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ちなみに今回の選挙で第二党に躍進したのが、極右と言われている「AFD・ドイツによる選択肢」ですが、もとはと言えば、旧東ドイツの地域を中心に勢力を拡大した政党とのこと、
これは、上念 司氏が、出演したラジオ番組で紹介された部分の受け売りです(汗)
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旧東ドイツで、旧ソ連の傀儡政権を実体験した地域がリベラル色はおろか、メディアから極右とまでレッテル貼りされる状況にあって、こんかい第二党の支持をうけた背景に興味が行きます。
つまり旧ソ連色の世界を知ってる、体験した原体験が、リベラルを否定する価値観の根源になっているという証明のようなものとすれば、リベラル、旧ソ連の反面教師という見方もできそうで、ガチ保守コテウヨのおGGには鼻孔が開くほどの興奮を感じます。
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2015年以前からトルコの労働者は受け入れられていたドイツでしたが、この時はシリア難民がオースリア国境を開放されての入境であったことを記憶します。
時に米国大統領は、あのリベラルのオバマ大統領でした。 そして、米国への移民は通常の入国移民で、メキシコ国境の河を泳いで入境する移民はまだいなかった。
つまりスーパーリベラル大統領が誕生して、徒歩での入境が今の違法移民、違法お難民の始まりでした。
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前投稿でメルケル・ドイツが難民受け入れに舵を切ったのがいつなのかが気になってCopilotとChatしたメモが以下
アンゲラ・メルケル首相が難民受け入れ政策に舵を切ったのは、2015年のことです。この政策の対象となったのは主にシリア難民でした。
背景としては、シリア内戦が激化し、多くのシリア人が命の危険から逃れるためにヨーロッパを目指していました。特にハンガリーのブダペスト中央駅に多くのシリア難民が集まり、行き場を失っていた状況がありました。メルケル首相はこの状況を受けて、ドイツが難民を受け入れることを決断しました。
この決断にはいくつかの理由が考えられます。ドイツが経済的に強い国であり、難民を受け入れる余裕があったこと、メルケル首相の個人的な背景や信念、そして過去の歴史に対する贖罪の意識などが挙げられます。
この政策はドイツ国内外で大きな影響を与え、賛否両論が巻き起こりました。
: [note](https://note.com/culture_map/n/n58fdbbfad3b1)
: [難民支援協会](https://www.refugee.or.jp/report/refugee/2016/08/germany16/)
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