普段私は、ニュースの話や政治の話などは、日記に書かないようにしています。発言には責任が伴うので、色々考えはあっても、発言をしないようにしているのです。それはネット上でも、私生活でもそうです。
近日、名古屋で発生した殺人事件(携帯サイトで知り合った男性3名が、通りすがりの面識の無い女性を拉致殺害し、金を奪った事件)も、日記では触れていませんでしたが、被害者の女性や、御家族、恋人、友人の方々の気持ちを想像すると、いてもたってもいられません。今日は思う事をほんの少しだけ、書く事にします。
(無宗教・暴力は苦手・現在は健康・何の組織にも属さない、一般の29歳女の感じる事です。)
はじめに心から被害者の女性の御冥福をお祈りいたします。
また、被害者の女性、御家族、恋人、友人の方々をはじめ、この事件が起きた日本に住む人々の納得のいく審判が下される事を願っています。
この事件は、被害者の女性が車に乗った犯人達に道を聞かれて、そのまま拉致されています。この拉致現場は、私の家から大変近いです。そして私も、女性が拉致された時間帯を歩く事もあります。
私が被害者になっていた可能性もあるし、別の誰かが被害者になっていた可能性もあるし、被害者が複数になっていた可能性もあります。。。。。。
(1)実体験より
多くの方が、恐怖を感じた経験があると思います。私自身「過去の恐怖」と考えて、すぐに頭に浮かぶ事が幾つかあります。
●10代の頃に、見知らぬ男に車に連れ込まれそうになった。(大声をあげて難を逃れた)
●ネット上に住所が公開され、髪の毛が入った手紙が送られて来た事があった。
●自宅の部屋をカーテン越しに写真で撮られたり、車につけられたりした事があった。(大声でストーカー110番に連絡したら行為がおさまった)(02'3/20の日記参照)
●名古屋を運転中、赤信号で停車していたら、歩いて来た男2人が道を聞いて来た。窓を少しだけ開けて答えると、いきなりドアを開けられそうになり、何か叫ばれた。(ドアはロックがしてあったので開かなかった。本当は警察に連絡しなくちゃいけないんだけれど、この時急いでいた為、そのままになってしまった。。。)(過去の日記参照)
●帰宅途中、後をつけられた。(06'8/25の日記参照)
どんな犯罪にも、被害者と加害者が存在します。私は、被害者にも、加害者にもなりたくはありません。だから、自分にできる事を実行したいと思います。
被害者になりにくくする為には、常に危険意識を持つ事。道を歩く時は防犯ブザーを握った状態で歩く事などです。それから在宅時には、鍵だけで無くチェーンなどもしておく事です。
それから問題の根源となっている、加害者を作り出さないようにするという事です。人格は、子どもの頃の環境に大きく影響を受けます。
私にできる事は、子どもには愛情をそそぎ、道徳を教える事。教育の義務を認識する事。
私は放任主義には恐ろしい可能性があると考えています。初めて放任主義に疑問を感じたのは小学生の時です。
(教育の義務とは、子を持つ親にかせられた義務ですが、私は正しい子育てを知りません。私自身が幼い頃はひねくれていましたから、自信も持てません。ですから勉強して、正しい心の教育ができるようになりたいと思ってます。長くなるので、詳細は書きません。)
(2)加害者のその後
平和な環境に育った私ですが、大勢の人たちと関わる中で、時として、加害者に出会う事もあります。
私がその加害者の男性に出会ったのは、2003年。もう4年も前の事です。
私はその男性とは面識がなく、1度だけ偶然出会い、喋りました。
周りの友人から事情を聞いていた人物だったので、私は自分の事は何も話さないように気を付けていました。
彼は、お酒に酔うと顔が笑み、そして私に言いました。
「俺、人殺した事あるよ。」
私はギョッとなりました。
詳しい経緯は言えませんが、彼は過去に人を殺した加害者です。
続けて彼は、人を殺した事を自慢しました。
それから彼はたんたんと、こういう人殺しが懲役何年だとか、刑がいかに楽だったか…という話を、勝手に話しはじめました。私はお腹が悪くなって、その場を離れました。
