昨日、夫様が退院してきた。
一緒にパスタデココで食事をしたのだけど。
夫様は半分も食べられずに残してしまった。
パスタデココは日によって味が違う。多分、作る人によって味が変わるのだと思う。
昨日は確かに、ちょっと美味しくなかった。
だから、無理して食べなくていいよ、と言って、お店を出た。
その後、雪に備えて、食糧を買いにいった。
夫様は色々なコンビニのナポリタンを試したいと言うので3食分買った。
それ以外にも、半額になっていたカツ丼を2食欲しいというので買った。
ロールケーキを朝ごはんに食べたいと言うので、大きいヤツを3個買った。
収入が半分になったから、食費を節約していたけれど、食べられるものを食べて元気になって欲しいから、買いたいだけ買わせた。
「でも、食べられる分だけにしてよ?捨てるのも冷凍するのも、大変なんだから」と言った。
夫様は「全部食べるよ」と言ったのに。
昨日の夜に「何も食べれない」と言い出した。気持ち悪いと言う。
いやはや、自分の食欲とか食べられる量とかの予想ってできないのかなあ。
買いだめした時に限ってそういう事を言う。
先週も少し残った、おいなりさんとか焼き鳥を冷凍した。
毎年2月は毎日葛根湯を飲むほど具合が悪いので、仕事を休まないだけで精一杯だから、冷凍したものを管理するのも疲れるというか。
それに、あの夫様が 食べられない ってけっこう、もう、最終段階に入ってしまったのではないか、と思う。
そんなことないよ、また回復するよ、とも思いたい。
そんなことをウダウダ思いながら、芸能人を含むいろんなブログを読み漁っていた。
普段の私は、他人が幸せそうな旅行や、生まれたベイビーの話を読んで、「良かったねー」しか思わないのに。
昨日は、つい、そういうハッピーブログに対して、黒い思いが沸き上がった自分に気付いた。
細かい内容ウンヌンよりも「この世の幸せを手にできている」ことが羨ましかった。
うちの夫様は、社会的に問題があるところもあり、手がかかるし、部屋も汚いし、「あんな男と結婚するなら独り身でいいよ」と言われるスペックの人なので。
独身の女の子に「結婚しているの羨ましい」と言われても、いやいや、そんな良い生活じゃない、あなたが私の立場だったら逃げだしたくなって、独り身の方が良かったとか思うよ、多分、と思っていた。
だから、自分は、「この世の幸せ」にすがって生きていない、と思い込んでいたけれど。
夫の死期がゆるゆると近づくにつれ、私は、気を抜けば、他人の幸せを羨む心も湧き出てくるのか。
つまり、私の幸せとか心の安定は、「夫との生活」というこの世の幸せに依存していたのか、と思い知った。
いろいろ問題がある夫であっても、「結婚していて夫が居る生活」に幸せを依存していた。それがなければ、他人の幸せを見てもなんとも思わないほど元気でいられないくらいに。
私は自分で思い込んでいたほど、強い存在じゃなかったんだ、とも思ったし。
自分が幸せじゃないと、他人の幸せを祝福できない人なんだー、とガッカリした。
他人の幸せをいつも気楽に祝福できていたのは、私生活が安定していたからなのだ、と分かった。
独り身の子に「羨ましい」と言われた時に、もっとその気持ちを分かってあげればよかった。
問題のある夫であっても、イチイチ本当のことを言わなければ世間にはわからないわけだし。
自分の心の支えになるものがあるのとないのでは、大違いなんだということ。
夫との生活を もっと感謝しておけばよかった、と思った。
あー、今からでも遅くないね^0^
感謝はいつからでもできる。