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どういい訳か、妙に寝付けず、ベッドから抜け出してPCを立ちあげログインしたあとのwindows画面は皇居、二重橋の光景がWindowsの画面になっているではないですか。。。
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修理上がりデスクトップPCは、OSを再インストされた後で、いつも愛用しているスクリーンキャプチャーソフトが削除されてたようで、やむを得ず、スマホで撮影したことで、画像の表情が異常です。
色調が、専門的な用語は知りませんが、液晶画面特有の乱反射が縞模様のノイズになり、色調も、刺激的なピンク色がノイズのように際立っておりますが、撮影した時刻のエビデンスにはなっていると思ってそのまま採用しました。
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日にちは、当然ながら、すでに令和5年2月26日です。
つまり226事件の日に、偶然でしょうか?
Windows待ち受け画面の壁画像が「二重橋」とは。。
なにか、感、迫るものを感じます。
令和5年の2月22日未明に、日本史の近現代の重要なキーワードの「226事件」の日であるのを思うと、極めて厳粛な気になります。
今日の東京は寒いのでしょうか。。。
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昭和11年(1936年)当時の陸軍青年将校が所属する部隊を動員して決起したのが88年前の今日夜半になります。
その日の東京は雪が降っていたという二月26日の夜に事件は始まりです。
青年将校はいわゆる皇道派であり「尊王滅奸」の激情のエネルギーが行動の原動力になったと記述すれば、安っい国定日本史の教科書の世界になってしまいますが、後年多くの作家が、事件をそれぞれの作品を、個性的な切り口で取り上げておりますことは、今では広く共有されていることです。
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「青年将校」、「至誠」、というキーワードで最も記憶に残るのは、OGG的には三島由紀夫です。
また、石原慎太郎も、たしか「野蛮人のネクタイ」で、動員された部隊の下士官兵が、その後インパール作戦作戦に投入されて部隊が全滅した内容を切り口していたことを記憶します。
しかし、噺家の五代目柳家小さん師匠(故人)が二・二六事件の反乱軍にいた 、つまり動員された兵士の中にいたということも有名な話で、そうなれば、口封じで、事件参加部隊を根こそぎ、激戦地をたらいまわしにて消耗、口封じをしったという当時の陸軍の批判は少々ズレているようにも思います。
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かれこれ半世紀前に読んだ小説や、盾の会の諸氏諸兄が陸自市谷駐屯地・現防衛省で、決起行動をしたその時間、事件をバイトで運転中の車のラジオで知り、思わず水戸街道の四つ木橋の手前当たりの車を寄せた記憶があります。
1970年(昭和45年)11月25日 で、大学4年の時でした。。
作家・宮崎正弘氏は、当時、三島由紀夫氏が主宰する「盾の会」のメンバーであったとする逸話は後年作家としてデビューされた時以来、有名な内容で、不詳OGGがその意味で、意識の中で大きな存在感を感じさせる要素になっております。
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二重橋、そして226のキーワードで、三島由紀夫、石原慎太郎、盾の会、市谷駐屯地・防衛省、宮崎正弘氏といったキーワーードを連想、連鎖することになり、どうやら、自分的にはすっかり「昭和人全開モード」になったようです。