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日本人は、筋金入りの平和主義者なのかも⁉という昔のお話。

2017-10-01 17:07:18 | 幸福の科学高知 なかまのぶ

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北朝鮮から、次々とミサイルを国土の上空に飛ばされていて、一か月の間に、2回もJアラートという、現代の空襲警報を鳴らされていて、日本国民は不安と屈辱の逢い混ざり合った心境です。

しかし肝心かなめの与党自民党は、その対応をするでもなく、「今なら勝てるから」と国会を解散してしまいました。

こういう有事の際に、きちんと対応できるよう、日本国民は300もの議席を与えたというのに。

しかもそれをマスコミが問いただすわけでもなく、安倍VS小池の対決のシナリオを描いているようです。

それに乗って、小池新党に鞍替えする候補者が多数いて、議席獲得という名の就職活動の結果、民進党は事実上消えました。

これでは希望の党ならぬ、選挙活動党でありますわね。

結果、与党も野党もマスコミも、この国の国民は、誰も信じなくなって来ていて、これまで信じていた民主主義というものが、ガラガラと音を立てて崩れていく様を、リアルタイムで見ている面持ちです。

そういう中にあって、日本国民はまだ冷静さを保ってはいます。

普通の国のならば、とっくに核武装に入っているだろうし、民主主義国の為政者ならば、せめて自分の任期中は平和が保たれるようにする、何らかの具体的行動を行うものですし、そうでないと国民が許さないでありましょう。

これら一連の動きは、日本においては一種の「価値観」が背景にあるわけで、それを単純に、戦後教育のせいにしたり、市中で行われているであろう、中国や朝韓の画策だけでは、説明しきれないものがあると思い、私は「日本人の価値観の根底に、もっと根深い歴史的背景がある」と考えているのです。

それは、このブログで時折取り上げている日本の古代文明、そう、縄文時代に遡らなければならないと思うのです。

日本にかつて存在した縄文時代、これは事実だけを並べるならば、現代では作成できない、クッキーを焼けるだけの高温に耐える土器があり、千島・樺太南部~沖縄本島、そして朝鮮半島までに渡る、当時世界最大の文明圏であったことが分かっています。(カテゴリー・古代文明をご参照ください)

最低でも1万年前には存在し、3000年前の弥生時代まで、恐らく1万年は続いていたであろう高度な縄文時代ですが、その縄文遺跡群からは、絶対に出なければならなものが出土しないのです。

それは何か。

「武器」です。

1万年を超えると言われる長い期間の間に、全く武器が進歩しないということは、一体どういうことなのでしょうか?

それは、この1万年以上の縄文時代に、戦争がなかった証拠なのです。

これ以外、考えられないんですね。

時期の重なるメソポタミア文明やエジプト文明では、石から青銅へ、そして最終的には、鉄製にまで武具は発展します。
また移動機関も、馬や馬車による戦車など、時代を追うごとに、武具だけは、かなり進化・高度化した形跡が見られます。

建築物や生活物品などのレベルは、年々落ちていくのですが、軍事関係だけは、逆に進歩し発展して行くのがエジプト文明です。
それは、エジプト文明が「周囲国との争いを経験した」という明らかな証拠ですね。

一方縄文文明では、黒曜石の鏃(やじり)などがみつかりますが、これなどは、猟で使っていただろうと思います。

黒曜石の切れ味は、ナカナカのものではありますが、すぐに割れますので、戦闘には不向きです。
何せ、手で簡単に割れます。(笑)
これでは、武器としてはまったく使えません。(爆笑)



戦闘があれば、双方が武具の性能を競い合うはずです。これは、必ずそうなるのです。
縄文文明のように、どこの地域でもいつの時代でも、基本的に同じく、黒曜石製の鏃(やじり)しか出てこないというのは、縄文文明下の日本というのは、極めて平和な時代が、何千年も続く時代であったはずです。

武器が出て来ないということは、純粋に遺跡だけをみるならば、今の日本より広い縄文Japanにおいては、日本以外の国との戦いではなく、内戦すらなかったのです。

ここに日本人の、平和に対する原風景があるのではないでしょうか?

