2024年2月3日は、節分でした。
鬼を追い払って新年を迎える、立春の前日の行事です。
私の大好きな大辨財天社での節分祭では、
「鬼は内、福は内」と福豆を撒きます。
ここでは、鬼は大いなる御宝をもち、全ての意識を越えて物事を正しく見るという古来からの信仰から「神」として崇め奉られているのです。
ですから鬼の家を用意し、鬼を迎え入れる神事をします。
修験道で有名な役行者(えんのぎょうじゃ)のお供も前鬼・後鬼の子孫と言い伝えられていますから、鬼を大事にしていることもあるのかもしれません。
大辨財天社で宇宙の神様の実態を見せていただいた私は、
どうして「鬼が内」なのかを調べてみることにしました。
いろいろ鬼について調べると、
鬼は、追いやられてしまった神様だと思うようになりました。
鬼のイメージは、牛のツノに虎の柄のパンツ。
なんだか雷さまのようなイメージです。
岡本天明氏による「日月神示」では
煎り豆を投げて呪詛(災厄を生じさせようとする邪悪な行為)を行い、
出てこないように東北に追いやったのは、艮の金神(うしとらのこんじん)の神様です。
大本教の開祖、出口なお氏の「大本神諭」でも「艮の金神」という名前で国常立尊(くにとこたちのみこと)が〝帰神(きしん)〟したと言われています。
大本教の開祖、出口なお氏の「大本神諭」でも「艮の金神」という名前で国常立尊(くにとこたちのみこと)が〝帰神(きしん)〟したと言われています。
と言われています。
艮(うしとら)の方角は「東北」です。うしとらだから牛の角と虎の柄ですね(笑)。
竹内文書とも関係しているようです。
いずれにしても
鬼を招き入れようと、福の豆をまくというのです。
鬼の寝床まで作ってお招きするのです。(写真は天河大辨財天社より)
国常立尊(くにとこたちのみこと)が〝帰神(きしん)〟し、大本は開教しました。〝帰神〟とは高貴な神が宿ることをいいます。
天河大辨財天社の草創は飛鳥時代です。役行者が弥山に弥山大明神を祀ったことを始まりとし、壬申の乱の頃、大海人皇子(天武天皇)が勝利を祈願していると、天女(姿を変えた弥山大明神)が現れ舞を舞い、戦勝の祝福を示され、この天女の加護に報いるため神殿を造営したのが天河大辨財天社だと伝えられています。
天河大辨財天社の草創は飛鳥時代です。役行者が弥山に弥山大明神を祀ったことを始まりとし、壬申の乱の頃、大海人皇子(天武天皇)が勝利を祈願していると、天女(姿を変えた弥山大明神)が現れ舞を舞い、戦勝の祝福を示され、この天女の加護に報いるため神殿を造営したのが天河大辨財天社だと伝えられています。
全てのものが、宇宙から与えられているものだとしたら、
鬼もプレゼントの一つ。
呪詛をかける豆まきは、やめたほうがいいのかなと思って、
家では豆まきをしていません。
節分の飾りである「ひいらぎいわし(柊鰯)」も飾りません。
(「ひいらぎの枝」に焼いた「いわしの頭」を刺したもの)
これには、節分の鬼が嫌いな葉っぱである、尖ったトゲのあるひいらぎと、鬼が嫌がる臭いのいわしを組み合わせて飾り「鬼が家に入って来ないように」という魔除けの意味があります。
2月3日に、何かが起こったりする人は、
艮の金神と呼ばれる神様を、追い出したことに大きく関係しているかもしれません。
話は変わりますが、新宿の歌舞伎町の一角にある稲荷鬼王神社でも、鬼を春の神とみなし、この神社では節分の豆まきに、「福は内、鬼は内」と唱えます。
ご祭神の1人は、月夜見命(月読尊つきよむのみこと)です。
ここでは、豆腐が鍵を握ります。
疹・腫物などの病気にかかった時に、豆腐を献納し、治癒するまで豆腐を断って「撫で守り」で患部撫でると治癒する、といわれています。
月読尊が保食神を斬り殺して出てきた、大豆。
その大豆で作った豆腐を立つことで、病気が治るとは、
なんだか関係があるのではと、疑ってしまいます。
節分に煎り豆を撒いて、神様に呪詛をかけてきたとしたら、
万一、追い出した艮金神が戻ってきていたなら、
自分がその1件に深い関わりを持っていたとしたら、
そのデータを詫びていくしかないのだろう。