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戦後にメディア(朝日新聞)が豹変した理由!

2016-09-02 13:44:52 | megamiyama

ZAKZAKに掲載されたケント・ギルバート氏の記事にちょっと驚きました。

ナント、、終戦直後(1945年9月中ごろ)の時点では、アノ朝日新聞が!『米国の原爆投下は「国際法違反、戦争犯罪である」と批判した鳩山一郎氏(=後の首相)の談話と、米兵の犯罪を批判した記事を掲載』していたとのこと。

朝日新聞が、いつから売国新聞に成り下がったのか?がついにハッキリしました。

抵抗のしようがない言論弾圧が行われたのでした。

他国に占領されるということの恐ろしさを、改めて思い知ります。

終戦前、日本政府が原爆投下直後にアメリカに対して抗議文を送っていたことも、GHQによって永い間封印されていましたので、去年ねずさんがそのことに言及した記事を読んで衝撃を受け、ここに紹介させて頂いた『知らなかった!広島原爆の投下直後に、日本政府が出した「アメリカを糾弾する文書』http://blog.goo.ne.jp/hikarinonakama/e/0bbd6f7ef6d48753f5e153cd256961ff))の記事は、「光の進軍…」始まって以来の注目を頂き、今年の夏にも某サイトで紹介されたり(http://ksmworld.blog.jp/search?q=%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%81)しましたが、如何に日本人が「歴史的真実」から遠ざけられ、だからこそ、如何に「真実」が求められているか?の表れだと思います。

こういった、アメリカにとって(そして身過ぎ世過ぎの為に、売国メディアと化した日本のメディア業界にとっても!)、隠し通したい「不都合な真実」が、白日の下に晒され始めたことは、喜ばしいことです。

彼がアメリカ人の「誇り」にかけて、恐れず、敢然と「日本」を弁護する姿勢には、国籍を超えた「人間の良心」がにじみ出ています。柔和で理性的な表情を見せながら、「不正」や「ウソ」を見抜き、トコトン論理的に、動かぬ証拠を突きつけていくその手腕は、さすが「訴訟大国、アメリカ」が生んだ、百戦錬磨の弁護士!頼もしい限りです。

日本の弁護士協会の人達に、彼の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいですが、やはり戦後、「大義」のない”身過ぎ世過ぎ”の仕事をせざるをえなくなった当時の日本人のくやしさ・情けなさに、思いを致すべきなんでしょう。

戦後教育で教わった、戦前の軍国主義が間違っていたのだという話も、東京裁判で弾劾されたA級戦犯達の汚名も、そもそも戦後唯一の拠り所としてきた「日本国憲法」すらも、すべてGHQと日本の共産主義者が結託して作り上げた、一方的な押し付け占領政策の一環だったことが、ハッキリしてきた昨今、「日本が負ける戦争に突入をしたのが間違っていた」というより、野蛮アメリカの不正な罠に日本がまんまと乗せられたのがいけなかったというべきでしょう。

そもそもルーズベルト・アメリカが日本を敵視し、「敵の敵は味方」とばかりに、共産主義者と手を結んだのが、先の大戦の最大の間違いであったことは、戦後の世界の相変わらずの混迷ぶりを見れば、明らかなのではないでしょうか?(色々勉強して、やっとわかったことですが…)が、わかってみれば、如何に時の世の指導者達の個人的資質に世界の運命が委ねられているかということもわかって、愕然とします。

共産主義の恐ろしさを見抜き、独自に予防線を張り、戦っていた「日本」をルーズベルト・アメリカが「悪魔の帝国」と勘違いし、”目の敵”にして叩き潰そうとした結果、今、アジアでは、中国・北朝鮮が手におえない”元凶”になっているのも、そもそも、アメリカが撒いた種。

スポンサーの言いなりになるしかない日本のメディアには、もともとGHQによって、共産主義者が送り込まれていましたが、アメリカにはもちろん、中国にも何も言えなくなっている「日本」に、助け舟が各方面から出されようとしています。

