「大川隆法ネット後援会」という大きな看板を掲げたブログがあります。
ブログの管理人であるアモーレさんは、その趣味の広さとノリの良さ(笑)に隠れた?見識の高さで、幸福の科学きって人気ブロガーのお一人ですが、実はアモーレさんのブログにはお抱えゴーストライターが2,3人?いて、ご本人に変わって記事を書くことでも知られています。(自分の守護霊を降ろすのですから、これも立派な「霊言」デス。)
なかでも、魂の兄弟(守護霊)であるひきこもりさんが登場されるときは、大川総裁が降ろす霊格の高い霊人の言葉にも勝るとも劣らないメッセージ性があり、傾聴に値します。(いつものアモーレさんとは明らかに違います! 笑)
いわく
『明治維新は不完全な革命でありましたが、それは、「神の革命」という概念を、体制に残せなかったことにあります。
この世的な、身分や地位の概念を超えることができず、政権交代に神を利用した側面があり、そのかすかな側面が、その後の日本の大きな矛盾点となったのです。』
熊本地震の直後収録された「熊本震度7 神意と警告」には、「安倍政権は伊勢サミットで、神を政治利用しようとしている!」と怒る霊人(日本の意志!)の言葉がありましたが、明治維新の時すでに神の政治利用がなされ、それが後々”祟っている”という厳しくも鋭い指摘には、はっとさせられます。
日本人なら、幕末に起こった明治維新は起こるべくして起こった歴史的快挙であり、新しい時代を作ったことに間違いなどなかったと思いたいところですが、神の視点から見ると、まだまだ不完全だったのかも知れません。
戦後の自虐史観は論外としても、日本人が真に正しい歴史観を持つためには、まだまだ検証すべき問題があるのでしょう。
そして、日本が神の国なら、一点のごまかしも過ちも見過ごされず、政(まつりごと)を最終的に取り仕切ってきた(審判を下す)のは人間ではなく神々であったことを、思い知るときが近づいているようです。
為政者が神にすがる気持ちと神を政治利用することの線引きは、人間の側からすると難しいですが、すべては本心が神意に適っているかいないか(権力を握って神になり替わろうとするか、世の為人の為に骨身を尽くすか)で結果が違ってくるのでしょう。
すでに5月半ばにさしかかり、ひきこもりさんの予言通り、コトが起こり始めた気配です。
http://ameblo.jp/oramorre/entry-12157041523.html
ひきこもりです。
私はかつて、そうあれは、1年半ほど前に、「現代に薩長同盟が復活し、主の革命を成就させるだろう」と述べました。
http://ameblo.jp/oramorre/theme7-10087047778.html
そのときは近づけり
そのときを告げる鐘は いま世間で 聞こえる者には聞こえる音色で 鳴り始めているということをお知らせいたします。
長州は「理念」 薩摩は「軍事力」 土佐は「経済力」の象徴です。
これが今、静かに近づいています。
そして無能化し、人々と人々を愛する神から見て、時代の錆びになっている、幕府を瓦解させます。
歴史に偶然はありません。
歴史というときの流れには、神の意思があり、それは必ず「必然」なのです。
革命とは、価値観の変化を伴います。
それなくして、革命とは呼べません。
その大いなる必然の中で、歴史に「神の革命」という文言を加えるときが、もう近づいているのです。
明治維新は不完全な革命でありましたが、それは、「神の革命」という概念を、体制に残せなかったことにあります。
この世的な、身分や地位の概念を超えることができず、政権交代に神を利用した側面があり、そのかすかな側面が、その後の日本の大きな矛盾点となったのです。
さあ友よ。
覚悟はできていますか?
