらのまとまった声援で溢れていてくれた方がよかった、と動画を見ながら思った次第である。
さて、LOVELYZの所属事務所である「Woollimエンターテインメント」をLOVELYZのファンであるメキシコ人が訪問した話。
この記事を読んで自分の認識が甘かったのを思い知った。
LOVELYZファンのほとんどは東アジア一帯に集まっている、と単純に思っていたからだ。
ユーチューブで調べてもLOVELYZの音楽はそんなに視聴回数を得られない。
アルバムタイトル曲MVの視聴回数も、1000万が大きな壁として立ちはだかっている。
視聴回数が伸びないのはファン層のエリアが狭いからだろう、と考えていた。
この記事がそれを狙ったものかどうかは知らない。
多くはないかもしれないが、LOVELYZファンは地球の裏側にもいるのを思い知らされた。
それにしても…我々は民族の違いを主張しあって地球上で共存しているが、人間として抱きあっている心(感情)はそれほど大差ないらしい。
LOVELYZの繊細な音楽を理解するファンが地球の裏側にいたのだから。
その若者、ケイに会えなかったのは残念だが、たまたまメンバーのイェインが居合わせてよかったね…イェインはムードメーカーでサービス精神に溢れている。
自分が言っても意味ないが、彼女はケイと並ぶお気に入りメンバー。
若者はイェインも気に入って帰国の途についたんじゃないだろうか。
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