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日本にいた頃、ホームセンターや、渋谷、池袋の東急ハンズを覗くの大好きでした。
なにか物を工作して作るという楽しみ、趣味があってハマった世界デス。
最初の工作したものは、ゴム動力でプロペラが回転する飛行機やグライダーでしたが、小学校4年か5年の頃です。
近所の一年上級の悪ガキというか近所の悪童で存在感のあるMくん、今もし会えばM氏になるのかな(笑)
このMがやたらと、飛行機や、グライダーの工作が得意で、今流で言うなら、名人、棟梁、親方と呼ばる類です。
彼が工作した飛行機は、30秒以上飛行し、上昇気流に乗ると1分どころか、3分位は飛ぶ性能です。
1960年の安保闘争で、子供心に「アンポハンタイ」という掛け声は、意味不明でも、遊び感覚で口走った記憶がしっかりインプットされています。
現在のコテ保守マインドは、後年に、幼少時代のアホぶりを後悔した結果の反動であると、カスカにひとり自慢をしてます。
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閑話休題、
その時代に、竹ひごと薄い紙(障子紙より薄い)と、胴体部の断面が1センチ x 0.5センチ角で、機種やモデルでことなりますが、胴体の長さは、ゴム飛行機で全長50センチ前後、グライダーなら70~80センチで、これを自作して、近所の悪童仲間と、かなり空間が開けたグランドのような開けた所で飛ばしたて、工作の技を競うが、当時のkazan少年の日常でした。
近所の比較的大きな文房具店でも、そのキットの品揃いが揃っていて、さらに遠出したところにある、しもた屋風の建物にナントカ模型店の看板がある店内は、まさに、夢に世界でした。
そんなキットにもモデル名があって、A-1とか、B-2、飛燕、ひばり、つばめ、とか名称が商品名になっていたと記憶しますが、なにはともあれ、kazan少年の工作技術は未熟の未熟で、ほとんど、歳違いの年長の兄を持つMくんの技術には遠く及ばず、夜ともなれば、自分の部屋で、改造作業に取り掛かるものの、思うように工作できず、ヒスったり、自棄っパチになったりして、祖母や、父親と口問答で悪態を付いていたことを、思い出します。
kazan少年の技術と甲斐性では、飛ばしてもすぐにストンで、毎回面目を潰し夕暮れの家路を毎回、肩を落としてトボトボとベソをかきながらの帰途につくという、悔しく、悲しく、甘酸っぱい暗い過去も思い出します。。
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そうした経験からか、バブル時代が始まる頃、世間で「ドイト」や「ホームセンター」が出現した頃と重なりますが、そこを覗くと、プロユーズ品から、ド素人ユーズまで、ありとあらゆる道具・工具、部材に触ることができて、まさに夢の世界で、勝手な想像に耽溺する楽しみを発見して今日に至ります。
というのも、結婚したら、マダムkazanにお小遣いをもらうような境遇に落ちぶれてしまい、なにかを工作する資金がないので、夢、夢想の脳内設計室兼アトリエで妄想にふける楽しみを発見し、たまには、ハンズやホームセンタを徘徊して、妄想の世界を多少なりともリアルの世界との接点を求める行為が一つの楽しみになったようです。
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今ではネット時代で、あれこれ考えるものを、キーワードで検索すると、上述の妄想に近い楽しみに耽ることができるのですが、台湾で台湾語のサイトを検索する時、最も不便なのは、英語キーワードが完全にはねられ、無論日本語キーワードでも同様です。
それでも、今はGoogle翻訳機能があるので、例えばスピーカーユニット、あるいはSpeakerunitsを繁体中国で翻訳させ、喇叭、あるいは揚聲器單元をコピペして検索をすることになります。
「それなら、いい環境じゃないの」と思う人も多いと思いますが、かなりの数の思いつくキーワードを次から次とGoogle翻訳させて、さらにその結果を検索するというのは、件数が数点以上になると、面倒になります。
それが数年前に、台湾で、ある方法にたどるつくことができました。
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記事の文字数が、2000文字超えになりましたので、続きを次回投稿に回します。