よく教科書では、
「縄文人には、国家という概念はなく、平和に暮らしていた。」
「人々は皆平等で、階級などはなかった。」
「その後の日本人が、争いという概念を持ち込んだ。」

みたいな表現をしておりますけど、半分は当たっていると思います。
国家という概念は、縄文人には恐らくなかったでしょうね。

私の予想では、縄文文明は”海洋型文明”です。
恐らく小さな集落が、海岸線の周囲に、北海道から九州まで(一説によると沖縄・朝鮮半島まで)点在しているような分布で、縄文の人々は、暮らしていたのではないでしょうか。

その点在する集落を、舟を使って移動する、”行商人”のような人がいて、

彼らが当時の日本全国を、縄文ネットワークでつないでいたのではないか?と想像いたします。

一つ一つの集落は、主食である栗やドングリを栽培するための、林で区切られている形です。

ですから近くの集落とは、実はあまり接点がなかったのではないか・・・とも、思っております。

接点がないので、お互いの利害が衝突せず、争うことも余りなかったのではないでしょうか?

栗やドングリを計画的に栽培し、それをクッキーなどにして食べる縄文人です。

ですから、それなりの組織は、集落内であったはずです。

縄文集落には、曲がりなりにも、”高度な仕事”がありますからね。

仕事のあるところには、必ず組織はできるのです。

組織がある・・・ということは、何らかのリーダー的存在はあったはずです。 

それがどういう形態の、組織なのかはわかりません。

しかし必ずあったはずです。

縄文人には、仕事があるからです。 

ですから、一般常識で言われている、「縄文=原始共産主義社会」というのは、共産主義者の幻想だと思います。

何度も言いますが、縄文人は決して、原始人ではなかったのです。

縄文人=原始人という思い込みが、科学的思考を停滞させていて、真実の姿を見えなくさせていると思います。

しかし、他の集落とも、あまり接点を持たずとも、争いは少なく、それなりに楽しく暮らせたのが、縄文文明ではなかったかとは思います。

日本という国は、平安時代や江戸時代など、数百年単位で平和な時代を経験していますし、戦後も70年以上、戦争を経験していません。

このような国は他に例がなく、日本は筋金入りの平和主義の国だと思うし、日本人の基本的な想念として「平和」があるのだと思うのですね。

であるならば、今の苦境を何としてでも克服しなければならないと思うのです。

それは、世界に未来に「平和創出の方法論」であるとか、平和の遺伝子構築であるとか、そういうメッセージを届ける使命が日本にはあるはずだからです。

戦争と戦争の合間が「平和」という価値観しかない、永遠の戦国時代しか経験んしたことのない世界は、本当の意味で日本の平和の遺伝子を望んでいるし、それができるのは日本しかないと思うのです。

「基本想念が平和」ということは、「打つ手が遅い」という欠点もあります。

何とか、日本を知り、世界の現実を知ることで、日本の欠点を克服しないといけないと思います。

その選択こそ、衆院選であり、幸福実現党こそが、その任を果たせると思います。

本日は、元寇に対峙した鎌倉幕府第8代執権北条時宗と、徳川幕府を開いて戦国の世を終わらせた徳川家康の霊言の一部をご紹介いたします。

            (ばく)

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★大川隆法先生 御法話

ご演題「危機のリーダーシップ」-『自分の国は自分で守れ』講義②-

◆日時・場所◆

【日  時】2017年10月1日(日) 13:30~15:30

【本会場】名古屋正心館・礼拝堂 

【衛星会場】支部・精舎

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すでに、元はスーパー大国で、世界一の超大国だったわね。
ヨーロッパとイスラム圏が、「十字軍」で戦って決着がつかず、何百年も戦い続けていたけど、その彼らを、丸ごと侵略してしまうぐらいの力があったわけですからね。(中略)

だけども、私は、単に拒否していただけではなく、攻めてきたときのための備えもやっておりました。
例えば、北九州などに防塁を何重にも築いて、攻めてきたときの戦い方を考えていましたが、実際に、あれは大きな役目を果たしています。そういう“防波堤”をつくっておいたために、彼らは、すぐに日本が占領できなかった。(中略)

鎌倉は、少し遠かったかもしれないけども、ヨーロッパを支配できたぐらいですから、とりあえず、九州を起点にして東征し、足の速い馬を使った騎兵で日本を占領する計画は持っていたと思うんです。

ヨーロッパへ行くまでの距離を考えれば、日本列島の主要都市を押さえるぐらい、わけがないことですよね。

ただ、海の戦いがあるので、造船しなければならず、それに何年か、かかっているわね。だから、その間に、こちらのほうは、防衛の準備をしていて、防塁を築き、九州の兵たちも鍛錬し、鎌倉武士たちも、西のほうに続々集結させつつあったわけです。(中略)

