先日の洗濯機いっぱいの紙おむつの夢の件、
吉祥寺の「琉球」で食事をしていて、
ふと、わかったことがあります。
気づき塾で学んでいても
どの事象をクリーニンフすればいいのか。
どの事象は廃棄処分すればいいのか。
どの事象は焼却処理しればいいのか。
全くわかっていないということです。
具体的にある人のケースをとって説明しましょう。
<姑から虐められたこと>
なぜいじめられたのかというと、天から見ると、愛情。
画の強い自分を折るためには、必要なこと。
何度も言うけれども、刀を研ぐには砥石の役割をする姑が必要です。
そこに感謝ができないと、クリーニングはできません。
いいことには感謝ができますが、嫌なことだからこそ感謝が必要です。
感謝がなければ姑の行為は、浮かべれません。
<自分を良い子に見せようとする心>
<自分は正しいと思う心>
この部分は、気づきですから自分で気づいたことを修正する必要があります。
気づきで自ら変わっていくしかありません。
心の中は、自分でしか見ることはできません。
<夫の浮気>
人を許せるかどうかです。
許すことで捨てていく、廃棄するものです。
廃棄したものを焼却して無くしてくれるかどうかは、
潜在位h式によるところが大きいのです。
混在している人が多く何でもかんでも
クリーニングと思っているのでしょうが、そうではありません。
オホノポノの4つの言葉、意味が深いのです。
愛がないと許すことはできません。
自分のデータを認めて、ごめんなさいがないと許すことができません。
ごめんなさい。
許してください。
ありがとう。
愛しています。
言葉と自分の生き方が一致していない人が多いようです。
4つの言葉は、カタカムナと同じです。
その中には、
「私を守ってください。私を幸せにしてください」という
ご利益を求める思いは何一つないのです。