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小学生の少年Kazanが手づくりしたものに、近所の悪童たちとのチャンバラ遊びがあって、そのチャンバラに使用する木剣を作ったのが、最初かもしれない。
木剣と言っても、本格的なものでは無く、直径2センチくらいの生木の枝を、近所の庭付きの家の庭に植えてある、桜や柿の木の枝を折って、折った根本の太い部分の折れ千切った部分を、10円で購入した「肥後守」で結構マメに、ノコで切ったように処理をして、柄の部分の枝木の皮を残して、一応、刃の部分との境目に切れ込みを入れて、枝木の皮を剥ぎ取ると、白木部分が露出し、その部分がチャンバラの木剣に見立て、さらに、円形のメンコの真ん中をくり抜いて、細くなった剣先から柄の部分まで押し込むと、それで、立派な剣鍔チャンバラごっこをする訳。。。
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これがおそらく「肥後守」という道具を使って制作した最初のものではなかったか。。
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あと記憶に残るのが、鉱石ラジオです。
聞こえるんですよ、イヤホンから。
現代なら、ゲルマニュームラジオですが、当時は「鉱石ラジオ」
安い、クリスタルイヤホンから、自宅のラジオで聞き慣れた、夕方のドラマの主題歌がかすかに聞こえて時の感動は、今風に言うなら、完全なカルチャーショックです。
当時、人工衛星が飛んだことに刺激を受けて、今度は安いレンズで、天体望遠鏡作りです。
あの円筒部分を、工作用ボール紙を丸めて作るのですが、当時は工作用のノリしかありません。 飛行機工作で覚えたセメダインを使って最後の止めに部分の貼り付けを試みるのですが、あのセメダインの接着力と、丸まった状態にボール紙を接着のための固定・保持をする術がわからず、何度も、何度も失敗します。
最後は父親に泣きつくと、彼は、ご飯茶碗一杯くらいの、お櫃に残ったご飯を、コテのようなもので潰して練り上げ、強力なノリを作ってくれたことも、今思い出しました。
今なら、瞬間接着剤もあれば、ボンドもあり、グールガン接着など、選択肢は豊富ですが、とにかく、セルフメードが基本でした。
その時の後遺症から、今でも、円筒の芯材であった紙製品をすぐにゴミ、廃材として捨てるのがとても心を痛めるような有様で、笑っちゃいます。
こうした幼児体験が講じて、バブル時代頃から、郊外店の「ドイト」「ホームセンター」は結構な大人のkazanの、格好の遊び場になりました。
とにかく、渋谷の「ハンズ」ができた時は衝撃でした。
プロユーズの資材、工具、部品、部材、加工ができるのですから、発狂するくらいハイになった記憶があります。
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さらに、池袋サンシャイン通りに「ハンズ」ができた時は、浅草に住んでましたので、頻繁に足を運んだ経験があります。
台湾に来たら、東急ハンズがあっても、池袋、渋谷のハンズとは全く異なる品揃いで、台湾のハンズは、ほとんどIKEAから家具を取り払ったようなショップでまったく選択肢にはなりません。
そのような環境条件から、部材と部品の手配は、ネットで購入ということになり、今では、台湾のネット通販サイトの100倍、1000倍品揃いが豊富な中華・中国のサイトを覗く機会が圧倒的多く、そのサイトを見るにつけ、日本が完全に商品供給力を失ったこと、中国のサイトの足元にも及ばない現実を知ることになり、日本の将来の危うさを痛感させられることに。。
所要ができたので、ここで、中断・休筆します。