「花降る里」の記事(http://rokkou-kabuto.seesaa.net/archives/20140714-1.html)の記事です。(若干の書き換え、書き足し有り)
(この処、記事がアップ出来ずに消えてしまうコトが多く、更新が途切れてしまいました。いよいよパソコンの調子が悪い今日この頃…)
「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様からの神示」より、転載します。http://696.kibanamano.net/archives/52205645.html
宗教
人は神と宗教と同じに考える者多かるれど、神とはこの世の全て、宇宙の法則なり。
宗教とはその神の心を分かりやすく人に伝えるためのもの。
なれば、人を己の言葉に従わせ、崇め奉れよと申す者は真の宗教家にあらず。
神は真理をしらしめるため伝道師をこの世に下ろさるるなれど、宗教をつくり上げるは人なり。
あの神が正しき、この神が正しき、あの神は本物なり、偽物なりと人同士が争うは、神にとりてはただに嘆かわしきこと。
全ては人間の浅はかなる考え。
宇宙の真理は神の子たる人間の魂は承知しているものなり。
宗教家、伝道師はそを目覚めさせるだけの役割ならん。
全ては因ありて果ありと心得て、道徳を養いて日常を正しく生きる事こそ真の信仰のあり方ならん。
いつもながら確かにそのとおりだと思う反面…、
「…なれば、人を己の言葉に従わせ、崇め奉れよと申す者は真の宗教家にあらず。」
の箇所など、今日の「神示」には所々ひっかかりを感じています。
邪教に惑わされず、ひとを目覚めさせるために、釈迦もイエスも「我を信じ、従い来よ」と云ったはず。
例え「人を己の言葉に従わせ、崇め奉れよ」と云う宗教に惹かれ、従う人達が居たとしても、それこそ、「神にとりてはただに嘆かわしきこと。」
「崇め奉れよ」とは云わないまでも、正邪の判断を間違いやすい私達凡夫の為に、「神の正義とは何か?」を説き、最後の最後まで人を導き続けたはずです。そして死して尚、時を越えて、偉大な宗教家の「教え」は人々を導き続けます。
どこに人々を導く「正しい教え」があるか?「神の視点」「神の正義とは何か?」をどこまでも問い続けていくことが、神に少しづつでも近づいていくための、人間の仕事ではないのでしょうか?
「全ては因ありて果ありと心得て、道徳を養いて日常を正しく生きる事」も確かに立派なことですが、誰よりも高い視点、正しい判断を下すことが出来る人とその言葉に出会った時、コレはホンモノ(神の言葉)だと感じた時に、人は畏敬の念を抱くことが出来ます。(本当にエライ人は、誰に対しても敬意を表することが出来ますが…)そういう人がこの世にいなければ、神に帰依する心などなかなか持てないのが、人間。
それまで「神」といっても哲学的にしか理解していなかった私を、信仰の世界に目覚めさせてくれた「幸福の科学」には、「仏陀の悟り」という教典があり、その中に
「仏陀(われ)を信ずる心こそ、救いの道の王道なり」
という文言があります。
仏陀と書いてわれと読むこの経文こそ、仏陀即“われ”であるという仏教の真髄を一言で現した経文でありますが、仏教の真髄を“知る”ことは出来ても「我は仏陀(目覚めたる者)なり。(天上天下唯我独尊)」と言うことを許された人は、「釈迦牟尼世尊」以後、5000年間出て居ませんでした。(「我はソレ(神)也」と云って磔にされたイエス・キリストでさえ、“父なる神”に向かって祈りを捧げていました)
「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様の信示」の今日(13日)の神示は、この仏教の真髄をわかりやすくかみ砕いて説いてくださっているので、アップさせて頂きましたが、「宗教家・伝道師はそを目覚めさせるだけの役割ならん。」といってしまうと、現世に降りて来られた“仏陀(目覚めたる者)”に対する敬意が足りなすぎる気がします。
もしや、「木花咲耶媛様の神示」のブログ主が、「宗教」と「神」を切り離してお考えならば、宗教を統合し人類の悲願である“万教帰一”を目指す「幸福の科学」とは正反対の方向ですが、果たしてそれは、日本の神々のお考えでしょうか?
日本から世界に打って出る“覚者”(つまり「木花咲耶媛様の神示」が云う「宗教家・伝道師」)の出現をこそ、日本の神々は待ち望んでこられたに違いないと思うのですが…。
すべては、神の御心のままに、コトは進んでいると信じます。(人間の理解に段階があるように、神にも段階があるのではないでしょうか?)
(以下、書き足し)
世界中の国を代表する「宗教者」が、一同に会し、どの教えが一番人類を幸せにするか? せめて四年に一度位、論議を戦わせる場所があればよいのに!
と思います。
宗教のワールドカップ、開催希望!(ただし、勝敗なし。全地球人が参加することに意義があります)
せめて、人類の目標を「世界の共存共栄」と定めることができたら、人間の智慧を結集することが出来るのですが…
一朝一夕に、宗教同士の穏やかな話し合いや、ましてや「統合」などカンタンなコトではありませんが、一人ひとりが相手の立場を理解し、忌憚のない話し合いをすることから始めるしかないのは、確かでしょう。
地球人一人ひとりが、どうすればこの星の未来を拓くことができるかを考え、救世運動に参加することが“大事なこと”だと思います。
意外と思われるかもしれませんが、小論文というか作文のようなものを書いて、会員になった者ではないからですね。
よくこんなものを書けるなぁと、感心したものです。
ただ、間違いは許されない世界なので一ヶ月に一回の更新になるのかな。
千人の人に道を説いて、一人でも理解してくれればいいというような精神かな。
泣き虫ウンモさんのブログ、是非読んでみたいです!
間違いが許されない世界…といっても、“間違い”が眼に余れば、必ず誰か、指摘してくれる人が現れますから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、きっと。
(私みたいな“お調子者”は書けば書くほど、本性がバレて恥をかくハメになったりもしますが…)
ウンモさんみたいに博識があって慎重な人こそ、書くべきだと思います。
あっ、そうだ!
試しにここに書いてみませんか?
そういえば、前に、投稿して下さったコメントが素晴らしいのでアップさせてもらったことがありましたね!
今思いつきました(笑)が、是非宜しくご検討の程を!