雨の記号(rain symbol)

今のままがいい

English Version
한국어

BoA、新年の抱負は「ボジェリーナ・ジョリーになること!」

トップ歌手BoAが「ボジェリーナ・ジョリー」になるという新年の抱負を明らかにした。ボジェリーナ・ジョリーとは、女優のアンジェリーナ・ジョリーとBoAの名前を組み合わせたもの。
ボアは1日、自身のツイッターに「今年はボジェリーナ・ジョリーに向かって運動を熱心にしなくちゃ」と書きこんだ。続いて「まず私の新年の計画は運動。当分は歌も踊りも休憩」と明らかにし運動への覚悟を固めた。 
BoAはSBSの水木ドラマ「アテナ」に歌手BoA役としてゲスト出演する。 
自身のツイッターには、「『アテナ』7~8話にBoAがBoA役で出てきます。私が私を演技しようとするので何かぎこちなかったが楽しく見て下さい。あくまでもゲスト出演なのでおかしくても見逃してください」としながら期待感を示した。
(エンタメニュースより)

☆アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie (Angelina Jolie Voight)、1975年6月4日 - )は、アメリカ合衆国の女優、映画プロデューサー、ファッションモデル及びUNHCR親善大使。

 この女優、パフォーマンスが先行している感じがして、映画にも行動にも関心を持たないできたが、歌手のBoAが新年の抱負で取り上げたことだし、ウィキペディアで調べてみた。何と父親は「真夜中のカウボーイ」のジョン・ヴォイトではないか。あの映画は見ている。彼の田舎臭い演技を愉快に思った記憶がある。がぜん、親近感を覚えた。
 よって彼女について引用してみるが、ジョン・ヴォイトは僕の予想に反した父親像を立ち上がらせてくる。

 ☆アンジェリーナ・ジョリーの生い立ち


カリフォルニア州ロサンゼルス出身。父はスロバキアおよびドイツ系アメリカ人俳優のジョン・ヴォイトで母はフランス系カナダ人とイロコイ族の血をひく女優のマルシェリーニ・ベルトラン。生後間も無い1976年に両親が別居するとジョリーは兄弟と共にニューヨークへ移住。幼少の頃から母と共に映画に親しみ、演技に対する興味を示し始めた。1982年には父が主演した映画に出演し親子共演を果たした。


演技方法の習得と絶望の思春期

11歳の頃にロサンゼルスに戻るとアクターズ・スタジオで演技を学び舞台に立つようになる。その後ビバリーヒルズにある高等学校の演劇クラスに進学するも病弱な母の収入は決して多いとは言えず、ジョリーも度々古着を着用するなど家庭環境が恵まれていなかったため裕福な家庭が多いビバリーヒルズにおいて徐々に孤立していった。
 さらに、ジョリーが極端に痩せていたことや、サングラス、歯列矯正の器具などを着用していたことが他の生徒からのいじめを誘発した。ジョリーの自尊心も、モデルとしての活動が不成功に終わったことで失われ、自傷行為を始めた。当時のことをジョリーは「ナイフで自分を傷付けると生きているという実感が沸き、開放感に満たされ癒しを感じた」と振り返っている。
 最終的にジョリーは14歳で演劇クラスを離れ、激しい自己嫌悪から将来の希望を「葬儀の現場監督」とした。事実、彼女は実際に葬儀会社へアルバイトとして葬儀場の遺体の死化粧を施す担当をするなど「死」というものに身近に接していた。また、常に黒の衣装を身に纏い髪を紫に染めたり、同棲相手とモッシュに出掛けたりと極めて反抗的な思春期を送り、学業に復帰するまでに2年の時間を要した。その後自堕落な生活から逃れたジョリーは、母が住む家から僅か数ブロックだけ離れたガレージの上にあるアパートメントを借り、再び演劇を学んで高等学校を卒業した。この頃についてジョリーは「今でも、そしてこれからも私はタトゥーを付けた子供である」と表現し、当時の出来事と苦悩が自身に与えた影響が如何に大きなものであったかを話すことがある。

