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記録・雑感

音ちゃん、東日本大災害

2011年04月27日 | デジカメ写真

おとちゃんはよく寝る。きっとよく育つよ。昔から「寝る子は育つ」と言うじゃあない。

「智香ちゃんと登美ちゃんの姉妹」が田村君の見舞いに来た。奈良と神戸からやって来た。三木先生の「娘」もいまや75歳と70歳?二人とも元気がいいけど、もう結構な年齢だよなあ。こちらが、77歳。幼な馴染だけど、お互い、よれよれ。じい、ばあ、になったなあ。みんな、いつ死んでもおかしくない年齢になった。俺など、ひいじい、だもの。

唐戸のグランドホテルで昼食。田村夫妻、城代夫妻、私たち夫婦と、三木(旧姓)姉妹、8人で、会食、女性は初対面だが、すぐ打ち解けて、楽しい、おしゃべりの2時間を過ごした。

帰ると、おとちゃんが来ていた。ラッキー!6時すぎまでいた。文乃が支所に行っている間は昼寝。1時間ぐらい寝た。少し這い這いが出来るようになった。おもちゃを見せると手を伸ばした。意思を手で表すことができるようになった。日に日に可愛くなる。あと4,5年は生きたいなあ! 

いつ死んでもいいや、なんて罰当たりなことを思うこともあったが、おとちゃんが生まれると、そんな考えはどこかへ、吹っ飛んだ。幼い命がもってきたこの充実感はなんだろう?人生の最終章をとぼとぼ歩くだけの毎日だと秘かに思っていたのだが、気持ちが癒され、和やかになる。自分でもびっくりするほど、優しくなっている。

これは一体何だ!「東日本の大災害とおとちゃん」、全く違う二つのことが、いのちを考えさせる。この辛い世の中を、どう生きていくのか?生きる価値があるのか?生きるって何?存在って何?何故、自分はここにいるの?時間って何?などなど、以前から考えてはいたが、答えのでないこととあきらめていたことを、又考えさせる。

 最近、親鸞聖人と出会い、おとちゃんと出会い、大災害と出あった。チュニジアに始まった中東、アラブ世界の大動乱。エジプト、リビア、シリア、カタールなど、アフガン、イラクに続いて大揺れに揺れる。世界史の大地震が引きも切らない。パキスタン、インド、ととどまることを知らない。何故か?人類がいままでとは違う方向に歩き始めた。世界史の大転換が始まった。

 Facebook が舞台を引きまわしているような気がする。

親鸞が提唱したのは、葬式や法事、先祖をまつることではない。この地獄のような世の中をどう生きるのか、この世は、実は、生きるに値する、楽しい所だ、と叫びたかったのではないか!

 最近、冠婚葬祭に関心を持たない人が増えている。若い人は特にそのようである。だから、お寺は早晩、立ち行かなくなる。けれど、お寺が葬式、法事ではなくて、生きることの楽しさ、嬉しさを味わえる所なら、事情は変わってくる。

 今度の地震津波で、一瞬にして、悲しみのどん底に突き落とされた多くの人々。福島第一原発事故で、住まいをうばわれ、着のみ、着のままで避難させられている人々。放射能汚染で、土地をよごされ、野菜を出荷出来ない農家の人々、土壌汚染のため、農業が出来なくなって途方に暮れている人々。生きたまま放置された家畜を思い、居てもた立っても居られない畜産農家の人々。津波で、船を失い、海に出られない漁民。親、姉妹、兄弟、恋人、かけがいのない友人を失った人、人、子供を亡くした親、孤児。等々。

キャンディーズのスーちゃん、田中好子は乳がんで死んだ。まだ50歳台。死ぬ3週間前、「大震災のことを考えると胸が痛む。病気に負けて死ぬかも知れないが、死んでも、天国で被災者のために役に立ちたい」と言った。人間は最後の最後まで、他人のことを思いやり、優しい気持ちをもてるのだ。

宗教は生きることのうれしさを実感させてくれるものであったはず。そうでなければ、人間社会に存在する訳がない。葬式仏教や法事仏教は長い時間の中で、変形させられたものに違いない。この世に必要のないものが生まれることはない。そんなものは存在できない。

 宗教が誕生した時と同じ状況を今の社会の現実が生み出しつつある。悲惨な現実が世界中にあふれ出ている状況はまさに宗教誕生の時と同じだ。

何故そう言えるの?と問われそうだが、その理由をはっきり、分かりやすく説明できるように、人々が納得できるように、することが、今、宗教界に、お寺に求められている。みんなが生きるために、成し遂げなければいけない。頑張るしかない。まさに大災害に見舞われているわたしたちがそうであるように、がんばるしかないのだ。

                                宗教2 4月27日 午前2時。


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