土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
前回記事で、つい長々と書いてしまいましたが、要するに日中戦争には、日本側には侵略的な動機がないことが言いたかったのです。
http://blog.goo.ne.jp/orbakuchan/e/a2c7e66d1143afb65c47a180ea7c6002
当時の日本は世界から孤立し、連合国側のABCD包囲網などで、石油がほとんど輸入できなくなっておりました。
ですから当時の日本が、石油は喉から手が出るほど欲しかったのはわかりますが、戦争相手の中国からは石油は産出されないのです。
ですから、その点に焦点を合わせれば、当時の中国は戦っても得るもののない相手なのです。
私はこの謎多き日中戦争の動機は、「もしかすると、北部と南部では違うのではないか。」と考えております。
しかし南北で同じものもあります。
それは、「日本は、当時の中国政府と戦っている意識は、なかったのではないか。」とも思っております。
???ですか?(笑)
もう少しお付き合いください。(^^;
では、今回は北部に焦点を当てますね。
中国北部戦線では、満州国に滞在していた関東軍が戦っております。
関東軍とは、要するに満州国への日本からのレンタル軍です。
満州国を建国する前には、満州鉄道を通じて、日本がこの地を実効支配しておりましたが、
清王朝消滅の後、この地に満州民族の国を建国したのです。
清王朝は、満州民族の王朝でした。
要するに清の復興を、彼ら本来の居住地に、日本が新設したのですね。
満州国は出来立てほやほやの新設国家でしたから、自前の軍隊がまだありません。
ですからその時に実効支配していた関東軍が、満州軍を兼務していたのです。
満州に関東軍がいれば、ソ連軍の南進を防ぐことができ、日本の安全保障上も有利でした。
日満両国にとっては、Winwinな関係だったのですね。
さて、世界地図を見ると、国境線が書いてありますね。
そして、「国境線を不要に越えること、また国境線を越えて軍事行動を起こすことはいけないことだ。」
という認識を、読者の皆様は当然のように思っていますね。
世界でもこの価値観は、今では常識でございます。
しかし、
この価値観が世界に定着したのは、第2次世界大戦後なのですね。
この価値観を戦前に持っていたのは、当時では日本だけだったのです。
ある意味でこの部分においても、世界は日本化したのです。
(その要因は、また後日改めて。)
当時の世界では、軍事力などの拮抗するところが、事実上の国境でした。
世界では侵略戦争に慣れているので、取ったり取られたりしているうちに、
軍事境界線ができて、自然に国境が落ち着くのが、戦前では当たり前でした。
国際的に決まった国境線を厳密に守り、その範囲内で国家の生業を立てていたのは、当時の世界では日本だけだったのです。
それが、決まってしまったものは守るという民族性なのか、海に囲まれた歴史で、国境線に慣れていなかったからなのかは、
私にはわかりかねるところでございます。
つまり、皆さんが描いてきた、中国という国境線に囲まれた国が、当時に存在したのではないのです。
当時の中国大陸では、国際的には中華民国と言われている国家があって、それと日本が戦ったというイメージがありますけど、
実際の中華民国政府というのは、中国南部の首都南京を中心とした、狭い範囲しか実効支配しておらず、
その他の地域は、各地域の軍閥が支配していました。
軍閥とは、日本の戦国時代の地侍集団、野武士集団、山賊みたいな軍事集団です。
ですから軍閥は、侵略行為も朝飯前で、戦闘は日常茶飯事でした。
中国北部では、厳密に故郷線を遵守する関東軍と、国境の概念の全くない軍閥との小競り合いが、頻繁に起こったはずです。
そしてこの中国北部地域には、地理的にとても重要なことがあります。
今の北京は、清王朝の首都でもあるのですね。
その時には軍事境界線の関係や、国際的な約束事で決めた国境線があり、北京は満州ではありませんが、
北京は本来、清(満州民族)ゆかりの地なのです。
漢民族は寒いのが苦手なのか、本来の居住地は、黄河以南なのですね。
今の中華人民共和国の首都は北京ですけど、漢民族の首都としては最北の地です。
ちなみに中華民国の首都は南京で、随分と南部ですよね。
ですから日本が実効支配して以来、インフラも整い、急に豊かに近代化した満州の富を、
この地を軍事的に支配していた軍閥が狙い、いざこざが耐えなかったことから端を発した戦闘が、
ついには満州民族の失地回復に至ったのが、中国北部戦線の真相の一つではないかと、私は推測いたします。
要するに、関東軍が国境線を遵守している限り、軍閥はやばくなったら、満中国境から逃げれば良いのですから、
満州の関東軍側からすれば、いつまで経ってもラチがあかないわけですね。
一気にこの地の軍閥を追い払い、大幅に軍事境界線を拡大すれば、日本本土の国防上極めて重要な満州を守れるのです。
やはり日本の戦争観=国防からの戦闘だと思います。
当時の中国北部より、満州国の方がはるかに豊かなので、単純な侵略をする意味がないからです。
今尖閣諸島あたりで、中国の船や飛行機がウロウロしておりますが、当時も今と同じような状況下にあったと思われます。
侵略的発想をする者に対しては、その気をなくさせることが重要です。
現時点では、沖縄から米軍基地を移転することは危険です。
これが歴史から学ぶ、正しい選択です。
「土佐のくじら」より転送 http://blog.goo.ne.jp/orbakuchan/e/dbb07d2d2e2aa6a829eed3cd0841cb5d