私はとてもショックを受けました。そして悲しくてたまりませんでした。
彼がどんな気持ちで自慢していたのか、私には分かりません。本当に自慢していたのか、あるいは罪の重さに耐え切れなくてそんな発言をしてしまうような心境になっていたのか。
しかし言える事は、殺した相手は生き返らないと言う事。遺族は今も苦しんでいるという事。殺された被害者はさぞ無念だったであろうという事です。そんな現実がある限り、加害者がそんな発言をしている事それ事態が罪だと思います。
私が遺族だったら、その場で彼を殺してしまうでしょう。
彼に対しては、色々言いたい事が頭を過りましたが、その後の彼の反応を想像すると、恐ろしくて何も言う事は出来ませんでした。
彼がこの日記を見る事は、まず無いと思いますが。…これは私の正直な気持ちの一部です。
(3)かばう事は罪
私は、かばう事は罪だと感じます。
私は昔、とある事で知人をかばった事があります。目の前の情に流されて、かばってしまったのです。(犯罪を犯した訳では有りません。それはよくあるようなトラブルでした。)
そしてその結果、知人は自分で責任をとる事が出来ず、益々悪い方向へ進んでいってしまいました。
自分のしてしまった事は、自分で責任をとらなくてはなりません。責任をとる事によって、改心されると思うのです。それを私がかばった事により、知人は責任をとる事が出来なくなってしまったのです。
私は後悔しました。私の「人をかばう」という行為は、誰の為にもならなかったのですから。
それどころか、それは「責任をとる・反省する」という大事な機会を奪ってしまったのですから。
私は反省し、それから知人に謝りました。そして、きちんと話をしました。これからも、ずっと大事な友人です。
この実体験から感じる事です。
昨今の犯罪では、加害者には、きちんと自分の犯した罪の責任をとって欲しいと感じます。それを加害者の家族や弁護士が過度にかばったりするのは、罪だと思います。加害者の為にはなっていません。
(4)死刑反対について
死刑については普段よく考える事ですが、決して口にしない事です。しかし今回は(…)、少しだけ書きます。
私は、自分が死刑に関する事を記述する事をタブーとしています。しかし今回の名古屋の事件をきっかけに。
(死刑に関しては意見が色々あると思います。もちろん私とは異なった考えをお持ちの方が、大勢いらっしゃると思います。ここに書くのは、いかなる団体にも所属しない一般女性のただの独り言です。違う意見の方は「違うな~」と流して下さい。)
2002年に、自ら関係者だと名乗る女性に聞いた話です。本当に関係者なのかどうなのかは、知りません。
死刑を反対する組織について。
死刑を反対する目的について。
もちろん、死刑を反対する方の全員が対象ではありません。一部の話かと思われます。
日本で犯罪を犯す組織は、たくさんあります。
(ニュースを見ていれば納得しますね。)
この犯罪組織の立場から考えれば、罪を犯して捕まった時に受ける刑は、軽い方が良いと思うのは当然の事です。
犯罪組織にとっては、死刑は無い方が都合が良いというのも当然の事です。
犯罪組織が、死刑反対運動に力を入れる事は、当然の流れです。
そして犯罪組織が死刑反対運動を盛り上げる為に、多くの人々を「死刑はいけない」という考えにしようと思うのは、自然な流れです。
その結果、犯罪組織は死刑に反対する人口を増やす為、洗脳に力を入れているという話でした。
(洗脳についても非常に多く考えるところがあるのですが、話が逸れるのでやめておきましょう。)
私は、死刑は必要な場合もあると感じています
思う事の一部を書きました。
読んで下さった方、ありがとうございました。
多くの方がさまざまな意見を持ち、色々考えていらっしゃると思います。事件から目を背けず、色々考える事が出来ればと思います。
この記事に関する質問などは受け付けませんので、ご了承下さい。
m(_ _)m
自分達の子どもの世代の為に。子どもの子どもの世代の為に。安心して暮らせる環境を残してあげたいと願うばかりです。