☆☆☆☆☆  ☆☆☆☆☆  ☆☆☆☆☆
 
 アンジェリーナ・ジョリーが激しい自己嫌悪に陥り、モッシュ<→>(ヘヴィメタルやパンク・ロックなどの音楽ライブ等で観客が始めたもので、特に決まった振り付け等はない。ジャンプしたり他人を押したりすることで表現される、いわゆる激しい押し競饅頭。現在はメロディック・ハードコア、ハードコア・パンク、ブレイクコアなど若者に人気がある様なジャンルで見ることができる。モッシュが発生した場所はモッシュ・ピットと呼ばれる。危険を伴う為、会場や主催者によって「モッシュ禁止」などと指定されることもある)に入り浸るなど、堕落的な日々を送っている年齢の頃、BoAはすでに歌手デビューしている。日本にもやってきて精力的に歌手活動を始めている。
 僕にとってこの頃の彼女は清潔感があって笑顔のさわやかな少女の印象だった。競争が激しく浮き沈みの著しい歌謡界だが、この明るさと歌のうまさで残り続けていくだろうと思った。実際、その通りになった。人気、実力が両輪となって彼女ほど確実に階段を踏みあがっていった歌手はほかには見当たらないほどだ。
 だが、そういった印象とはまるで異なった内面世界を彼女は積み上げていたのであろうか。
 先ごろ何かの席で彼女は、もう一度デビューの頃の年齢に戻れるとしたら、少女時代の一員になりたい、と発言している。
 当時の苦労話と重ねての発言のようだから、練習環境などの整った今のこの時代を羨んでいるだけであったかもしれない。だが、あながちそればかりでもなかった気もする。
 今回の「ボジェリーナ・ジョリー」発言は、これまで優等生でやってきた自分への内省の意味もこめているのかもしれない。
 上記の引用で注目したのは(最終的にジョリーは14歳で演劇クラスを離れ)云々から
(この頃についてジョリーは「今でも、そしてこれからも私はタトゥーを付けた子供である」と表現し、当時の出来事と苦悩が自身に与えた影響が如何に大きなものであったかを話すことがある)までである。
「今でも、そしてこれからも私はタトゥーを付けた子供である」とアンジェリーナ・ジョリーは言った。
 貧乏と母親を痛めつける父親の奔放な浮気がトラウマとなって、彼女は絶望や堕落の時期を送った。これからずっと私はタトゥーを付けた子供である、との言葉は印象的である。
 BoAの背中にはBをモチーフにした薔薇のタトゥーが入っている。彼女はこれを アンジェリーナ・ジョリー風に染めたいというのだろうか。ジョリーのたどった奔放な生き方を自分も始めたいというのだろうか。
 アンジェリーナ・ジョリーの十年とBoAの十年を比べたら、BoAの方に着実な成長を感じるのだが、彼女はこの軌跡に不満があるのであろうか。ジョリーの乗っている船はスキャンダラスな泥船としか思えないが、その船の大きさに憧れるなら人生は一度きりしかない。彼女のように目立つための慈善事業なりパフォーマンスなりを行なってみるのも悪くはないだろう。そこから、今後につながる貴重な何かが見えてくるかもしれない。
(僕的には本業のほかのものが目だってくるのは好きではない→ドラマや映画にチャレンジするというなら大賛成だけど)
 
 BoAは今のままがいい。目の前に何か壁を感じているなら、まっすぐ突き崩して進んでほしい。
 
 単に忙しさを一段落させ、運動不足解消の運動をするということでしたなら、深読みしてごめんなさい、ってことでお許しを・・・(^ ^;)


☆関連記事

「アテナ」出演のBoA、「本当は気難しくないです」

「アテナ:戦争の女神」に出演したBoAがドラマでの役割と関連して釈明文を残した。
BoAは4日、自身のツイッターにSBS月火ドラマ「アテナ:戦争の女神」で、気難しいキャラクターでカメオ出演したことと関連し、実際の姿とは差があると書き込んだ。
3日の放映分でBoAは、日本でのコンサートを控え鋭敏な姿を見せ自分を警護するイ・ジョンウ(チョン・ウソン)に一貫して気難しい態度で接した。とてもリアルだったリハーサル場面と演技に、「実際のBoAの性格ではないか」と錯覚するほど。
BoAは放送後、ツイッターに「公演前に…あそこまで気難しくはありません。監督が注文した通り…」と釈明し照れくさがった。
4日の放映分では、BoAは暴漢に拉致される危機から救ったイ・ジョンウに心を開いた。2人きりで車に乗り旅行に出かけ、浜辺でデートを楽しみ食堂でラーメンを食べるなど甘い思い出を作った。


☆BoAがイ・ジョンウ(チョン・ウソン)を相手にどんな演技をしたのか非常に興味を覚える。あれほどのダンスをこなす彼女だ。「アテナ」に登場して、派手なアクションシーンをを演じ、茶の間の視聴者をあっといわせたスエに劣らぬポテンシャルを秘めているのではあるまいか。歌手から女優へ見事な転進を見せたオム・ジョンファ(韓国のマドンナ」の例もある。彼女は歌の世界へ戻る様子を見せないが、「ボジェリーナ・ジョリー」発言もある。ど派手のアクションでアンジェリーナ・ジョリーと張り合い、BoAには二束の草鞋でドラマや映画に殴り込みをかけてほしい気はしてきている。 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「芸能・音楽」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事