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雨の記号(rain symbol)

韓国ドラマ「ベートーベン・ウィルス」から②

カン・マエの幸せな時間

 6話まで見て思った。このドラマ、手元に全話があれば、僕はたぶん、徹夜してでも一気に見てしまうと思う。それほどに引きつける何かにあふれている。
 ここに登場する人たちはすべて強い渇望を胸に抱いて日々を送っている。
 この飢えた思いに風穴をあけようとして動き出したのがヒロインのトゥ、ルミ(イ・ジア)である。そこからいろんな人の思いを巻き込み、何かが動き出すというしかけとなっている。
 ここでは直接描かれることはないが、そういう何か、きっかけのようなものを待っていたのは主人公のカン・マエも同じである。彼はすでに世界的名声を得た指揮者であるが、人間的に気難しい面を一方で敬遠されている節もあった。自身、そこは重々承知で、できれば克服していきたいと願いつつも、自分の信念に忠実でありたいとの考えから抜けられないでいた。
 そこへトゥ、ルミからオーケストラ公演の指揮以来の話が飛び込んできたのだ。金には執着しないが、報酬はきちんと自分を認めたもので悪くない。しばらく離れていた祖国で指揮をふる公演だ。少しは気分転換ができ、いい骨休みともなるかもしれない。
 もともと、いいオケ、いい奏者がいるから指揮をふるという名誉名声、蓄積型の人間ではない。どちらかといえば、仕事を依頼する側の人間がコンダクターとしての自分をどう評価してくれているかだ。
 したがってその公演の規模や知名度は彼にとって何の障害でもなかった。
 問題はトゥ、ルミがどのような文面で彼に仕事依頼を行ったかである。
 少しお調子者の彼女のことだから、カン・マエのこれまでの仕事ぶりを持ち上げ、(おそらく、いっさいの妥協を許さぬ先生の仕事ぶりに常日頃から敬服しております)というような文脈を書き連ねて送ったことだろう。
 カン・マエはこの文面に苦笑しつつも、どんな形にしろ誉められることは悪いことじゃない、と思って話を引き受けるに至ったと考えられる。
 その底にあったのは自身の(リフレッシュ)の思いでなかったろうか。ここから先は下種のかんぐりとなるかもしれないが、
新たな才能やいまだ自分にとって未知の領域である恋との出会いなどである。
 落花流水という言葉がある。物語に新たな才能としてカン・ゴヌ、彼の視野内で存在感を増していくことになるトゥ、ルミが用意されているところをみると、あながち見当外れとも思われない。求める心がない限り、新しい才能にも恋にも出会えない。
 いろいろと問題は多発するが、カン・マエにとって、じつはここから幸せな時間が始まっているのである。
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