「国家意識」が芽生えてはきていたわね。

つまり、「国を守らなければ危ない」ということに対しては、九州の人も鎌倉の人も、意見は変わらなかったわけだ。(中略)

やはり、「武士社会があった」ということが、最大の強みだったね。
日本の武士道が根づいたのは「鎌倉時代」だと思いますけれども、うまいこと、日本の神様がたは、武家社会をつくる時代に入られたわけです。

まあ、(元寇を)予知されていたのだとは思うけども、そうした「武士の精神」ですよね。

たとえ、武器性能は向こうより劣っていたとしても、日本刀をつくる技術もあれば、甲冑をつくる技術もあり、また、弓矢をつくる技術も、槍をつくる技術もあったわけだし、向こうの馬には劣るかもしれないけれども、日本の馬もいたわけではあるのでね。そういう意味で、「侍社会があった」ということは、基本的には、「防衛体制を敷いていた」ということです。

今あるような“平和主義”で言えば、「海を越えて攻めてくるわけがないから、平安時代のまま、貴族社会をやっておればいい」ということになるだろうが、平安時代を滅ぼし、もともと武士だったにもかかわらず貴族化しかかった平家まで滅ぼして、源氏の世に変えた。

やはり、日本の神々のお考えは、「次に来る国難から、この国を救う」ということだったわけだ。

それを考えると、京都に近い所にいたら堕落して貴族化するので、鎌倉から幕府を移さなかったのは、頼朝以下、鎌倉幕府の将軍および執権たちの見識の賜物であったかなと思う。

そういう意味で、時代的要請に合っていたし、運がよかった。でも、運だけではなくて、「自力の部分があった」ということですね。
『北条時宗の霊言──新・元寇にどう立ち向かうか』(幸福の科学出版)P41~45

 

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君らは、「経済・貿易は平和なもので、軍事は戦闘的で悪いものだ」と思うておるかもしらんが、軍事的なものと経済的なものは、そんな簡単に分けられるものではなくてね。「経済で交流がある」ということには、これが、いつ、政治問題や軍事問題に転化するか、分からないところはあるのよ。

今の日本では、「中国との経済を拡大したいし、中国とアメリカも、お互い大きな経済相手国になっておるから、経済的には離れられないだろう」と思うておるだろうけれども、政治的にぶつかった場合には、経済問題なんか全部棚上げにして、戦いに入りますからね。(中略)

「貿易をやっているから」といって、平和が来るとは限らない。それは、知っておかねばならんことだよな。(中略)

最近の戦争でも、そういうふうに言われているようではあるけど、「貿易相手国だからといって戦争が起きないわけではない」というのは、ヨーロッパでも、よく分かっていることだ。だから、日本人にとっては、「今の貿易や経済の規模を維持すること」と、「政治」のところを、あまり一緒にしないほうがいいかもしれないね。

相手の中国なんかは一緒にしていないよ。むしろ、ある意味では、経済の拡大や貿易量の拡大を、相手を取り込んでいくための政治・軍事的戦略の一環としてやっておる。

これを、民間主導だけでやると、うまいことやられてしまう。

国家主導の国に対して、「貿易を盛んにすると豊かになる」という民間主導の思想だけでやっていると、あっという間に取り込まれてしまうことがある。(中国は)それも狙っていると思いますね。(中略)

このへんの考え方には難しいところがあるから、用心深い性格だと、“窓口”をあまり開けないようにする。当時は、オランダ貿易に絞っていったが、オランダからでも情報は取れたし、輸入もできたわけだけど、「洋風化を避けた」というのは事実ではあるな。(中略)

また、「武士の世」として理想とすべきものの一つは鎌倉幕府の時代にあって、やはり、「貴族化した場合には短期で滅びる」ということは分かっていた。

直前の秀吉さんは、下から這い上がって武将になり、太閤になってからは、すごく派手な性格になって、金貨の雨を降らすような生活をしたけども、最後には、あっという間に滅びていった。

それを見て、「武家の世は、やはり、質実剛健でなければ続かない」と考えたし、「貿易も大事だけれども、貴族化しないためには、『単に国を富ますことだけがすべてではない』という考えも必要だ」と思った。そんな短期で滅びるような政権ばかりつくってもしかたがないからね。

それに、外国からの占領を受けても困る。

だから、(対外的には)「今は『侍の世』『侍の国』である」ということにして、“窓口”を絞っておき、日本の実態戦力が分からないようにしていたところがあるかな。
『徳川家康の霊言――国難を生き抜く戦略とは』(幸福の科学出版)P38~42



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