最近、組合の新聞読んでたら、記録的大雪に見舞われた市民生協にいがた の配達が出ていて、それが上越市高田。20年ぶりの一斉雪降ろしを5日連続でやったそうで、2mもの屋根の雪を降ろしたため、道路が埋まり、交通規制・車両通行止めで、車での配達が不可能ってことで、シッパーやオリコンを背負い、3~4kmの道を歩いて届けたってある。一回で運べない班は何度も往復したってことかぁ。
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高田にいたのは生まれてから10歳までで、住んでいた県営アパートと小学校は目と鼻の先。オヤジの勤務先の建設庁の地方事務所も歩いて10分ほどで、何度か遊びに行ったもの。オヤジはいつも残業などしないで6時前にはまっすぐウチに帰ってきてたし、たまの宿直はただ、事務所で時間を潰してるだけで、思えばのどかな時代だったもんだ。ただ、大雪だけは凄くて、一晩でアパートの一階は埋まってたし、出入りは踊り場から雪の通路を作ってやったもんだし、あれだけ近い通学でも雪を掻き分けながらだったから、いつ学校に着くのか、帰れるのか、大雪のたびに泣きそうになったことを覚えている。高田の記憶ってのは高田公園の桜、蓮、消雪(融雪)パイプ、雁木、朝市、栄喜堂のせんべい・・・ってとこかな。大学時代を過ごした知多半島とは違った意味での思い出の地。21年ぶりに行くのは、今年の夏だけれども、知多とはまた違う感慨があると思うだろうな。子ども時代を過ごしたかつての県営アパート(とっくの昔に立て直しただろうが・・・)や南本町小学校は果たしてどうなってるだろう。