人気絶頂の頃、S.E.S.は日本に進出して活動を行った。J・POPは音楽界全体が未曾有の活況にあった。彼女らにとって人気を得る機会だったことは確かだろう。
なのでSMエンターの描いたS.E.S.日本進出の構図は間違っていなかった。結果は失敗だったが、得たモノは大きかった。一時期の機運に乗って出ていくのはリスクを伴うと知ったからだ。
それを肝に銘じた上でSMは二番手の歌手としてBoAを送り込んだ。まだ中学生だったBoAには大変な決心だったろうが、SMはBoAの才能を信じていた。日本の歌手と一緒のリズムで育てていけば彼女は必ず大成する、と。
BoAの成功は東方神起を日本に送り込む上で大きな自信となった。
S.E.S.は後輩らを成功に導く踏み石となったわけだ。
日本での活動が不調に終わり、S.E.S.は本国での活動に集中したが、日本活動のツケがまわり人気は下降をたどってしまった。追い込まれた形で解散となった。
三人は無念だったに違いない。だが、ソロ活動に入ってからの彼女たちの足跡を見ると意外と充実していたようである。ユジンは女優として大成功を収めたし、Badaもシューもそれぞれ悔いのない活動を行ってきている。
結婚と出産でユジンの歩みが落ち着いたところで、三人にひとつの転機がきざしたようだ。電話ですませていたのをじかに顔を合わせ、コーヒーを飲みながら話す心のゆとりがである。
そんな中でS.E.S.のカムバックは決まった。
無念の解散でやり残した部分を埋めるための最初のコンサート(12月30日)はどうだったであろうか?
待ちかねていたファンの歓声はさぞかし大きかったことであろう。
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