気づきの最も簡単な方法が物です。
大事にしていた物が壊れる、かける、無くす。
そんなことが起きたら、考える必要があります。
ところが、現実的な捉え方をする人は、
何も思わないのです。
ただぶつけたから。
偶然のことだから。
こうしたから壊れたという理由づけは必要ないのです。
例えば、情報センターを解散するから
壊れるというなら会員全員のものが壊れるはずです。
それが原因で病気になるなら
会員全員が病気になるはずです。
自分の気づかなければならないことを
すり替えてしまうのは、情けないことです。
浅い考えですよ。
深くない。
自分が考える必要があります。
ペンジュラムも環境によって全く異なる結果が出ます。
電磁波環境もあれば、磁場の悪い環境でも、
異なってしまいます。
無にならなければ、わからないこともあります。
そのため私は、「高次元空間」を使ってしか見ることはしません。
クスリ絵は、実に凄いものです。