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前半で輝いた淑徽(スッキ)公主
韓国の長編歴史ドラマは一度見ただけではもったいない作品がたくさんある。ストーリーがいいだけでなく達者な演技陣による珠玉の場面が随所に配されているため、リピートして見たくなってしまうのである。
イ・ビョンフン監督の「ホジュン」「商道」「チャングム」「イサン」「トンイ」「馬医」は僕もそうだが、リピートしてそれらの世界を堪能しているファンはけっこういるのでなかろうか。
上に挙げたのはいずれも2度3度とリピートして楽しんだドラマだが、今またひょんなことから「馬医」をリピートして見始めている。
GyaOで配信中の13~14話を、”今どのへんを進んでるのか”と思って見始めたら、たちまち引き込まれ、そこから抜けられなくなった。
あれからまだ3、4日した経ってないがはや27話まで進んできた。
27話はクァンヒョンとヨンダル(ジニョン)が8年ぶりの再会を果たし、淑徽(スッキ)公主の初恋(純愛)が悲劇となって終わりを告げる回である。
8年の時を経て二人が再会を果たした場所は、だったヨンダルが両班(ヤンバン)の家を飛び出し、孤児となって寝泊りしていた橋の上だった。
子供だった二人は命の危機を共有し合い、すぐまた会う約束をしながら、それっきり会えないままとなってしまったのだった。
全50話のドラマだが、前後半で区切りをつけるなら、クァンヒョンとヨンダル(ジニョン)が再会を果たして互いの愛情を確認しあい、”束の間の幸せを噛みしめている”この回と言ってよさそうである。
今回のリピートで僕は主役二人はもちろんだが、首医女のインジュと淑徽(スッキ)公主の存在感に関心を深くした。
インジュはずいぶん早い段階でクァンヒョンをカン・ドジュンの息子と思い込みだしている。それが演技の一貫性としてひしひし伝わってきて感心させられた。これまでのリピートでそこをこんなに早く感じ取ったことはなかった。リピートを繰り返すと俳優たちの演技がいかに繊細であるかにも気付かされるのがしばしばだ。ユソンはこのドラマでいい味付けをこなしている。まさにいぶし銀の女優だと思い知らされた。
もう一人、淑徽(スッキ)公主のクァンヒョンに寄せる純愛はこのドラマのすさんだ部分をほぐす役割をはたしている。出世と陰謀が渦巻き魑魅魍魎が跋扈する宮が時として長閑に感じられたのは(スッキ)公主の無邪気な明るさが宮を照らしていたからだろう。
前半において、淑徽(スッキ)公主のクァンヒョンへの一途な恋は果たして必要だったのか?
いろいろ思案し、さすがイ・ビョンフン監督だ、と感心した。
(スッキ)公主の純愛はクァンヒョンとヨンダル(ジニョン)が再会して終わりを告げるが、再会がなければそれはまだ続くことになっただろう。
なぜか? 淑徽(スッキ)公主の愛の力がジニョンのそれより優っていたからだ。クァンヒョンとジニョンは互いに惹かれるものを覚えながら、過去のヨンダルとクァンヒョンへの思いも捨てきれないでいた。つまり、二人は相手への思いを純然とした愛に昇華させられないでいたのだ。その意味で淑徽(スッキ)公主のクァンヒョンへの愛こそがいちばん輝いていたことになる。
ところで、クァンヒョンとヨンダル(ジニョン)が橋の上で二人が会っているのをどうやって知ったかに首をかしげる人もいるかもしれない(二人を四六時中見張らせていないと無理な話である)。淑徽(スッキ)公主が仲むつまじい二人の様子をそっと遠くから眺めて嘆き暮れるシーンである。
ここは淑徽(スッキ)公主らが二人を追ってきて見たと考えてもよいし、誰かを通じて聞かされた話を淑徽(スッキ)公主が頭の中で思い描いている、と見てもいいだろう。ドラマや映画ではしばしばこのように目撃する場面が登場するが、そのような手法がもっとも効果的だからだ。
自分は後者としてここの場面を思い描いた。
いたいけなヒロインぶりが無邪気で素敵(?)で、この女優はどんなドラマや映画に出ているのだろう、と興味を持った次第である。
前半の彼女の活躍ぶりには象印賞を与えたいほどである。
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