その一つがコレ。

日本を愛するアメリカ人、ケント・ギルバート氏が、”無知で、無関心な日本人”に替わって、「アメリカの不正」と「日本のメディアの奴隷根性」を、実に明快に暴いてくれています。

アメリカが日本にした非道は許せませんが、アメリカ人は話せばワカル人達です。

中国が新疆ウイグルやチベットにしたことをみれば、中国の占領を許した場合、アメリカ以上の蛮行を日本に働くことが、目に見えていますので、二度目の敗戦を迎えない為にも、そろそろ、目をさましましょう。

もう70年も、ぬるま湯につかり、戦争がなかったというだけで満足している日本人は、ゆでガエルになって、中国に食われても、文句は言えません!

「真実の言葉」は最強の武器。

国を越え、通じる「正論」で日本は、負けない戦いをしたいものです。(体を張って立ち向かわねば、話になりませんが…)

 

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160827/dms1608271000004-n1.htm

ZAKZAK夕刊フジ

戦後にメディアが豹変した本当の理由 GHQに忠誠を誓い「飼い主」変更

1945年8月15日の朝日新聞紙面
1945年8月15日の朝日新聞紙面【拡大】

  終戦まで、日本のメディアに「報道の自由」はなかった。新聞各社は、言論を統制する内閣情報局などと連絡しながら、国民の戦意高揚のための記事を掲載した。書籍や雑誌、ラジオや映画でも、検閲や指導は日常的に行われていた。

 政府や軍部を批判すれば、発行禁止や回収を命じられたり、逮捕・投獄される恐れもあった。当時の日本メディアはジャーナリズムの意地や誇りを捨てて、政府や軍部の「忠犬」や「番犬」として生き残る道を選んだ。

 朝日新聞は当時、首都・東京の二大紙の一角を占める業界のリーダー的存在であり、政府との結び付きも強かった。日本が敗色濃厚となった後も、朝日は「一億玉砕」などと国民をあおり続けた過去を持つ。

 そんな日本のメディアは、敗戦で戦時中の行動を反省した。「報道の自由」を手に入れて、権力の監視と批判に力を入れるようになったと思われている。だが、私が調べた事実は違う。

 日本はドイツのように、国家体制が完全崩壊したわけではなく、無条件降伏したわけでもない。政府は1945年8月15日のポツダム宣言受諾後も、従来通り仕事を続けた。朝日も内閣情報局との関係を保っていた。

 朝日は同年9月15日と17日、米国の原爆投下は「国際法違反、戦争犯罪である」と批判した鳩山一郎氏(=後の首相)の談話と、米兵の犯罪を批判した記事を掲載した。これがGHQ(連合国軍総司令部)の逆鱗に触れ、同18日に発行停止処分を受けた。

 この処分を契機として、朝日を筆頭とする国内メディアは豹変(ひょうへん)した。GHQに忠誠を誓い、「飼い主」を変更した。

 バイデン米副大統領が先日、共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏を揶揄(やゆ)して、「彼は(日本が)核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことを知らないのか」と発言した。

 この一件が日本でも報じられ、日本国憲法が「民定憲法」ではなく「米定憲法」である事実を、初めて知った日本人も多いと聞く。GHQの情報統制は、現代まで生きていたことになる。

 日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶ人もいるが、第9条は日本ではなく米国の平和のために書かれた条文である。米国の知識層には常識だが、現職の副大統領が公言したインパクトは大きかった。

 戦後71年。現在、日本の「平和憲法」で守られる国は米国ではなく、中華人民共和国(PRC)と北朝鮮、韓国だ。

 改憲反対を声高に叫ぶメディアが2度目の「飼い主」の変更を行った経緯は、調査中である。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。著書に『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(いずれもPHP研究所)、『日本覚醒』(宝島社)など。



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