宇多田ヒカルさんが、12年ぶりに全国ツアーを開始して、最終日が12月9日(日)で、その場所はなんと、11日(火)にエル・カンターレ祭が行われる幕張メッセだそうです。
宇多田ヒカルさんと言えば、最近、幸福の科学大川隆法総裁により、守護霊霊言が行われ、その中で、「過去世で、北欧の王トール(当時のエル・カンターレの降臨した時の名前)が説法する前に、歌で場を浄化していた。」と言っていたと記憶しているのですが、そうだとすれば、エル・カンターレ祭前にコンサートをなさるのは、それは偶然なのか、それとも神仕組みかと思ってしまいました。
とまぁ、この件に関してはこのくらいとしますが、宇多田さん然り、女優の吉高由里子さん然り、海外ではトランプ米大統領やプーチン露大統領、はたまた北朝鮮の金正恩氏の実妹金与正女史など、「時代のキーマン」と呼ぶにふさわしい魂が、キラ星の如く、世界中に散りばめられているのがわかります。
歌謡界に話を戻すと、「純粋な愛」とか「信じる心」とか「心の力」とか、そういう目に見えないもの、「人の心」や宗教で言われる「神性」や「仏性」と思われることを題材にした歌詞を持つ楽曲が、とても多くなってきているし、ヒットチャート上位を占めるようになっています。
世の中変わってきているし、「私は何も信じちゃいない。」と口では言っても、人は本質的に、真実を求めているのだと思うのですね。
さて、この記事をお読みになっているあなた様も、歴史の鍵を握る「時代の子」なのかも知れません。
私はしがない看護師でございますが、少しでも、時代の歯車が、神仏の願われる方向に回せるように、「小さな小さな努力を、日々積み重ねていきたいものだなぁ。」と思います。
私たちが生きている今という時代は、本当に面白い時代です。
お釈迦様が「大末法」と法華経で説かれた時代なのでしょが、光と闇とが相克し合い、価値が乱立していて、「何が正しいのか。」とか「何が真実なのか。」が分かりにくい時代であります。
しかし、しっかりと眼を見開いていれば、「光とは何か。」「闇とは何か。」「何が正しくて、何が間違っているのか。」が、これほど鮮明に、くっきりと現れている時代はないのではないでしょうか。
大川隆法講演会特別サイト https://ryuho-okawa.org/info/2018/4360/
世界中に散りばめられた、キラ星のごとき魂たちが、後の世でドラマで語られるであろう歴史スペクタルを、リアルタイムで現わしている時代。
危機はあるのでしょうが、ワクワクしてしまいます。
いよいよ11日(火)はエル・カンターレ祭。
ご法話は「奇跡を起こす力」ですので、参加したら、奇跡が起こるかもです。
高知では、まる原さんによる、特性ディナーがあるようですよ。
本日は、経典『幸福の原点』(幸福の科学出版)より、転生輪廻について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った一節をご紹介いたします。
(ばく)
大川隆法総裁 講演会 2017「信じる力」抜粋版(大分別府ビーコンプラザ)より
宇多田ヒカル - This Is Love (Live Ver.)
☆2018年 エル カンターレ祭☆
日時: 12月11日(火)18時45分~
本会場: 幕張メッセ
衛星会場:各支部・精舎(高知支部精舎では、ディナ―付き・寄付金大歓迎)
過去、数百年のあいだ地獄で苦しみ、ようやく第一段階の悟りを得て天上界に還り、地上に生まれ変わってきた人も、過去、菩薩として、あるいは如来として生きてきた人も、まったく同じスタートを切らされます。それだけの厳しい修行というものを予定されているのです。
考えてみれば、これが、万人の魂を発展させていくためには非常によいシステムであることが分かると思います。
たとえば、「自分は過去世において、ある国の王をしていた」「過去世において偉大な宗教家であった」「過去世において偉大な学者であった」などということを、生まれてきたときに記憶していたとして、それが今世の修行にどれだけ役に立つかという観点から見たならば、おそらく大きなお荷物になるであろう、負担になるであろうと思われるのです。
自然科学系統の人であるならば、物理学であるとか、電子工学であるとか、いろいろな理科系統の学問を勉強しているでしょうが、そういう人が、自分が過去世において、ニュートンのような、あるいはアルキメデスのような科学者であったということを、生まれつき知っていたり、両親から教えられたりしたならば、その人の人生は非常に窮屈な人生になるであろうと思います。過去世の自分が得たところまで取り戻すだけでも、大変な修行です。
しかし、それをまったくの白紙にされているということは、考えてみれば、大きな慈悲です。
私はいま、幸福の科学の総裁として、みなさんの前で法話をしたり、書物を著したりしていますが、こういう道に入るということに、おぼろげながら気がついたのは、生まれてから二十数年の歳月が流れたあとでした。
これが幸か不幸かを考えてみるならば、やはり幸福であったと思います。そういう使命があることを、生まれたときから知っていたということではなく、普通の人と同じように生きていながら、そのなかで、しだいに自分の魂の芽生えを感じ取っていったということは、非常に大きな幸福であったと思うのです。
人生には宝探しのようなところがあります。その宝が埋まっていることを、最初から教えられていては、楽しくありません。
生きている途中で、旅の途中で、さまざまな隠された宝を探し出すことによって、そこに大いなる発見があり、大いなる喜びがあるわけです。
『幸福の原点』(幸福の科学出版)P37~40
サントリー 南アルプススパークリング『SWITCH&SPARKLING!』篇 60秒 宇多田ヒカル サントリー CM
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