それは、5月か6月には起こるでしょう。
来年以降ではありません。
今年の話ですよ。
しかも、それはもっと先にある、もっと大きな革命の、小さな始まりに過ぎません。
それは、あっという間に起こります。
革命は、起こるときは一瞬で起こります。
なぜならば、革命は価値観の変革であり、革命がはっきりと人の目に見える前に、価値観の変化は済んでいるからです。
神の革命は、すなわち、神の子の革命です。
神の子の、最もオリジナリティーがあり、最も付加価値があり、最も強い力によって、それは起こります。
それは何か。
それは、「心による創造性」です。
大川隆法の革命は、「神の子の創造の力による革命」です。
ですから、革命を成就するには、多くの神を信じる者たちの、強い想念が必要なのです。
どう思えば良いか。
それは、「勝てる」と思えることです。
「勝てる」と思えれば勝てます。
簡単なことです。
なぜならば、私たちは創造の力があるからです。
信仰者の、想念の力をなめてはいけません。
それは、神の力を矮小化したことになる。
私たちの想念の力は、神より戴いたものであり、それを心の修行によって、日々鍛えているその精進と努力の力が、一体どれほどのものかを知らないのは、当の本人だけなのです。
人は、各々個々人の、「当たり前」の世界で生きているからです。
心を見つめ、「勝てる」と思えなければ、そう思えるように努力することです。
「どうやったら、勝てると思えるか」
そう、それが、私たちの努力精進の方向性なのです。
精進とは、自分自身を説得することです。
さあ我々が、どのようになれば、「勝てる」と思えますか?
多くの方が、「幸福実現党に、勝って欲しい」と思っていただければ、私たちはごく自然に、「勝てる」と思えるのではないでしょうか。
そうこれが、努力の方向性なのです。
その方向性の中で、各々が各々のやるべきことを、やれるときに、やれるだけやることです。
私たちの「勝てる」と思える想念が伴う具体的行動が、「大川隆法の革命」の別名を、「5月革命」と呼ぶのか、それとも「6月革命」や「7月革命」呼ぶのか、その歴史的名前の由来となるでありましょう。
それでは、またのお越しを。
私のような田舎者であれば、天皇は神ですけどね。
東北や九州の方々は、軍の言うことを聞いて万歳突撃をしたしね。
う~ん、教派神道に対する迫害ですかね。
問題はね。
何なんですかね、あれはね?
明治天皇が神を政治利用したといえば、現代人でもちょっと抵抗がありますが(やはり「明治は偉大」という刷り込みがあるのでしょうか?)、「廃仏毀釈を断行したのは明らかに良くなかったですね。(教派神道に対する迫害については、不勉強であまり知らないのですが、神道を国教に据えるに当たって色々無理はあったんでしょうね。)
政変が起こり時代は否応なく変わっていきますが、完全に正しい時代も、完全に正しい改革も、未だかつてないんでしょうね。
だからこそ、イノベーションしていくしかないということなんでしょうけど…。
長い歴史を持つ日本人は、いくらでも過去の歴史(間違いや失敗)に学ぶことができる立場にあるのに、戦後の自虐史観教育は諸悪の根源ですね。
日下さんの本は、初めて読みましたね^^;
明治二本が、それまでの神仏融合の国のままならば、日本はその後、世界の盟主の道を歩んだでありましょう。
今人類が頭を悩ます宗教問題も、かつて米ソ冷戦ともなった、そして今中国などの共産主義国の台頭もなく、人類は、それらに膨大な歴史コストを払うことはなかったでありましょうね。
さすれば末法は来ず、主の降臨も、ひょっとしたらなかったかも知れませんが。
それがトータルで、人類にどれだけの幸福度の違いが現れるかは、私にはわかりませんが、主の降臨の必要性、そのものがなかった可能性があります。
ただ、すべては神仕組みであり、神がこの歴史を選んだのであり、そこから人類は、魂の教訓を、また善悪の学び得るべきだとは思います。
パソコンは新しくなったんですが、本人の仕事能力の低さと愚図はなかなか改善されません
お許しの程を
>さすれば末法は来ず、主の降臨も、ひょっとしたらなかったかも知れませんが。
そうでだと思います。
日本がとっくに世界の盟主になって、少なくとも今の世界とは全く違う、平和と繁栄の星 地球となっていた可能性は確かにあったと思います。
ただ、苦労して苦労して理想に向かっていくのが”地球人らしさ”なのかとも思えますね。
苦労性の星 地球 って感じ!(笑)
だって、自分が幸せならそれでいいなら、わざわざ生まれてくる意味はなさそう…。
かくて「愛の星 地球」になるための苦労は、まだまだ続くのでしょうが、かつて日本にはこれに国をあげて挑戦し、世のため人のために命を捧げた人たちが居たことを忘れてはいけませんね。
あれは人類史上稀有なことだったと思います。
世界に先立って戦争に懲りた民族となった今も、その使命だけは、残っていると思います。
世界のもめ事をおさめ、苦労を買って出る国は、やはり日本しかないと思います。
これからも、大変だ~