袴田事件については2020年に亡くなった元担当裁判官 熊本典道氏の記事で詳しく知ることになったのですが、漸く再審が始まるようです。
当時の事はウィキペディアにも詳しく書かれているので、一部抜粋します。
熊本典道 - Wikipedia
1968年(昭和43年)、合議制の袴田事件第1審(静岡地方裁判所)にて無罪の心証を形成し、同年6月中旬には無罪判決文を書いていたが、裁判長の石見勝四、右陪席の高井吉夫を説得することに失敗。有罪の主張を譲ろうとしない高井に向かって「あんた、それでも裁判官か!」と怒鳴りつけたという。死刑判決文を書くことを拒否し、高井に「あんたが書けよ!」と用紙を投げつけたが、最終的には1968年8月、左陪席の職務として泣く泣く死刑判決文を書き上げる。この判決には、他にない厳しい口調で検察の捜査・立証を批判している部分があり、「合議体の分裂」、つまり、「合議で被告人の有罪に異を唱えた裁判官がいた」可能性が以前から指摘されていた。当時はあくまで推測にすぎなかったが、石見と高井の死後、熊本の告白により、それが事実であることが明らかになった。
当時の裁判長は石井勝四、右陪席は高井吉夫で熊本氏は書記だったのですが、証拠品があまりにも出鱈目で、熊本氏は無罪を確信していたようです。
本当に酷い話ですね。